小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

男前

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野際陽子さんが亡くなった。

こんな私が言うのもなんだが、タイプの女性ではなかったのし(かなり年齢も上だし)、そういう意味では興味の無い人だったんだが、”彼女の生き様”には嫉妬していた。

 

というか、この人の生き様を知った時に、「大体が男の方が女々しいもんなんだな」との定理を抱くようになった。

実生活は知らないが、ともかく聞くところの男っぷりが良い。

NHKへの入社、退社、その後の転身なんざ、転職OKの現代でさえも、もうちょっと保身的に考えるであろうところを....

 

現実の私はかなり思い切りも良く、度胸もあって、堂々と生きている方だと思われている。

が、内面は違う。

それは自分だから知っている。

そう見られたいから努力はしているし、踏ん張ってもいる。

が、本当は違う。

 

野際さんは

そういった”本当の姿”の写し鏡のような存在だった。

「あなた...言ってるだけで、実際やらないじゃないの(笑)」と言わてるんだろうなぁ...と。

 

そんな男前の生き方に「少しでも追いつきたいな」と思っていただが...

女性だっただけでもかなり難しかったのに...

この世に存在しなくなってしまうとなると...

 

まさに”届かぬ目標”なのか?と...

 

いや...諦めてはいないけどね。

でも、残念無念。

 

81歳という年齢は、今後相当に意識してゆく予感。

 

忖度と哲学

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かすかに道徳教育を習ってきた年代なので...

「おかしいな...習ってきた正しい世の中はこんなはずじゃなかったのに...」

ってことも山ほど経験してきた。

 

理不尽というだけでは収めきれないそれらの事象を納得させたがる人達は....

世の中そんなに単純じゃないんだよ。

裏にも道があるんだよ。

パワーバランスなのだよ。

私達は特別なのだよ。

と、明るみには道徳の大切を説きつつ、振り返った怖ろしい形相で、道徳を打ち破る力を誇示している。

その顔で、「長い物には巻かれておくのが利口というものなのだよ。なあ○○君」

と、デスラー総統のように言うならば、ついたての陰から、まさかの知合いが登場する....

と、まあ、こんなことになっているんだろう。

 

卑しくも民主主義を標榜し、自由、平等、国民主権と言いながら...

「アホか?そんな言葉遊びを信じているのか?世の中”力”のあるもん勝ちだろうが?なんなら仲間に入っておいた方がいいんじゃないの?」

とニタリ顔でささやいている。

 

残念ながら、これを覆すことのできる万能な力をもったスーパーヒーローであるはずもない。

ましてや地位、立場、ひいては生存権まで抹殺されようとするならば、

泣き寝入りすら引き受けることも仕方ないのか?

 

哲学の誕生って

権力と無縁じゃないんだろうな、

と、思う今日この頃。

 

いや、そんなにも大袈裟な話じゃない。

このような”力”を社会で使える者でありたいくせに通用せず、その腹いせのように、一番小さな社会とも言える家庭で”力無き者”に対して行ってしまう者が少なくないから....

「お先真っ暗」としか感じられない子供を増やしているんじゃないだろうか...

 

ニーチェサルトルも名前ぐらいしか知らないし...

哲学って定義を正しく理解しているとも思っちゃいないが、

欲や集団に影響されない個の思考を積み上げることは、ある意味自らのオリジナル経典を作り上げていく作業のようで、落ち着かない、イライラする、自分の気持ちを静める作用があるのかな?とか...

 

夏草や兵どもが夢の跡

 

今更にして思うけど...松尾芭蕉は哲学だよな....

単にノスタルジックじゃなく、まさに奥がある。

 

ま、そういや題名にも堂々とうたってあったわ...(笑)

 

忖度

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妙な言葉が流行った。

が、実に気持ち悪い。

コメンテイターや芸人も面白がって使っていたし、そんなお笑い番組も好きなんだが、それでもこの言葉は気持ち悪く感じる。

 

前の学園問題は、本来は気持ち悪いはずのこの言葉をオブラートのように使用した。

あたかも、これが大人の事情、なのだよ、と言わんばかりに。

それでくるめて見事に葬られた。

 

そして新たな学園問題。

「忖度?じゃないだろ?好き好んで賛同してんじゃない。居場所がなくなるから賛同したフリして我慢してんだろ」ってなのが出てきた。

 

似ている。

圧倒的な裁量権と大人の絶対優位な理屈と衝動的な暴力で支配出来ていたかつての中学校と。

「もう我慢ならねー」って出てきたのが校内暴力だ。

 

校内暴力を肯定するつもりはない。

が、知恵もない、力もない、権力もない、そんな弱者が一方的な強制から逃れるには、どうしたらいいんだ?という叫びにも似た反応だった。

 

これらは、肉親を悪く言えないDV被害者の声の抹殺にも近い。

「俺の親はこんな親なんだー」と訴えたところで、普通は「親不孝な子だね~」と自分が悪者にされてしまうのがオチ。

だから他人にゃ話せるわけもない。

さらには、DVったって、殴る蹴るだけじゃない。

将来を不安にさせる言葉、親としての立場を放棄するような言葉や態度、言葉の上とはいうものの身分を抹殺するかのような脅し...

自立できるような年齢になりゃまだいい。

金も稼げない年齢で、「いつでもお前の生存権なんて抹殺できるんだからな」と脅されて育ってきた子供は、それを誰に相談できる?

いや、具体的な言葉での相談すら出来ないだろう。

なんせ、そこまで社会的にも育っていなかったりする。

ただ...なんとなく、「だから俺の言うこと聞け、俺の言うとおりにしろ、俺の言うとおりにしないと....将来はないんだぜ」

という”脅し”を背負わされて生きていくことになる。

だから家が面白くない。

親の顔を見るだけで気が重くなる。気持ち悪くさえなる。

それが親にとっては余計に面白くない。

「なんだその目は」となる.....

 

耐えきれなくて....

母親に吐露しても...母親も父親には逆らえなかったりする。

いや、逆にチクられてさらに父親から不遇を受ける。

先生を始めとした他人に相談したところで....「いいお父さんなのに、お前が反抗的なんじゃないのか?」なんて言われてしまう始末だったり....

 

いい歳こいて清廉潔白、正々堂々...とはいかないぐらいはわかる。

が、忖度って...ものの見事にDV親父が「私がそんなこと強要した覚えはないんですけどね~」と平然と答えるのと、同じ臭いが俺にはする。

だから俺は異常に気持ち悪くなる。

 


そして何故だ、洋楽好きの自分でさえ、中島みゆきのファイトが聞きたくなる。

ってか吉田拓郎の歌っている方のが。

18年前とは...

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別に年齢も隠してきたわけじゃないが、年齢や家庭環境や仕事の内容については、あまり書いてはこなかった。

 

というのは、それも一つの自分への戒めであって、「年のせい」「家族のせい」「仕事のせい」で、「出来ない」....という言い訳にしたくはなかった....してはならない、と思っていたからだ。

特に個人からの情報発信が自由となっている現状じゃあ、もう不平不満どころか、愚痴、弱音、人のせい、嘆き、厭味...の公表?何でもありだ。

いや、”あり”でもいいんだが、それらを吐くことが日常化するようになり、頑張ったり、反省したり、努力したりすることよりも、真っ先に、そんな言葉を生むように脳みそが働きだすようになってしまっているように見受けられて....

「そうはなりたくない(なっちゃいかんな)と、自制の念を込めて、”せい”にするような要素については、あまり書かないように意識してきた。

 

書かない、ということは、考えない、ということでもある。

それを信頼した。

 

が、それにも無理というものがあるようだ。

ささやかなものだがトレーニングも始めて18年になる。

地道に地道にだが伸ばしてきたタイムや距離や回数が伸びなくなったのはおととしぐらいからだ。

そりゃ決して愉快な状況じゃあない。

が、そういうことへの対策だってしてこなかったわけでもない。

やってこなかったら、そもそも続いていない。

が、”やってきた上でも”そうなってしまうようになったのだ。

 

そのトレーニングを始めた時だって「いい歳なんだけどな...」と思っていたものが、もう18年も経っている。

そりゃ相当「いい歳」になっている(自分じゃ認めていないけど)。

 

つまり....別にあえてフケ込む必要はないけれど、様々な状況の変化、環境の変化を無視できる年齢ではなくなった....ってことも脳裏に置かなくちゃいけない年齢にはなったんだろうな、とか。

 

先日も趣味の釣りを再開した友人に「どうしてまた急に?」と聞いてみたんだが...その返事は....

「いや、釣りなんて足腰さえ丈夫ならけっこう年食ってもやれると思ってたんだけど...老眼とか、手先の震えとか、ましてや血管関係の病気で不随状況残った日には、仕掛けが作れなくてやれない、と思ったからさ。けっこうもう、今が、やれるとき、なのかな?と。」

って言われて...

なるほど、と思った。

 

”仕事”に関しては、生計もあるし、老後だって関係してくるので、ある程度将来をボンヤリ考えてみることはあるんだが...

まさかの”趣味”でやれなくなるかもしれない...ってな想像はそういやしたことないな、と。

 

奇しくもとある親族に癌が宣告されたのと同じ歳になっている。

その方はそこから3年の闘病生活で亡くなった。

 

正直今は、今でも、仕事中心、収入中心の生活は何も変わっていないんだが...

18年前とは全然違う環境に居るんだろうな、と、あえて再確認し始めている。

そして....そういうこと....無視して生きていくには、ちょっと無理のある年齢になってきたかな?とも。

頑張りゃりゃ全部プラスに出るわけでもない。

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先日の飲み会で「最近早いね」と感心された。

これで2回連続だ。

というのも、飲み会はほとんど遅刻というか、遅刻が当たり前だったから。

 

別にそれぞれの飲み会をナメているわけでもない。

ただ....これまでの日課のスケジュールだと....何もかもにギリギリまであたっていなくちゃならなかった(と、自分で勝手に思っていただけなんだが...)

ともかく、どれもこれもやれる限りギリギリまで。

そして、あわてて準備をして、これまたギリギリの電車で出発。

乗り継ぎなんか階段走って....

という、「ギリで到着の時間を想定して」スタートしていたわけだ。

そりゃ乗り継ぎ失敗だけで即座に遅刻になる。

 

勉強をヤメて生まれた余裕なんて、勉強時間がしれているので、同様にしれている。

というか、本来勉強している余裕なんて無いところにネジ込んだ勉強時間なのでしれているに決まっている。

その勉強を外しただけで....「早めに出発しておこうか」なる気持ちが芽生えてきたってことは、一体あの詰め込みスケジュールはなんだったのか?

 

仕事にしろ、遊びにしろ、自分が出発するときは、大体走っている。

やることがたくさん...というよりは、ギリギリまで”前のこと”に従事しているので、出発準備に時間が足りない。

そうしてあわてて地下鉄なんざ乗ると、夏なら汗だくにもなってしまうので、家から着替え用のシャツを持ってきて、電車乗る前にトイレで着替えするってな手段も身に付けていたほどだ。

 

そうでありながらもモラル上も遅刻が許されるとは思っていないので、その道中も常に焦っている。

車なら道路に、歩行者に、他の車に。

電車なら地下鉄に八つ当たりするんんじゃないかというほどに。

自分の出発が遅いのが原因であっても。

 

その結果?効果?成果?まではよくわからない。

が、自分じゃ一分も無駄にしないよう”一生懸命やっていただけ”のつもりは、なんのことはない”身勝手な時間配分で焦っていただけ”。

いやいやふとした拍子にゃ、自分じゃ予想もつかない「俺は一生懸命やってんだぞ」という不機嫌な顔で巻き散らかしていたんじゃないかと....

思い当たるフシもあるし....

 

勉強をしなくてもよい気軽さなんてしれたものであるはずなんだが、そんなしれたものにさえ支配され、盲目的になっていたのか?

「早めに出発する」以外にも”対人関係”にも多少気が使えるようになっている気がする。

思うようにいかなかったり、予定を乱されるような突然の訪問、お伺いにはすぐさまイラっときたもんだが、一呼吸置くようににもなっている。

ってか....そう思うと、これまで「人の立場」なんて....あんまり考えてもいなかった....んだろうか....

 

なので、他人とのトラブルも減っているかのように思う。

そして...これも意外なんだが...「写真なんか久しく撮っていない」「撮る暇ね~」としていたが、「早めに到着してしまって」時間を持て余すときなんかに、写真は最適だな、と(笑)

 

たしかに一生懸命になるってのも大事なんだろうけど....

まわりどころか、自分も見えなくなるってな面もあるんだろうな。

 

勉強をやめてから一ヶ月ほどになるが、勉強は正直ゼロになってしまったが、他のことはむしろプラスが出ていると思う。

要するに欲張りすぎ、詰め込みすぎだったということか。

 

勉強やめてみて

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ということで....

ともかく日課から勉強だけを外している。

もう一月以上になる。

 

が、起床時間も就寝時間も変わらない。

出勤時刻も帰宅時刻も変わらない。

 

そういうことだった。

もともと勉強できるような余裕の無い生活だったところを、たまたま無理してみた。

でも、やっぱりそれは無理だったということ。

 

まあ、良い。資格2つ取れたし。

 

ただ...妙なクセが身に付いた。

ついつい....全部ノルマを消化しないといけないように焦るクセだ。

”肝心の”仕事だって、もうちょっと手を抜いている奴も多い中、けっこう細部まで、時間もかけてやっている。

そりゃここが本道なので崩すわけにはいかないし...

...の上にトレーニング、の上に庭の手入れ、の上に勉強、の上に付き合い、の上に.....

って、そりゃあ全部やるのはもともと無理ってもんだった。

 

が、できうる限り全部やるぞ、としていたので、それぞれを圧縮するしかない、と。

 

なので、勉強一つを外したぐらいじゃ、それぞれに少し余裕が出るぐらいなので、毎日の生活に大した変わりはないということ。

 

...しかし...この余裕は、”暇”ではないし、悪いもんじゃないな、と思えてきているということ。

仕事も、もう一歩積極的になれるし、多分、無意識にも丁寧になったりしているんだろう。

仕事の手ごたえが悪くない。

プライベートな付き合いも、イラっとしたり面倒臭がらなくなっているような気がする。

顕著なのは”対人関係”か?

なんせ、いつも急いでいるので、急な事態や予定外の事態を歓迎することがなかった。

その”おかげ”で「ノルマが果たせなくなってしまう」ことが脳裏に浮かんでいたからだ。

 

いわば無意識のうちにも「ノルマ第一主義」に支配された三年間だった、ということなんだろう。

 

さあ、この先どうしていくのかはまだ具体的な計画があるわけじゃない。

ただ、気が付けば「次の五カ年計画」のうち、いつしかもう二年が過ぎようとしている。

”目標達成”のためにあと三年しかないということ。

 

そして....これは”目標”というよりも、大きな転機がその後、今から三年後か、三年半後に来るような予感がしてきたこと。

まとめて言えば、大体三年後には今と違った生活をしなきゃいけなくなるかのような予感....

 

ということは、よりこれからの三年間は大事ということなんだろうから....

余分な勉強?というのは、ある意味、その後の人生の邪魔になっていたのかもしれない....のかな?

 

まあ、いいや、いろいろな意味で、本当に余裕が生まれたなら、また再開するってな手もあるし。

 

さあ、今からトレーニングで、その後飲み会。

ちっともゆっくり出来ていないが、勉強していた頃よりは、多少なりとも気をつけながら(考えながら)行動できているような....

気はしている。

バテたな、こりゃ

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駅伝を見ていると、走破後「本当にさっきまで走ってたの?」ぐらいの選手と、倒れてしまって救急車で運ばれるような選手が居る。

そんなもの専門家なので、ペースの配分から事前の準備、日頃のトレーニングとそう差はないと思う。

イメージだって、ともに”快走”を描いていよう。

が、残酷なほど結果に差が出ることがある。

決して”快走走者”が手を抜いたということではないだろう。

やはり何らかの理由で倒れた選手はオーバーペースに至ったんだ。

これもおそらく”わかっていても”。

 

 

強がってはいるものの、先の「五カ年計画」は、これでも結構無理してたんだろう。

正直、思っていたよりも収穫もあったし、達成ペースも速かった....

が、その分余計に。

 


”その後”も、もう2年になろうというのに、ペースが戻らない。

よりも、結構毎日ダルい。

昨年末から正月は寝込んだのも記憶に新しい。

 

何とかこの低迷から脱出せねばと、いろいろ試してもいるが、これもノリ切れていない。

 

まあ、深くは考えないが、単純にバテたのか?とは思う。

休みが年に2日なんて年もあったし、大体が14時間稼働だった。

 

ということで一つの目標を諦め、最低限の努力目標の維持ということでふんばってはいるものの、それさえ嫌な日も正直増えている。

 


ま、それぐらいはやるけど。

 


まあ、人間いつも順調というわけにはいかないだろうし、いつもいつも前を向いていられるわけでもないだろうし。

 

ってなことで、止めてしまう<ノンビリでも続ける

という選択にしている。

 

いや、どのみち「出来ない」んだから、選択ではなく、継続するために「残された唯一の方法」だとも思うし。

 

イチローの調子が悪いらしい。

というか、一体いくつだと思っている。

あの年齢でバリバリの大リーガー達と争っているんだ。

なまじっかの消耗では済まされないはずなのに...

よーくやってるよな、と毎年思う。

 

が、俺は俺、彼は彼。

彼から見たらば鼻くそのような低レベルの努力でも、消耗するものは消耗するんだって。

残念ながら”休場”は許されないんで、休み休みながらでも続けるしかないのだよ。

正直、今は何を目指したいか?よりも....もう少したくさん毎日寝たいんだし。