小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

ともかく寝た方が良いんだろう...

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暑い...し、忙しい...

なので律儀にブログなんか書かなくたっていい。

 

ということで、とりあえず所用を済ませた。

もちろん完璧じゃないが、局地豪雨を予想して、それは回避したつもり

 

んな程度なんだが、大変といえば毎度大変なのだ。

昨日の体重が65.85kgで、さきほどの体重が63.85kgなので、そういうこと。

 

今日は作業が多く、一日二食主義の自分ですら、あれやこれやと食った。

食った...結果がこの数値なので、ダイエットに関心のあるお方がたは、倒れない程度に汗を流して動き回ることが良いんじゃないかと...

んなもん、冷房のきいた部屋で痩せる秘訣は無いと思う(笑)

 

んで....

脳みそまでトロけているので、何も思い浮かばない。

夏はこんなもんだ。

生い茂る草、こぼれ落ちて腐る果実、片付かない部屋、家族のモメ事、仕事のモメ事、.....

片っ端らからやっつけているつもりなんだけど...

 

さあ、今日もいつもと同じようにクタクタ...

立派なネタなんか思い付きやしない。

 

でも....まんざら悪くない夜なんで...

 

さ、寝よ。

 

今時「ほら吹き」って居るの?

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「ほらふき」

などとあえて人を侮蔑したくはないんだが...

小さい頃から何故か大嫌いだった。

別に犯罪でもないし、迷惑を被ることが確実でもない割に。

 

今をもって「そのような人」に苛まされているわけじゃあないんだが...

「多いんだな」これが。

 

日頃は「どーでもいい」と避けてはいるんだが...

なんせ「自慢した人々」なので、妙にまとわりつくまとわりつく...

 

あっ、そうか、普通は”あえて”言いたいわけでもないのだから、”普通じゃないから”まとわりつく...わけだよな...

とか、妙に自分を納得んさせたりして...(笑)

 

で、自分も少々大人になって勝負する年代になってきているので...

「見極めポイント」ぐらいは準備してきた。

 

そう。

実際に「やっていただいてみようかな」と...

 

ふふふ、のふん。

さすがに、「ほら」は吹かないんだが...

 

「言い訳」することすること...

 

どうでもいいんだけど...

なんでそんなに「人より優れている」って言いたいの?

実際「優れてもいない」のに。

その”矛盾の修復のが大きい”に決まっているじゃないのさ。

 

で...どうすんの。

実際に「出来ること」証明できなくて....

やっぱあと三年はともかく頑張ろう

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真面目な性格なので、崇高な精神と格段の能力を政治には期待している。

だから関心もある。

なのに現況は....

 

ってな状況なので、フラストレーションどころか、気持ちがダルくなってしまう今日この頃。

そんなことに自分の人生を影響されて良いのかえ?ってな明け方の雷鳴一発で起こされた。

 

妙な時間だったものの、最近目標を見失いかけ、少しふらふらしているので、小さな決心でもしてみようかと机に向かってみた。

2回目の五ヶ年計画の期日が「あと三年」になったことは確認している。

が、残念ながら「過ぎた二年」の成果はあまり芳しくは思っていない。

されば余計に「あと三年」は重要になる。

 

そもそもが何故に「五ヶ年計画」なのかと言えば、「十年先は全く予想が出来ない」からであり、「五年先」も本当は見えていない。

見えてはいないが、何もかもが「一年」で達成できるわけでもない。

 

そんなところからの「猶予の区切り」が「五年」だというだけのことで、具体的な目標は「一年後」ぐらいまでしか実際予想ができない。

ちゅうことから、「一年後」を考えてみた。

 

案外アバウトな自分の「五ヶ年計画」だが、「一年後」...つまり「三年目」ではやはり目標に近づくことはあっても達成は出来ない。

つまり×。

ならとばかり「二年後」...つまり「四年目」も想定してみたが...近づいたとしても、やっぱり届きはしない。

つまり△。

で、「三年後」...つまり「五年目」を想定してみたらば...順調に行けば、順調に行ったなら...達成できる。

つまり○。

 

ということを簡単な表にして確認できた。

つまり無理な計画でもなく、実現できる可能性がある。

ってことなので、目指して、達成した方が、「いいに決まっている」ということだ。

 

少し....もやもやが晴れた。

「何のために頑張っているのか?」なんて思ったりもしていたが...少なくとも三年後に「ニヤリ」とするために頑張っているわけだ。

 

「五年先」が「三年先」になっている、というのもある。

が、やっぱり、頭の中だけで整理をつけるというのも難しいんだろう。

なんだか良い雷になった(笑)

 

今のところ中学も高校も三年間だもんな。

努力の節目となる期間なんだろ、昔から。

案外人は間違えている

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ここんところブログの更新が増えているのも決して好ましい状況じゃない。

ブログなんか書いている暇もなく実行、実行、また実行....

ぐらいの方が収穫も多い。

 

が、それでもブログにやってくるのは、多分....「自分の”間違い探し”」をしているんだと思う。

 

あくまでも持論だが、「千回素振りをすれば誰しもが打てるようになる」とはとても思えない。

いや、「”正しいフォームで”千回素振りをすれば....」それは叶うかもしれないとは思うが、”間違ったフォーム”では、結果は遠のくばかりになる....と思っている。

 

が、そういうことに気が付いてきたのも案外最近で、むしろそれまでは正しかろうと間違っていようと”千回”することが重要だと信じる側だった。

流石はうさぎ跳び世代だ。

 

精神論も無視できないとは思っているが、この手の話はそれとは次元が違う。

 

25mを泳ごうとするならば、体力さえ身についてくるとけっこうどんな方法でも泳げたりする。

からの「25m泳げる方法」を正しいとするなら、50mを泳ぐのは相当にシンドイはずなのだが、逆にそれで泳げるようになったれば、「かなりの体力が身に付いた」と違う錯覚に自信を持つことにもなる。

が、そのような錯覚も多分せいぜい100mぐらいまで。

「どうして1000m泳げないのか?」

「100m泳げる(本当は正しく泳げてはいない)のに、自分はどうして1000mは泳げないのか?」

という「正しく泳げてはいない」を自覚できないまま育ってしまう。

 

ゴルフの練習場へ行くとよくわかる。

皆、自分がプロのように打っていると思っている。

いや、打ててはいないかもしれないが、プロのように美しいフォームで打っているつもりになっている。

....悪いが....ほど遠い....

しかも....そんなほど遠い打ち方で何百球も打つならば、ほど遠いほど悪いフォームが身にこびりついて離れなくなるだけだ。

そして...永遠にへたくそなまんまになる。

 

スポーツばかりじゃない。

色々なことがそうなんだと思う。

 

努力自体が不足していることもあろうけど、”正しい”と思っていること自体を間違えていて....

”正しくない”方法で、”正しくない”考え方を、一生懸命身につけようとしていれば....

そりゃあいつまでたっても”正しいこと”は身に付かないだろうと....

 

そのあたりの自分の見識や欲を、こうやってだらだらと書き連ねて....

探っているんだと思う。

 

しかし....言うは(書くは)楽なんだけど...

実際やるのは面倒臭いんで、こんなところで愚痴たれているのかもしれない(笑)

 

ああ面倒臭い。

でも、しゃーないので少しずつ開始するか。

今日は怖ろしいほど何もする気が起きないんだけど(笑)

かといって...

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充実した素晴らしい”日常”になっている...わけでもない。

残念だけど...

 

非日常的なことや、催し物や、メモリアル行事への参加を出来るだけ見送ってまでも、「日常生活の充実」への努力をしているつもり...なのに...全然達成できていない。

いや、満足できる水準に達することもないまま、むしろ...日々疲れている。

何か大きなショックでもあったなら、放り投げてしまうぐらいに疲れているとも最近はよく思う。

 

だからストレスの解消法が言われたりしていて....

そのためにも旅をしたり、コンサートに出かけたり、スポーツ観戦に出かける人が居るんだろう。

疲労困憊してしまうよりはうんと健康的な選択だ。

 

が、それをしようとしないところが自分のケチ臭いところだ。

針の一刺しのような結果や指先でつまめるようなみみっちい成果であっても、わずかにでも直接的に日常につながることの方を選択してしまう。

それらの集積を盲信している。

 

蟻や蜘蛛の巣を壊してしまうと、その修復力に驚かされるんだが....

わき目もふらず一心不乱に日常を快適にしようとするその努力への敬服があるようだ。

 

それゆえに...非日常、脱日常の余暇に時間を使っていられる人の話に辟易としてしまうのかもしれない。

自分の心の奥底は「真面目に努力を続けられる日常でありたい」...んじゃなく、「できりゃあ俺だって遊んで暮らしたい」ってことになっているんだろう。

よく思われるように、宝くじにでも当たるなら、いとも簡単にそっちの道に転向したいんだろう。

本当の自分の本音は。

 

なので「楽しく遊んで暮らしたい」ってのを精神的に、道徳的に、根っこでは否定していない。

....宝くじには当たらないから....「キリギリスのような生活を送っていると...冬になったら大変なことになるぞ」と、自分自身を脅している。

飲み会への参加とか、日帰りぐらいの趣味ならば、なんとか日常を毀損することはないだろうけど、何日も、何泊も、気を緩めたならば...その時間に出来たはずのことはもう挽回できないかもね、といつも自分自身に我慢を要求している。

つまり...むしろ...”本心を”...否定しているわけだ...

 

だから....頑張っているつもりでも....どっか楽しくないし....

努力を増やしていても....充実に近づいているようには思えない...んだろうねぇ...

やりたくもないことを自分にやらせているんだから。

 

まあ、幸いってか、バブルの頃に比べたら、幸せそうな人間は随分と少ないように見受けられるので、誰もかれも大差ないんだろうと、文字で表現しているほど暗くは考えてもいないんだが....

自分の頑張りや努力へのエネルギーは、”前向きな気持ちから”なんかじゃなく、”憎悪から”なんだというシステムぐらいは理解するようになってきている。

 

だから結果が出ないとイラつく。

成果が認められないとムカつく。

「人のことなんかカンケーない」とウソ吹きながら...

楽しそうに毎日毎日遊んでいる奴を憎らしいと思っている。

どこに芸があるのかよくわからないような人脈と軽妙なおしゃべりが上手いだけの(そう歪んで見えているだけだと思う)芸人の生活が羨ましかったりする。

そして....

真面目に、コツコツとやってきているのに、日の目を見ずに愚痴たれて飲んだくれている奴らを見ると、「近づいちゃいけない」と思うのは....

真面目に、コツコツとやってきてたのに、埋もれてしまうことへの「憎悪の芽生え」を感じるからだ。

それじゃ一体何を良くするために頑張ってんのかって...

 

そういうことがあって

勉強をやめている。

 

まだ何も結果は出ていないけど....

こういう余分なことを考える余裕ぐらいは出てきたのかな?とか。

 

事の真偽が私なんぞにわかるはずもないが....今の官房副長官に気持ち悪いほどの憎悪を抱くのは、まあ、こういうところからなのかな?と。

 

瑞風

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豪華寝台列車とでも言うんだろうか?

四季島やら瑞風の話題が続く。

素直に「凄いな」とは思うけど....乗らないんだろな、多分。

 

テレビ番組でも、旅番組とでも言うのかな?世界各地の名勝景勝を披露してくれて...

カッパドキアとか古代アステカ文明とかギニア高地とか....

そりゃあ「見たい」と思うけど...行かないんだろうな、多分。

 

こんな自分に相反するように、アチコチに旅をする人が身の回りはけっこう多い。

が、正直あまり羨ましくない。

”旅”が最大の生き甲斐、楽しみであって、”日常”はつまらなそうだからだ。

いや...そんな”日常”にまで”旅”はしっかり入りこんできて、出かける前からのワクワク感、帰ってきてからの思い出感。

それも”旅”のお楽しみ袋らしい。

でも、やっぱり羨ましくはない。

 

こんな自分でも、人並みぐらいには旅に出かけていると思う。

観光目的は極めて少ないながらも、趣味で、仕事で、付き合いで、と、国内だけでなく、海外にも出かけた。

が、むしろ、それらが「”日常”ではないこと」に落胆した。

もう少し言えば、自分の「日常には有り得ない」人生であることを再確認させられるかのようで失望さえ呼び込んでくる。

 

多分、ここいらの感銘の仕方が「旅好き」の方々との分岐点になるんだろう。

それも、それぞれの自由だ。

自分には遊牧民の遺伝子が欠けているのかもしれない。

いや、ひょっとしたらそういった”旅”からの失望感が背中を押しているのか?

旅よりも「日常の充実」を人生観にしているような気がする。

 

人生一回きりの四季島や瑞風でお金を使うぐらいなら、毎日友達のように一緒に居る自家用車にお金を使いたいし、二度と行けない海外に赴くなら仕事の範囲を少しでも広げて、いつでも行ける「日常活動エリア」を広げたい。

泊まるホテルを良くするのなら、少しでも自宅を快適にしたい。

そうやってここまでやってきたんだろうな、と四季島や瑞風を見てそう思った。

実に狭量でせこい男なんだろうけど...それなりのものは集積もしているのかと。

まあ、「せこい」と言わちゃやっておれんし(笑)

 

どちらが正しいか?ってもんじゃないだろうな。

でも、俺は乗らないな、多分。

写真も撮らないだろうし。

 

そういや「記念日」ってのもあまり関心がない。

きっと「毎日充実」が目標なんだろう。

相当に欲張りということか....

 

ちょっとしんどくなってもきているけど....

せめてあと3年ぐらいは、こんなカンジで頑張りたいわな。

気がする

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勉強を日課から外してから、あっと言う間に2カ月が経った。

かといって暇になったということもない。

むしろ以前と同じように仕事や他の用事をこなすのに相変わらず精一杯だ。

 

よーく思い出してみたならば、もともと勉強なんてやってる時間あるかしら?と始めたものなので、もともとに無理はあったのだ。

 

そして....

整理整頓や掃除にも忙しい。

けっこうな物を広く、大きく、多く、所有している。

そんなに裕福ではないが、それらは自分の達成の目標だったので、無理しても、そうしてきた。

そうすべきだと思って確保してきた。

 

が、そのアホさ加減にようやく気がついてきた。

腐る、茂る、枯れる、縮む、緩む、禿げる、壊れる....つまり、大概のものにはメンテナンスが必要で、そんなにあれもこれも、

より大きく、多く...じゃあ面倒みきれないわけだ。

 

ある程度年齢を重ねてきたので、そういうものが、何もかも、

になって積み重なってきている。

 

正直、もう完璧にできる量じゃない。

なので、土日やりきっても、完璧じゃないまま終了してしまう....

ことを繰り返している。

 

その上に勉強...

だったので、そりゃあもう、やり残しばっかになっていたんだろう。

最近その頃よりは、少し、片付いて、きたような....

 

気がする。