小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

老後も仕事?

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老後のことについて話してみると...

意外なほどに皆関心を持っていた。

というか...けっこう既に考えていた。

 


まあ、いつものことだ。

大体において遅い。

というかノンビリしている。

自分じゃ、一番乗りだったつもりが....

何のことはない、皆とっくの昔に検討していて....

たまたま敬遠するようなジャンルだったので、自分が一番に乗り込んだだけのことで、”皆”は違う場所に向かっていて....

ってなカンジか...

相変わらず残念なヤツだ。

 


まあ、それはそうとして、ハッキリとした計画は無いまでも、”苦労の覚悟”があるところが共通項か。

早い話しが年金が少ない、もしくはアテにならない。だ。

そこはアテにしなきゃ破綻してしまう自分としては願望のように信頼するしかないんだが...

”無い”という覚悟までしている人を見ると、自分はまだまだ甘いということなんだろう。

そして...つまりは...完全引退の老後はありえない。ということだ。

 


「完全引退の老後」つまり...年金と資産運用による老後に憧れてはいた。

そして、長い間責任をかついできたような仕事から解放され、好きな趣味を飽きるほどやりたいと思っていたものだ。

実際自分の知合いじゃあ、それを実現している人も居る。

 


が、それは相当であって、普通じゃないとのこと。

しかも、これからじゃあなおさら。

 


んな時に10歳ほど年配の方とお話する機会になった。

同様のことを尋ねてみたらば....

「年金だけじゃあ遊べない」とのこと。

遊びたいのであれば、「遊ぶ分だけ」でも働いて稼がないと...と。

そして、そもそもが...

「家にずっと居るなんて不健康なことはない。夫婦ならなおさら...」ということらしい。

自分なりにそこをまとめてみると...

 


リタイヤ後も「家に居なくて済む程度の小遣いを稼いで、出来る限り外に居なさい」ということなんだろうか?

 


ということなら、我武者羅に稼ぐ必要まではないが、なんらかの収入を得なければならないとなると....

やっぱ人様にお金を頂く以上それは「仕事」なのであって、あまり甘い期待は抱けるもんじゃない。

 


どうやら自分にとっての”老後”ってのは、リタイヤすることではなく、歳とってもやれる”仕事”を見つけることのようだ。

 


一生休めないのか....という気持ちにもなったが....

休んでばかりで邪魔者扱いされた日々を送るより、動けるだけ動いて疲れ果てて死んでいくほうが、自分らしいのかな?とかは思ったりもした。

 

ずっと成功してきたんだろうに....

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不倫だろうが、略奪だろうが、歳の差だろうが、他人の恋愛なんか私にゃ関係ない。

そりゃあ子供とか妻帯者とかが絡む場合は道徳的な問題や秩序や教育的問題はあるに決まっているだろうが、それとて国よっての見方が異なるほど、別に人間に統一された規格じゃない。

ましてや宗教によってもかなり違ったりする。

そんなことについて一個人が意見を言ったところで、まさに「個人的な感想」にしか過ぎない、と、これだけ不倫が頻繁に発表される世の中になっても思っている。

 


が、「成功」ということに関しては他人事ではない。

基準やレベルは違うけれども、遅まきながら”成功したい”という願望を抱くようになってきたからだ。

 


成功のルートが”東大”だとわかっていても行けなかっただろう。

が、正直「東大なんかどうでもいい」ぐらいだったアホだったので、今更ながらにその威力を知ると、さらにアホだったことを思い知る。

就職もそう。

職業もそう。

テレビ時代もそう。

ネット時代もそう。

一般的な憧れの成功例なんてものには目指すどころか、目もくれないほどに、遊び狂っていたお気楽人生だった。

 


”東大”なんて行ける能力あったとしても、幼稚な人間性なら「遊べなくなっちまう」と尻込みするものを、「東大に行かなくちゃ」と思えるだけ、どっか人間性が違うのだ。

 


アニーで主役を務めながらもうかれたりせず、勉強も怠り無く、東大に進み

法曹資格を取得し、検事になり、国会議員にまで上り詰め、野党とはいえども党をまとめる”幹事長”が手の中にまで入ったというのに....

人生のどこで切っても優秀な、何にでもなれそうな人が、どうしてこの結果を気が付かなかったのか

 


不思議でならない。

 


多分、ど阿呆な俺でもわかる。

文春の貼り込みには気が付かなくても、週に3回も、4回もじゃあ、頻度が多すぎる、ぐらいは警戒する。

いや、そんな俺以上にいろいろなところに敏感で、用心深く、真剣に、くまなく、対処してきたから「成功の連続」の人生だったんだろうに....

どうしてここで失敗する.....

 


私の目がフシ穴だったんだろうけど....

そんなマヌケな女性にはとても見えていなかった。

修正「成功」で埋め尽くして、完璧な人生を終えるような人だと思っていた。

お相手もそう。

能力も高そうだが、世渡りも上手そうというか、抜け目のなさそうな人物なのに、

どうして、自分達が当事者になってしまうことが予想できない。

 


育ちが悪くて、成功の道筋も知らず、努力の方法も知らず、遊び呆けて気が付いたときには既に遅しの自分には、お二方とも羨まし過ぎるほどの人生なのに...

なんでこんなことで失敗する...

この失敗を予想できない。

 


これは「平家物語」ではないと思う。

驕れる者も久しからずではない。

そんなにも驕れているようにも見えない。

驕れていたり、悪事を圧倒的な圧力で握りつぶしている奴らなんて山ほど居るだろうに...

 


今になって「成功者」に憧れる自分からしたらば....

「努力次第じゃどうにでもなる」

と、よく言われるが、努力でどうにかなれない水準の成功の上に彼らの人生はあったわけで、

その貴重さは彼らにはわからないんだろうか?

「成功」が、あまりにも当たり前過ぎた人生で...

 


もったいない、

もったいなさ過ぎる失敗だ。

凡人の自分には不倫だとか不潔だとか倫理がとかそんな事の前に

 


こんなことが予想できない彼らの優秀さが理解できない。

 


ただ人間....人間らしいというか...

ずっと成功を続けることっては難しいことなのかな?と

鎮痛剤

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せっかく惜しいところまで来たのに....失敗してしまうことがある。

自分にしたらば、相当に真面目に努力したのに報われないときもある。

陰ながら頑張っているのに、そんな思いも届かずなじられることもある。

そんな時...昔なら....けっこうアッサリと自暴自棄になった...かな?

周囲の人に愚痴垂れたり、当たったり、どうせ認めてはもらえねーんだからよ、とか、言っちゃって....

 


が、もうそんなことも似合わない歳になってしまった。

不機嫌になって荒くれていても、うっとおしいオッサンが気でも狂ったのか?吠えている無様なスタイルにしか見えないだろう。

血のにじむような努力の怨念を吐き出しているんだ....としても。

 


そんな時は気違い扱いされる前に立ち戻ることにしている。

相当にマヌケだった昔を思い出して。


小学生の時も...どっかズルかったよな、と。

中高生のときも遊び狂っていて、真面目に努力していたガリ勉君をバカしてたよな、と。

大学生ならまだしも、就職してさえも、「まだまだ、遊んでいたい」と本当に遊んでいたよな、と。

結婚し、子供が出来ても「カンタンに落ち着くものか」と、やっぱり遊んでいたよな、と。

 


今から18年前だ。

そんなお気楽遊び人が、何故だか手のひらかえしたように猛烈に不安になった。

具体的に何があったのか覚えていないが、大した啓示があった記憶はない。

フトした拍子に、子供を見ていて思った....ような気がする。

 


それから”今”がある。

たしかに”それ以前”に比べたら、そりゃあ頑張るようにはなっているが、年数比較をするならば、2倍サボってきたと言っても過言じゃない。

それを「半分程度」努力したからといって、「人並み」を望むのは虫が良いというものなんだろう。

残念だけど...

しゃーないよな...

そうやって落ち着くこと、にしている。

 


本当は努力した相手ぐらいには「わかって欲しい」し、「届いて欲しい」

が、そういう努力はさらに事態をややこしくしてしまう。

なので....

今更ちょいと頑張ったぐらいで....虫が良いよな....と、フテ腐れることにしている。

かつてなら、ちょうどここで「タバコを吸うところ」だったので、それがない最近はちょと物足りないかな?

 


まあ、正しい対処法とは思っちゃいないが、静かなる処方箋で、誰も傷つけはしないかなと思っている。

 


不思議なことに昔はもっと「人のせい」にしていたし、「自分は悪くない」と思っていた。

何十年も経ってみたらば、悪いところだらけ、なのに(笑)

まあ、それにしては運の良い方なんじゃないの?これでも....ぐらいには落ち着くときもある。

精神論ばっかじゃ内臓も大変だ

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仕事の消化を含めて、週のメニューというものがある。

かつてはそれに勉強も含んでいた。

全部こなすと暇はない。

完全主義者ではないが、無駄は嫌いだ。

ゆえにそういう計画となる。

 


が、最初に無理を感じるようになったのはトレーニングか?

筋トレも順調に回数を増やしてきたのに、一回たりとも増えなくなってきた。

若い頃なら「頭打ち」ということになるんだろうが、冷静に分析すりゃ「老化」だ。

そして、ジョギングのスピードもかなり落ちてきた。

「何かの拍子に回復するかも」の期待はここ2年ほど実現していない。

「一回限り」なら無理できないこともないが、その「一回限り」の努力は故障に近づくことにはなれど、将来の力になるとは思えない。

 


そして半年近くになるんだろうか?

”勉強”もメニューから外れてしまった。

再開の気配も一向にない。

 


が、全然暇じゃない。

残りのものでも十分に日常が埋まっていて、余分なことに着手する余裕が生まれているわけでもない。

 


恐らく...

動きが遅くなったんだ。

脳もカラダも。

自分で思っているほど、キビキビとは動けないんだ。

 


「これじゃアカン」とばかりに、急き立ててみたりしても、”焦り”が拡大するばかりで、むしろ落ち着いていられなくなる。

地味~な、「無理ライン」が出来てしまっているようだ。

 


”勉強”をメニューから外してしまってから、色々考えてきた。

今も考えている。

結果が出たわけでもない。

 


が、もう少し「余裕」をあええて作っても良いんじゃないか?とは思えてきている。

前にも書いたが、16マスのスライドパズルというのかな?

多分「無駄を作りたくない」自分の予定の入れ方はあのパズルと同じだ。

何もかも「スッと」動かせない。

目一杯過ぎて。

これを動かしたら、これが動かせて、それでようやくこっちが動かせるのか....

 


う~ん。

なるほど、その通りだ。

と、感心してしまう。

 


なので、最近、週の初めから「前倒しに前倒して」、うまくいった暁には、日曜日は少しノンビリやろうと心掛けている。

朝の11時頃までは、予定表を見ることもなく、思いつくことだけでダラダラと....

 


で、これから少しずつ消化してゆこうかな?と。

 


ほんの少しだけかもしれないが、心臓の負担を軽くできるような気がしてきた(笑)

予想通りにゃいかない

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さほどに”すぐ”というわけでもない。

が、それほど”遠い”というわけでもない。

死なない限りやってくる”未来”は”将来”とも言うんだろう。

 


そんなにデキの良い人間じゃなかったので、目標とか目的に向かってきた人生ではなかったが、ところどころで”将来”は意識したと思う。

そんな自分の今の”将来”は明らかに”老後”だ。

というか”定年後”と言い変えてもいいかもしれない。

 


実は自分の仕事には”定年”はない。

なので、”定年”を意識するのはおかしいんだが....世の中はよく出来ているというか、どうにもその定年まで続けられるかどうかが怪しくなってきている。

そりゃあ慣れた仕事なので、”定年”とは言わず、続けられるだけ続けたいんだが...

やっぱり”需要”というものがある。

自分自身へのニーズというものがある。

 


多くの先人達がリタイヤを余議なくされたのも、一律の”数字”のせいだけじゃないと、衰え始めた能力を顧みて思う。

 


「楽になりたい」と思う日も出てきた。

大きな責任を抱え、失敗の修復にストレスを感じると、「定年までは頑張るから、定年まで、でいいかな」と頭をよぎることも少なくない。

が、下衆な話、金も必要だ。

それこそ「やめてしまう」のはいつでも出来ることなのだろうから、働けるうちは働いて、少しでも生活を楽にしたい。

 


さらに少し不思議なのは、あまり遊びたくなくなってきたことだ。

ワーカーホリックなのか?

十分に遊び過ぎてきたのか?

単にケチなのか?

大枚はたいてまで遊ぶぐらいなら、小銭を稼いでいた方が妙に落ち着く。

また、若い頃からの”遊び”の多くが、スポーツだったので、正直年々遠のく結果には感動もない。

仲間との飲み会だって、酒を控える者や、参加を控える者まで出てきている。

 


本を読んだり、美術館に出かけたり、音楽を聴くのも好きだが....

別にそれらは仕事を辞めなきゃ出来ないことでもない。

 


ってな、自分の老後だ。

 


とりあえずはあと3年は今のまま働いていたい。

ここは強く意識するようになった。

つまり、あまり迷いがない。

”働けたらなぁ”ではなく、”働いていたい”だ。

もちろん”お金”のこともある。

が、いろいろ模索しても、「それ以上」という案が今のところないのだから、そこを目指せば良いということ。

奇しくも現在の「五カ年計画の残す年限」と同じだ。

借金の期限とも同じだ。

逃げるにも逃げられない。

 


「五カ年計画」はこれで二期目なんだが、一期目はそれなりの収穫はあったと思っている。

それに比べると現在二年目の二期目は「全く収穫がない」と思えるほどに苦難の連続だ。

が、多分....終わってみると、何も考えてなかったよりは「被害が少なかった」「減退を少なくできた」のような歯止め効果ぐらいにはなると期待している。

じゃなきゃやっておれない(笑)

 


問題はむしろ「その後」。

その次の五年間だ。

そこに三期目の「五カ年計画」が必要だとは思っていなかった。

いや、二期目の「五カ年計画」を終えたなら、”その後”は「ハッピーリタイヤ老後」が続けらると....

そのための「五カ年計画」だったのだから、”計算違い”になっているわけだ...

 


まあ、人生にはよくあることなんだろうが....

だから混沌としてしまう。

 

老後という今のところあまり希望を感じない未来

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先輩というには歳が離れているが、かつてのお客様に久々に駅でお会いした。

ゴルフの好きな方で、「定年退職したら、毎週でもコースに出られるから、それも楽しみなんだよ」と以前おっしゃっていた。

 


が、どうやら現実は違うらしい...

「収入が年金だけになって、それが母ちゃん管理の口座に振り込まれてくると、”アンタだけがどうして毎週毎週好きなことやって遊んでられるの?”」

ということになるらしい。

コースどころか、練習場すら回数が限定され、「夢のゴルフ三昧計画」は幻に終わっている....とのこと。

 


日本の景気とか年金の現状とかの話は今回は省略。

原因がどこにあろうと、「夢のような老後生活にはならない」という現実は覚悟すべき、つまり心構えが必要なことじゃあないのかと。

 


その方、減ったゴルフの回数を取り戻すべく、もう一度働きに出かけるという、予定外の将来になっているらしい。

それが良いのか悪いのか、私にわかる術もないが、そういった”将来の現実”があることだけは覚悟しておいた方が良さそうだ。

 


そんな時にごいさんからのコメント。

なんだか他人事じゃなく、身につまされます。

 


自分も若い頃からいろいろと手を出している方だと思うけど、体力的にも今後も継続できるってのは案外少ないんじゃないかと予想している。

 


当然ながら”今”が無きゃ”将来”もないわけで、まだまだ”今”をおろそかにするわけにはいかないが、「冷静な未来の予想」も必要だよな、とかは思い始めている。

老人

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先日、フトした拍子に近所のお婆さんに会った。

日頃はきれいにお化粧をされているが、朝のゴミ出しの時間だったためにか、お化粧どころか入れ歯もなく、正直えらく老けて見えた。

 

こんなもんなんだろう。

自分だってそう遠くない日にそんな姿になる。

なりたくないし、ならないように努力はしているつもりだが、必ずなる。

ならない時はなる前に死んだ時だ。

 

混沌とした毎日でもあり、将来も見通せないゆえに、未来の心配は少なくない。

行き当たりバッタリで後悔しない歳でもない。

その将来は自分の老人である姿だ。

 

それこそテレビの画面には信じられないほど若さを保った芸能人が映っている。

いろいろ改造されているんだとは思うが、それにしても羨ましい。

というか、そんな人、現実の身近には居ない。

つまり...自分はそうはならない。

 

どんな中学生になるんだろう...

どんな高校生活を送るんだろう...

どんな職業に就くんだろう...

それと同じこと。

どんな老人になるんだろう。

 

行き続けてゆけば、必ず老人になる。

ならない場合は死んだ時だけ。

それほどに確実になる自分の将来は、嫌がっているだけでよいんだろうか?

昨今の葛藤はそこにもあるような気がしている。

自然の呼び声だ。

 

そういや近所のお爺さんというのをあんまり見ないんだが...

やっぱり男性は早く死んでいるんだろうか?