「前」の文章を書いてからもう一週間経つ。
が...忙しくって忙しくって、「原点」の答えどころかブログさえ書けていない。
まあ、例年12月は一日も休みが無いので、こんなもんだ。
ある意味「原点」なんか知らなくても生きていけるってことなんだろう。
しかしながらこれは...「原点」ではないのかもしれないが....
「モチベーションの起点」のようなものを想像した時には、案外ダークな感情からスタートするものなのかもしれないとは思っている。
「親孝行をしなければ...」「彼の愛情に報いなければ....」という”立派”な方々も居られるんだろうが...
自分の場合はもうちょっとネガティブというかマイナスというか...あまり褒められない側の感情から「やる気」につながっていることは少なくないように思う。
なので「原点」と言われても、「思い出したくない感情」を探ることになるので、消極的になるのかな?
「復讐心」とでも言おうか...
他人への復讐だけでなく...醜かった...あるいは「出来なかった」自分への復讐から「出来るようになってやる」ってなことにつながるのは少なくないだろう。
よく「負けず嫌い」などとも言われるが、そんな人が妙にうっとおしいのも...そのためかもしれない。
なので...「原点に立ち帰る」ということは、「醜い自分を掘り下げる」ことにもなろうか....
しかも...人間一カ所にとどまっているわけでもない。
歳とともに成長し、居場所も移している。
それぞれの時代にそれぞれの場所を「全て成功」で収められている人は珍しいだろう。
ということは、多くの時代と場所に遺恨と怨念を残してきたりもするわけだ。
まあ、そんなおどろおどろしい話しばかりでもないが...
自分の場合は「褒められたからやる気になった」なんてのは、「少なすぎる」エネルギーだ。
燃料にもなってないような気がする。
20年ほど前からようやくトレーニングやら訓練というものを意識するような日課が出てきたんだが...
それとて、それまでは「必要を感じない」からやってなかったのであって、どうして感じなかったのかといえば、「その程度の頑張りと結果」で別に構わなかったということなんだろう。
ある意味「欲がない」状態で、精神的にはけっこうなことのように思うんだが...なんせ欲がないので稼げない。
稼ごうとする気力もない。
それでこの世を渡るのは非常に難しい。
で、結果が残せなくなってきて、「どうしてなのか?」とフト気が付いてみたらば案外皆さん遠くに居て....
相当に置いていかれているんじゃないかと....
そんな時の焦りやら妬みやら嫉みから...ようやく「動き始めた」んじゃないかな...と。
贅沢を求めず今の状態で満足できるのであれば...
「このままでいい」....と、努力も求めないのかもしれない。
それも「善の心」なのかもしれない。
一見穏やかだ...が、見方を変えれば...怠惰にもつながる。
一方、心が満たされていない状態を”渇望”と言うのだろうか?
「もっと、もっと」
「さらに、さらに」
おそらくそんな感情はとどまることを知らない。
少なくとも自分の力の限界を感じるまでは....「もっと、もっと」になるんだろう....
奇遇にもSTAR WARS上映の時期になっているが、「満足しない」気持ちがないとデススターの製造には至らない。
より強いデススターにも至らない。
それは「負のエネルギー」なんだろうか?
”同じような”エネルギーで、地球上の大都市も造られてきているんじゃないだろうか?
住むのに、生活するのに、活動するのに、必要の無い高さにまで高く造られるビルディングは、「正のエネルギー」だけで探求されるものなんだろうか....
それらは”向上心”というマントを被った「満足しない醜い欲求」の表れなんじゃないのだろうか....
自分のことも...別にさほどに醜い心の持ち主とは思いたくはないんだが....
人に勝ちたい。
負けたくない。
なんてのは....競争社会におけるモチベーションとしては「必須」なのかもしれないが....
それは「他の人より上に居たい」という、”平等”の発想からはかけ離れた....”共存”を考えた時には迷惑な精神構造じゃないかと...
ましてや「一番じゃなきゃ」「てっぺんじゃなきゃ」ってのは、「誰よりも優秀でありたい」という怨念に近いような復讐心であって....それって他人にとっちゃあ、ある種の”凶器”のようなものでもあるんじゃないかと...
まあ、いずれにしたって自分は中途半端で、どっちもあり、でどっちにもつかず、だろう。
しかも....「原点」にすら帰れず、多忙に忙殺されたまま年を終えることになるんだろう(笑)
正直”ゆとり”も欲しい...が、金も欲しい...ので、来年もあまり変らないとは思うが....
年々”中途半端”が通用しなくなってきている場面は多い。
世の中はサディスティックなほどに”シビアさ”を追求しているように思う。
いつぞやの「ファジーな生活」は何処へやら...だ。
原点は...やっぱ「嫉妬」か?
とても醜いんだけれども....