小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

しょぼい目標の達成の瞬間(笑)

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さあさ...

多分...”愚痴”吐いていると思うけど....

今年の12月も休みなく過ぎている間に....

”人生の目標”を達成した。

 

 

って書くとなんだかおかしいんだが...

”人生の目標”がそんなに軽いのか?とか...

”うまく行ってなかったんじゃないのか?”とか...

 

 

ま、とりあえずそんなやっかみはどうでもいい。

ともかくに...2年半前に設定した”目標”にとりあえずタッチした。

そんな程度なので...今後...離れてしまうことが...ない...わけでもない...”はかない”達成だ。

 

 

ま、いつもそうなので、今更身構えることもない。

ただ...”いつも”と言うように...”目標達成”すら、生涯一度という設定でもないので、そのような気構えの人が居られたらご無礼を...

 

 

いや、ふざけているわけじゃあない。

が、自分の人生をそれほどに大袈裟には考えられないってのは普通なんじゃないか?と思っているだけ。

全然”特別”じゃないだろう。

だからいつか流行った歌は嫌いだ。

どうして自分を”特別”にしたがる...

普通は...”特別”じゃあない。

”特別”と思う必要もない。

仮に...それでも...”特別”でありたいなら....

そりゃあ相当の覚悟をしろよ、と。

人とは違う”特別”な病気も引き受ける覚悟もあるんだよな...

と。

 


ま、いい。

そんなこと。どうでも。

見解の相違だ(笑)

 

 

人のことをとやかく思わなくなったのもそんなところ。

どーでもいい。

 


とりあえず、達成した。

いつかの棒高跳びの選手じゃないが、常に最高更新を狙ってきたので、これで4回目?

だから新たな喜びもないのかもしれない。

が、今回は、とりあえず、人生ここまで達成すりゃあ良しとするかな?

という設定だったので、その喜びに浸りたかった。

そうなると想像していた。

 


が...現実は違っていた。

先ほどまでも明日のスケジュールを考えていた。

いやいや、と思い、ブログに筆を走らせたが....

なんだかそれも面倒臭くなってきて...

今からはもう一度明日のスケジュールを見直そうと思っている。

 


意外に感慨の無い一日になってしまった。

もう眠いし...

 


目標って....

こんなものだったっけ....

 


なんだか....ともかく...眠い。

なので...寝る。

 

いつまでも剛速球が投げられるわけじゃない

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あいかわらず「原点」は見つけられない....

が、得体の知れない不安の”原因”は少し見えてきた。

 


それは、自分の人生上で、ついに、自分が、ピークアウトしそうになっていることだ。

 


今のところは....ピークアウトはしていない。

と、思う。

ここ数年土俵際だが、”減退”の手前で踏ん張ってきたと思う。

 


のように...けっこう粘ってもきた。

が、ここ数年ブログで書いてもいるように、どうにもこうにもうまく行かない。

あれやこれやと色々手を打っても、滑り落ちる引力にかなわなくなっている。

 


あまり詳しいことはわからないが、役職定年や非正規雇用の蔓延する現代のピークアウトする平均年齢は超えてきているんじゃないだろうか?

なので、ピークアウトに至っても仕方がない...のかもしれない...

ましてや超人ではないので、自然のこと、ぐらいかもしれない...

のだが...

今までピークアウトしたことがないので嫌なのだ。

不安なのだ。

 


そりゃあ、スポーツだとか知能の面じゃあとっくの昔にピークアウトしているんだろうが...

経験とか熟練とかそんな総合的な力量で繕ってなんとか誤魔化してこれたんだろう...

そう...

若い頃ご自慢の剛速球は通用しなくなったが、熟練の投球術を生かした軟投派で生き延びているようなもの...

 


が...それでさえも通用しない気配が出てきたというわけ。

しかも...かといって今更”他の道”

への転向があるわけでもない。

要請もない。

希望もない。

道筋も見えない。

ということは...ついに”引退”が近寄ってきたのか?....

 


だから不安だったのか....

 


なるほどね。

自分が不安なのは戻れるような「原点」が無いからじゃない。

未来が見えないからだ。

さらに衰えてゆくであろう自分が活躍できそうな未来が見えないからだ。

いや、もともとに未来なんざ見えてた方じゃないが、それでも昔はうっすら感じた希望の灯でさえ、もう感じられなくなってしまっているからだ。

 


とりあえず....明日どうのこうのという話じゃない。

明日はこのまま続けられそうだ。

が、来年はわからないな....

から半年後はわからないな...になり

ついに来月はわからない、までにはなってきている。

”その時”は遠くなることは絶対になくても、確実に近づいてきているというわけ。

いよいよ近づいてきた感じだ。

 


軟投派に転向すると...「らしさ...がなくなった」...などと揶揄されることが多いものだが...そんな中傷は結果さえ残せるなら耳にも残らない。

むしろ衰えさえエネルギーにも転化できるというもの。

違う投球術の楽しさもある。

転向...ではなく、何度かの転職もしてきたが、それも引退→再就職ではない。

むしろ山頂を目指すために”もっと早い道”を選ぶようなもの。

 


が、”引退”は違う。

今の自分にとっちゃあ”終焉”をイメージしてしまう。

 


....たしかに....最近は、少ししんどいな、と感じる朝も多い。

まだ世間的な定年には遠いが、定年という制度があるのもうなずけるように思えてきている。

あと何年かで、楽(らく)しようかな.....と思う時も正直ある。

が、その”楽(らく)”を現実的に想像してみると...どうにも楽(たの)しいようには思えないのだな、今のところ...

 


テレビを見ていて嫉妬を覚える原因もわかってきた。

ずっと活躍できている人々が居るからだ。

いつまでも現役で、若い方々と楽しく過ごしている(ように見える)人々が大勢映し出されるようで羨ましく思うのだろう。

が、そんな人は”特別”だからテレビにも出ていられるわけで...

普通はまあ、哀しいかな誰にでも確実にやってくること...いつかはそうなること...

なんだろう...

 


いやいや引退が近づいた選手ってのは成績も残せなくなっていることが多いんで、ボロカス言っていた気もするんだが...

いざ自分のこととなってみると情けないもんだ。

 


まあ横綱でもないし、スタープレイヤーでもないし、キッパリ引退はしなくてもいいかな。

いやいやカズとかイチローとか改めて凄いなと思うかな。

 


ボロボロになるまで....とは言えないが...

やれるところまで散々粘り続けるってのが一番後悔しない道かな。

答....見つからず。

ついこの前まで”ファジーな生活”って言ってたくせに

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「前」の文章を書いてからもう一週間経つ。

が...忙しくって忙しくって、「原点」の答えどころかブログさえ書けていない。

まあ、例年12月は一日も休みが無いので、こんなもんだ。

ある意味「原点」なんか知らなくても生きていけるってことなんだろう。

 


しかしながらこれは...「原点」ではないのかもしれないが....

「モチベーションの起点」のようなものを想像した時には、案外ダークな感情からスタートするものなのかもしれないとは思っている。

「親孝行をしなければ...」「彼の愛情に報いなければ....」という”立派”な方々も居られるんだろうが...

自分の場合はもうちょっとネガティブというかマイナスというか...あまり褒められない側の感情から「やる気」につながっていることは少なくないように思う。

なので「原点」と言われても、「思い出したくない感情」を探ることになるので、消極的になるのかな?

 


「復讐心」とでも言おうか...

他人への復讐だけでなく...醜かった...あるいは「出来なかった」自分への復讐から「出来るようになってやる」ってなことにつながるのは少なくないだろう。

よく「負けず嫌い」などとも言われるが、そんな人が妙にうっとおしいのも...そのためかもしれない。

なので...「原点に立ち帰る」ということは、「醜い自分を掘り下げる」ことにもなろうか....

 


しかも...人間一カ所にとどまっているわけでもない。

歳とともに成長し、居場所も移している。

それぞれの時代にそれぞれの場所を「全て成功」で収められている人は珍しいだろう。

ということは、多くの時代と場所に遺恨と怨念を残してきたりもするわけだ。

 


まあ、そんなおどろおどろしい話しばかりでもないが...

自分の場合は「褒められたからやる気になった」なんてのは、「少なすぎる」エネルギーだ。

燃料にもなってないような気がする。

 


20年ほど前からようやくトレーニングやら訓練というものを意識するような日課が出てきたんだが...

それとて、それまでは「必要を感じない」からやってなかったのであって、どうして感じなかったのかといえば、「その程度の頑張りと結果」で別に構わなかったということなんだろう。

ある意味「欲がない」状態で、精神的にはけっこうなことのように思うんだが...なんせ欲がないので稼げない。

稼ごうとする気力もない。

それでこの世を渡るのは非常に難しい。

 


で、結果が残せなくなってきて、「どうしてなのか?」とフト気が付いてみたらば案外皆さん遠くに居て....

相当に置いていかれているんじゃないかと....

そんな時の焦りやら妬みやら嫉みから...ようやく「動き始めた」んじゃないかな...と。

 


贅沢を求めず今の状態で満足できるのであれば...

「このままでいい」....と、努力も求めないのかもしれない。

それも「善の心」なのかもしれない。

一見穏やかだ...が、見方を変えれば...怠惰にもつながる。

 


一方、心が満たされていない状態を”渇望”と言うのだろうか?

「もっと、もっと」

「さらに、さらに」

おそらくそんな感情はとどまることを知らない。

少なくとも自分の力の限界を感じるまでは....「もっと、もっと」になるんだろう....

 


奇遇にもSTAR WARS上映の時期になっているが、「満足しない」気持ちがないとデススターの製造には至らない。

より強いデススターにも至らない。

それは「負のエネルギー」なんだろうか?

”同じような”エネルギーで、地球上の大都市も造られてきているんじゃないだろうか?

住むのに、生活するのに、活動するのに、必要の無い高さにまで高く造られるビルディングは、「正のエネルギー」だけで探求されるものなんだろうか....

それらは”向上心”というマントを被った「満足しない醜い欲求」の表れなんじゃないのだろうか....

 


自分のことも...別にさほどに醜い心の持ち主とは思いたくはないんだが....

人に勝ちたい。

負けたくない。

なんてのは....競争社会におけるモチベーションとしては「必須」なのかもしれないが....

それは「他の人より上に居たい」という、”平等”の発想からはかけ離れた....”共存”を考えた時には迷惑な精神構造じゃないかと...

ましてや「一番じゃなきゃ」「てっぺんじゃなきゃ」ってのは、「誰よりも優秀でありたい」という怨念に近いような復讐心であって....それって他人にとっちゃあ、ある種の”凶器”のようなものでもあるんじゃないかと...

 


まあ、いずれにしたって自分は中途半端で、どっちもあり、でどっちにもつかず、だろう。

しかも....「原点」にすら帰れず、多忙に忙殺されたまま年を終えることになるんだろう(笑)

 


正直”ゆとり”も欲しい...が、金も欲しい...ので、来年もあまり変らないとは思うが....

年々”中途半端”が通用しなくなってきている場面は多い。

世の中はサディスティックなほどに”シビアさ”を追求しているように思う。

 


いつぞやの「ファジーな生活」は何処へやら...だ。

 


原点は...やっぱ「嫉妬」か?

とても醜いんだけれども....

原点

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珍しい方から突然に電話があった。

用件は大したことがないものだったが....久しぶりだったこともあり、少しの間話を進めた...

 


特別に今の状況を吐露したつもりはないのだが....なんとなくにわかるのだろう...

励ましのような、ヒントのような、そんな言葉を二ついただいた。

 


一つは...

「楽しくない時のが多いのは普通やで、楽しい時が多かったら、楽しいことの有難みはわからんやろ。」

というもの。

その通りだろーけど...楽しい時のが多い方がそりゃいいよな...と。

 


もう一つは...

「迷った時は原点に戻れ」と...

 


意味はわかった。

わかったが...じゃ、俺の原点って何?どこ?どれ?.....

 


本当にわからない。

いや、そんな「自分の原点」なんて考える必要もなかったのか?考えたこともなかったし...そんなことに思いをはせるぐらいなら、少しでも明日の、来年の、将来の、不安を削ることを考えることに時間を使うだろうにさ....と。

が、

言われてみれば、俺の原点って何?

せっかくの良いお言葉いただいても、戻る原点すら持ち合わせて居ないときは...

一体どこに戻れば良いんだろうか?と....

 


昨日は別の友人からも久々の電話があった。

大きな屋敷を売って小じんまりした生活にするらしい....

 


はてな」で書くようになってからどれぐらいになるんだろう?

4,5年か?

一生からすればわずかな期間なんだけど...

それでも購読させてもらっている方々の人生もずっと同じという人は珍しい。

むしろ...自分よりも変化していらっしゃる方のが多い。

 


相次ぐ大企業の不正会計や偽装データ問題、教育関係なのに、ですら補助金詐欺や違法入札...神様に通じるはずの神社や大相撲までもがキナ臭い不祥事だらけ...

「いざなみ景気を超えるかもしれない」ぐらいの好景気は真面目にやってちゃ感じられないってことなのか?

それとも....

俺には原点すらわからないのだから、道が見えないわけなのか?

 


マジに思う。

原点ってどんなもの?

どこにある?

何十年も生きてきて...

それが無いから俺は空振りだらけなのか?

 

相変わらず毎日面白くない。

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が、自殺したいほど....というわけでもない。

というか...自殺なんか考えなくてもそう遠くないうちに死んでもおかしくない年齢だというのもあるが(笑)、多少の喜びぐらいは時々ある。

....ま、それで、”普通”なのかもしれないと....寒空に凍えている。

 


孤独感は年々増している。

自分の置かれている立場というのもあるが、あちらこちらで自らそんな位置に居場所を置いているような気もする。

 


寂しいっちゃ寂しいが...

群れているからの虚しさや非力さやはかなさってのも嫌なんだと思う。

割と幼少の頃からそんなところがある。

人との関わりの後に後悔をすることが少なくない。

それぐらなら....と、防御反応のように、少し離れたところに身を置くことに安心するのかもしれない。

 


スポーツの中では球技が身体能力には合っていると思っていたが....

チームスポーツが多く、精神的には無理があったのかもしれない。

今からなら...チームスポーツはやらないだろう。

 


実際にはそれほどに孤独じゃない。

家族も居れば、職場もあるし、友人知人との集まりもある。

が、その割には独りで居ることが増えていると思う。

望んでいるとは思えないんだが....あまり積極的に人と関わろうとはしていない....ように思う。

 


休日など、誰とも話さない日もあったりする。

孤独な老人死は嫌だな、とは思うが、けっこうまっしぐらなのかもしれない。

かといって友達に電話をかける...ということもない。

話すことがない。

というか楽しく話せるネタがない。

 


...という日常の割には忙しく、ブログも全然書けていない。

まさに不安と葛藤と孤独の中で、時間だけが過ぎていって...

気がつきゃ12月に入っていて、恒例の「休みのない月」になっているわけだ。

まあ今年も31日の「ガキ使」まで、休みはないだろう。

 


何のために生きているのか?

そういう疑問を考えることもなくなっている。

ともかく「明日も生きている」という前提で今日を生きているので、寝るまでには「明日の大体の予想」を立てておく。

おかないと....しっちゃかめっちゃかで、その解決の多難さで生きているのが嫌になるから。

いっぱいいっぱいだ。

もうこれ以上の無理難題を抱えたくない。

陽だまりでノンビリ過ごしたい。

ま、そんな望みも当分無理なんだろうけど....

 


五木寛之だったかな?

「下山の時代」

否定とか賛成とかの問題じゃないだろう。

日本も自分にも「下山の時代」が訪れているんだと思う。

道が下っているのに、そりゃ上ろうとするなら、空回りにもなろう。

そこの覚悟が自分にも日本にも無いようだ。

 


諦めきれない

 


そのエネルギーだけで生きているような気がする。

「前の五カ年計画」を達成した時に、すぐに「今の五カ年計画」が出てきたのは、”いつまでも前向き”だからじゃない。

後悔や未練や欲望が多過ぎて、「たったの五カ年分」じゃあ埋められないんだろう。

もう辞めてしまいたいほどにしんどいのに....

「もっと」「さらに」「より」「もう一つ」....とついつい自分を急き立てるのは....

健全な向上心じゃなく、過去への恨み、生い立ちへの恨み、自らへの恨みの穴ぼこが、埋まりきらないほどに広く、深いのだろう...

 


まあ、さほどに深刻に考えているわけでもないし、

さほどに高度なことを追い求めているわけでもない。

ただ....欲の深い男だと言うことだけだ。

 


いつこうなってしまったんだろうか?

かつては...

雪山や海岸で見た目瞬間のヒーローになれたのだったなら、

もうそれで十分満足。

金や仕事や名誉や地位も何も必要としなかったのに....

 


”歳の取り方”を学ぶべき時が来ているのかもしれない。

「俺」は?

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相変らず毎日面白くない。

面白くないが、人生捨てきれないので、それなりの事はやっている。

この先の希望とてあまりない。

いろいろな反省をしてきて、もともとが”出遅れスタート者”だという認識はあるので、人並ゴールなら上出来だとは思っているが、そこに至れるかどうかも定かじゃない。

日馬富士のように暴れたりはしないが、酒を飲んでいる時間ぐらいが忘れていられる時間で、あとはずっと面白くない。

でも....

出会う人のみならず、道行く人々を見ていても、みんなそれほど面白そうでもない。

いや、それどころか辛そうだったり、嫌そうな顔をしている人は案外多い。

 


相撲界だけじゃない。

東芝粉飾決算も日産の無資格者点検も東レのデータ偽装も森友・加計学園問題も山尾不倫疑惑も都知事の新党結成も....

インチキだらけだ。

「森友・加計学園はインチキではない」とは言い張るものの、あっちこっちの条件を「唯一の特例」として通過してきている。

俺は今までに「唯一の特例」なんか受けたことがないのに。

 


こんな世の中が「情報ツール」を手にしてしまったのだから、腐ったミカンはもう箱の中には納まっておらず、腐ったミカンのぶつけ合いぐらいにテレビの中で、SNSの中で、ラインで、メールで、飛び交っている。

多くの人が問題に意見することで膿を出すことが出来るとか言う人も居る。

 


...そうなのかもしれない。

が、手も届きやしない世界の事を論じて金をもらっているようなコメンテイターは、それが収入の源だから良いんだろうけど....

俺がそこに加わって何になる?

日馬富士のこの先”が気の毒なら、”俺のこの先”は多分もっと気の毒だ。

なんたって彼はまだ若いし、きっと高額な退職金ももらえよう。

さらにはいろいろな才能や資格もあるらしい。

そして、こんな問題を起こしたとて、自国じゃ多分ヒーローだ。

しばらくは「引く手あまた」だろう。

 


...に、比べたら、「俺」は?

横綱どころか相撲界にも入っていないし関係もない。

テレビで取り上げられるような仕事も特技も何もない。

どころか...来年の仕事さえ心配されるご身分だ。

日馬富士の心配をしている場合じゃないし、貴乃花親方の対応を批判できる立場にもない。

 


どうでもいいこととは言わないが、「人のことをとやかく言う前に」やるべきことが山ほどあるだろう....

というのが...「俺」。

やるべきことだらけなので、毎日面白くないのが...「俺」。

ま、そういうことなんだろう。

 


こうやって面白くないながらも、多少の努力は怠らないように継続しているが、思うような結果も出せなくなっている。

どころか、思うような反応すらなくてイラっと来ることが多い。

 


なのでなるべく余分な事には口を開かず、黙々と黙々とやるべきことを嫌々ながら非常に遅いスピードでこなしている。

「俺」はそんな程度。

そんな程度の人間。

正直....相撲界にも色々思うことはあるが....

「その前にお前だろ」ともう一人の俺に言わせる程度には戒めている。

言い訳

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「何が”成功”なのか?」と言われてみても...多分わかっちゃいない。

「どこからが”成功”なのか?」と聞かれても...多分答えられない。

でも...なんだかわからないけど「成功者?」のような気分では人生を終えたい。

 


おかしな話だ。

何なのか説明も出来ないほどにわかっていない状態に在りたい...などと。

霞をつかむような話だ。

 


「明快な基準」が出せないわけじゃあない。

が、そのラインは「とうに無理」なので、出したれば「成功者にはなれないね」で終わってしまう。

例えば「プロ野球選手になる」とか「年収一億円稼ぐ」とか....

 


昔から「成功者」を”意識”してきたならばまだしも、とっくの昔に成功者になるべく努力をする時代を過ぎてしまってからの”意識”なので、全然間に合っていないというか、挑戦権すら無いのかもしれない。

だからハードルをうんと下げて、ひょっとしたらばそれは「もはや成功者とは呼べない」ハードルを目指しているほどに下げているのかもしれない”成功”を意識しているから、答えられないほどに曖昧なんだろう。

 


ただ...そんな曖昧さへの努力であっても、そんな曖昧さへの向上心であっても、

何もしてこなかったより良かったのかな?と7年も経てば思えることもある。

 


「自信?」なんて領域にはほど遠い。

いや、ますます遠のいている。

が、だからこそ余計に「やってきていなかったら...」を想像するなら...”今”怖ろしい事態になっている。

 


ここらあたりが未経験のモチベーションとたかだか7年であっても経験済みのモチベーションは違うと思う。

未経験のモチベーションはけっこう欲も深いが前向きだ。

に比べてみると経験済みのモチベーションは、むしろ「やらなかった場合の”恐怖心”」に多い。

 


なので今はむしろ、その「恐怖心」に背中を押されてもいる。

林先生ではないが「今、やっておかないと....」

はある意味脅迫の役目を果たしている。

 


が、少し老いぼれてきた自分は、正直な弱音も吐きたくなってきている。

「もうそろそろゆっくりやらせてもらってもいいんじゃないか」と。

「成功者なんてほど遠いのかもしれないけど、これでもマシになったんじゃないか」と。

多分...「余分な努力」なんてやめてしまいたい自分が芽生えてきている。

それと「やめてしまった場合」の恐怖心。

その葛藤なんだろう。

 


今のところ「恐怖心」のが強いんだろう。

だから逃げ出さないようにこんなところで言い訳書いている。