小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

日めくり

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”怒り”を抑えていれば、”目標”は自動的に達成出来るかといえば、当たり前だが、そんな甘いもんじゃない。

目標達成への努力も勿論必要だ。

 


自分程度の努力は世の中じゃあ”努力”と認められないのかもしれないが、とりあえず○年計画の期日までには達成できる程度の努力はしている。

ということは、正直”楽な毎日”じゃないし、あまり楽しいわけもない。

それはしょうがないところ。

似たような経験は唯一大学受験前のわずかな期間か?

 


大学受験は...もともと無い話、だった。

なんせ成績も悪いし、出席自体が乏しかったので。

が、いろいろな人の協力あって、「あるかも?」になり、センター試験の40日前に覚悟を決めた。

当時の学校には申し訳ないが、授業中を含めて一日12時間以上勉強することに。

というか授業中を含めないと無理だし、あまりにも遅くに始めた受験勉強なので、それだけやらないと追いつかないのも見えていたから。

 


受験生にとっちゃあ普通のことなのかもしれないが、学習経験の少ない自分には強烈なプレッシャーだった。

嫌で嫌で仕方の無い毎日になった。

そこで登場させたのが自作の日めくりだ。

いわゆる「あと何日」というやつ。

一日が過ぎ、その日めくりを破り捨てると....

なんだか少しは我慢も報われるようで、しかも目標にも一歩近づいたような...気になった...ので、毎日几帳面に続けた。

 


今の目標も相当に厳しいし、というかよく考えれば大学受験より厳しいに決まっていたし(笑)

何よりもそこに向かう毎日が苦痛だ。

なので、実はPC内に「日めくり」が用意してある。

今年から始めた。

毎日は実際に見ていないし、見られない。

なので、気が付いた時に更新しているんだが...

あと896日だったのが、ぼやっとしている間に863日になっていた。

なんだかほっとしたんだが....それほどにまで早く歳をとっている...ということでもある。

残された努力時間の短縮とともに人生の残り時間も短縮しているということだ。

早く63日消化して、残り700日を切りたいんだが...

それは寿命を63日使うことと同じことなんだと...

 


というかすでに今年も1/12が過ぎたことに驚いている。

 

怒りへの対処法~その2~

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setaさんよりヒントを頂いたので、昨日の補完を含めて少し書いておくことにした。

 


昨日書いたような”長ったらしい理屈”を怒りが噴出しそうな直前に唱えるわけではない。

というか、そんな時に唱えられるわけがない。

 


なので、現実にはどうしているのかというと...

案外ただボーッとすることにしている。

じっと怒りを抑える...にはほど遠く、むしろ”遠くを眺めて呆けている”状態に近いんじゃないだろうか?

自分じゃ見られないけど。

 


そうやって、ただ、本当に、ただ、”怒り”が通過してゆくのをやり過ごしているだけのこと。

 


なんだか一見情けない対処法だ。

若い頃、ドラマや漫画で影響を受けたヒーローは皆怒っていた。

”正義のために”という御旗はあるものの、格好よく怒って悪者をなぎ倒していた。

そんなイメージからするならば、自分はヒーローからはほど遠く、戒めるべきをただただ黙って見逃す弱虫だ。

 


恐らく....若い頃からずっと、”そう”はなりたくなかったんだろう。

出来る限りは”ヒーロー”のように振舞いたかったんだろう。

だから多くの場面で”怒ること”を選択してきた。

それは”怒っている自分”がヒーローであるかのように錯覚していたってこともあるんだろう。

 


が...”怒った”結果としてはうまく行かないことが多い。

それでブチ壊し、終生疎遠となったこともある。

どうしてそうなってしまうのか?

と考えてみたらば、当たり前だが、ドラマや漫画の主人公は怒っていても、作者や脚本家は怒っていないから、”その後”もうまく行くのである。

怒るほどのエネルギーがあるのなら、そのエネルギーで、”今後のこと”を考えた方がうんとマシな展開になっていくだろうという、まあ、当たり前の、普通の、考えに至っているだけのことだ。

それが普通の人より遅くなっただけで。

 


怒る前に”今後のこと”を考えられるほど冷静ならば、これまでももっとうまくやってこれただろう。

それほどに急には人間変われない。

で、とりあえずボーッと呆けてしまったとしても、”怒る”よりはマシかな?と。

そこに留めるような努力はしているつもり...

怒っちゃいけない、怒っちゃいけない、と無理に封じ込めようとするとかえって暴れ出しそうなので、怒りさえも忘失するかのようにボーッとした方が良いのかな?と...

 

 

実際には頻繁にイラついている。

頻繁に怒りそうになっている。

その都度ボーッとしている。ボーッとしようとしている....ってことは...

結構一日中ボーッとしているということ。

ま、そんな程度の人間だ。

 

怒って良いことあるの?

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”実力よりも運が鍵を握っている”とは書いてみたが...

ちょと違うな。

運を味方につける行為の影響は大きいだろうな、と言い直すべきか。

 


よくある”風水”とか”幸せカラー”とかの研究とか”方角にこだわる”の話しじゃない。

身勝手な喜怒哀楽に任せない。

といったところか。

 


代表格はいつも言うように、自分の親父だ。

大嫌いだったし、いまだに嫌いだ。

こういう話をすると「なんて親不孝な」という人がすぐに出てくるが、世の中には「同情できる親殺し」が実際に起るわけで、何も知らない人の意見なんざ聞く気もない。

自分の親を見て「こんな大人だけには絶対になりたくない」と思って育ってきたのだから、その責任も自分で取る。

ただ...

哀しいかな、”環境”とか”DNA”とか”遺伝”とかの影響は避けられないのもあるようだ。

”大嫌いな部分”が似てしまっていたりもする。

 


自分を振り返らなかった若い頃には気が付かなかったが、今はわかる。

そんな行動を取るべきじゃないのに取ってしまう。

そんな感情を抱いてはいけないはずなのに抱いてしまう。

冷静に考えれば、事前に対処できたはずなのに、感情に任せて失敗している。

誰のせいでもないのに、その失敗で怒り狂う....

まるで”親父”だ....

 


運が逃げる...

ということではないと思う。

ただ...

そんな自分勝手な喜怒哀楽を蒔き散らかすヤツは...

早い話が、信頼されない。

尊敬もされない。

面白がられても本当には好かれない。

安心されない。

できたら距離を置きたいと思われる。

仲良くしていたいとは思われない。

結果...

本人気づかずの孤独になってゆく....

だから...

賑やかなところを見つけると...積極的に割り込んでくる....

そして...さらに...人が離れてゆく....

 


昔は特に、漫画でも、ドラマでも、直球一本やりのわかりやすい”主人公”が人気のあった時代もあったが...

それは「距離を置いたフィクションの物語の話」

現実にそんな奴が隣に居るならば、あまりにも自分中心で迷惑な存在だ。

自分の親父は今現在でもそんな態度で、しかも自分自身はそれを「正直者の少年のような性格」と思っているので、まともな人は誰も相手にしていない。

...そういうことだ。

 


世の中「自分の力だけで」成功できることはそれほどない。

いろいろな人の助けあって成せることがほとんどだ。

喜怒哀楽は赤ちゃんなら大袈裟でも可愛いらしいが....いい年こいた大人は”少年のようで”では済まされないだろう。

それは...余りにも自分に甘い。

 


自分にはそんな甘いDNAが潜んでいる。

それに気が付いたのもごく最近。

そして、そこまで咎めたならば自然な振舞いなんて出来なくなるんじゃ....と、それが親からの脅しだ。

親をみくびらないように、親を嫌いにならないように、「喜怒哀楽は我慢することなく思うままに表現するのが人間らしいのだよ」と、言い聞かせてきただけのことだ。

よくよく考えれば母親も非常に激しい感情の持ち主だった。

 


喜怒哀楽を抑えるのは、別に作為的なことでもないし、功利的なことでもない。

むしろ、自分だけの喜怒哀楽の発散は、誰も喜ばない。誰も嬉しかない。

 


気が付いたのが最近だからまだまだよくわかっちゃいないが....

そりゃあ周りを見回して、それ相応に自分の感情をコントロール出来た方が、出来ないよりも周囲は穏やかで居られる。

ましてや、怒られるいわれもないのにイライラされた時の不愉快感を感じた時には....

 


これは”運”ではないのかもしれない。

そしてなんだかこんな聖人君子のような生き方は功利的で気持ちが悪いように見えるのかもしれないが...

心配せずとも目指したところで猥雑な人間が完璧に演じられるわけもない。

ましてや”自分”だ。

 


が、嫌いな親父から本当に精神的にも距離を広げようとするならば

違う人間であろうとするならば、

そして、自分の”次なる目標”を達成しようとするならば

身勝手な喜怒哀楽は、その一瞬手前で「考える」べきだろう。

特に”怒り”は。

 


今日もたまたまそんな場面があった。

内心いつ切れてもおかしかないな、とも思っていたが....

不思議と我慢が出来た。

その相手との付き合いは古いが....「やっぱり大人になったねえ、ものすごく我慢強くなった...」と評していただいたんだが....

そうじゃない。

「次なる目標」を是非とも達成したいだけだ。

 


その副産物として、多少でも大人になれるのなら、それも悪いことじゃないし。

再スタート

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あまりにもインターバルが空くものだから...思考が連続していないんだが...

まあ仕方が無い。

その間、ブログは書いていないんだが、仕事はしている。

トレーニングもサボらずしている。

正直あまり暇がない。

 


昨年末の思わずの目標の達成と無茶な多忙さで喜怒哀楽を失ったままの生活をしている感じだが...

少し...落ち着いてきて、いろいろ考え始めている。

趣味すらなかなかやれなくなってきていること...

いや、それほどにやりたい趣味があるのかということ...

趣味がなきゃいけないのかということ...

どっちでもいいか?

 


でも、目標はある。

昨年末に達成したばかりだが、やっぱりまた出てきた。

今度はもう少し複雑な目標だ。

そのチャートのようなものも作成した。

かなり具体的にはなってきた。

ということは、実現も具体的なものであって曖昧でない分、達成は難しいとも言える。

 


こうして...人が...人生厳し目に判断しているというのに....

大相撲だけならともかく、harenohi だとか コインチェックだとか...

そんな事業に邁進できる根性が、怒りを超えてもはや羨ましい。

それに比べりゃなんと涙ぐましい。

コツコツ、ねちねち、雀の涙を積み上げるような人生なのに。俺は。

 


ま、ボヤいていたって仕方がない。

ともかく昨年末の目標達成は、気分的にももう過去のものとなった。

”この先”の目標を立ててしまったので、振り返る暇もなくなった。

 


ただ...”この先”の目標の実現は非常に厳しい。

恐らく...

自分の実力よりも運が鍵を握っている。

自分のコントロールできる範囲を超えてきているからだ。

頑張れば必ず達成できる領域ではないということ。

となればドキドキ冷や冷やの毎日ということになる。

 


ただ...今回は〆日が決まっている。

人生ゲームで言うなら「決算日」のようなものだ。

そこまで....とりあえず逃げずに頑張るしかない、ということ。

そこまで865日。

 


もちろん...力及ばずそこまでに終わってしまうかもしれない。

人生ゲームにはそんなルールは無かったと思うが、”自分だけ”清算を迫られるということは、現実の人生では起こりうる。

そうなりゃ残り30日で終わるってこともあるってことだ。

 


こんな人生は今に始まったことじゃない。

リーマンショックの頃から、「とりあえず3年は頑張ってみよう」「5年後まで頑張ったなら...」そうやってここまでやってきた。

 


「あと3年持たないかな?」と思っていたリーマンショックから近々10年になる。

気分爽快な日なんてほとんどなかったが、厳しく充実はしていたと思う。

なのであまり楽しかったという記憶はないが....

3年で終わらなくて良かったという安堵感はある。

それをさらに865日続ける。ということだけだ。

 


昨年末の目標達成時には、ひょっとしたらもう少し気が緩むかも?とか思ってたけど、案外しっかりしていた。

東京オリンピックまではあと906日らしい。

東京オリンピックをどんな気持ちで眺めているんだろうか?

今のところ全く予想が出来ない。

迷った時の選択肢...すら減っている

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頑張ってはいるつもり...だけど....

事態は年々深刻になっている...と、思う。

努力は実を結んでいないこと...にもなる。

 


その通りだ。

しかし....例えばプロ野球の二軍選手だったり、高校野球の補欠は頑張っていないのか?

と、言うなら、そんなことはないだろう。

一軍の選手やレギュラーより、うんと頑張っている人も居るはず。

大都会のサラリーマンやテレビタレントとて同様。

 


頑張っていても....実を結ばないことはある。

いや、その方が多い?か?

 


わかっちゃいるんだけど....

諦めきれない。

その思いだけでここまで踏ん張っている。

ここで踏みとどまっている。

が、力尽きようとしている....

のがわかるから....焦りや不安が尽きない。

 


いつも以上にヒドかった年末年始は結局のところ12月に入ってから2日間だけの休みでここまで来た。約50日で二日の休みだ。

 


「要領が悪い」という人も居るかもしれないが、「やるべきことを残して」は休んでいられなくなっているだけのこと。

どうしてか?

そこで終わった場合に後悔に変るから。

 


という50日を乗り越えて...

初めてまともに休んだ。

仕事の事は何も考えれらなかった。

リフレッシュ?

とんでもない。

ただ、仕事の事を含め、何も考えたくなくなっていただけのことだ。

 


そんな折に偶然「徳さんのバスの旅?」かなんかを見た。

よくわからないけど....

こんな時間の過ごし方もあるんだと....なんだか妙に羨ましかった。

 


若い頃だったら...

こんな状況なら

もっと悩んだと思う。

もっと後悔に襲われたと思う。

それが...案外すんなりしているのは....

冷静だからじゃない。

選択肢が無くなった、もしくは少なくなって迷う必要すらなくなっている、だけのことなんだろう。

 


まだ死にはしないと思うけど...

最後の道は選択肢ゼロで「死」なのだから、それに向かって着実に選択肢を減らしてゆく年代に入っているんだろうなぁとか思った。

 


リアルの生活じゃあ、そんなに暗くはしていないんだが....

正直楽しいことも少なくなっている。

 

努力すべきだった日々

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別に野球が得意だったわけでもないし、プロ野球選手になりたかったわけでもないが...

清宮君のニュースを見るにつけ、どうして自分にはこういう道がなかったんだろうか?とか思ったりもする。

 


もともとの素質が違うとか、環境が違うとか、生い立ちが違うとか、両親が違うとか、そんなとかとかは解っている。

別に人気者になりたいわけじゃない。

ひのき舞台を目指そうとしなかった自分、

いやさ、どこがひのき舞台なのか知らなかった自分

いやさいやさ、ひのき舞台よりも日陰者に興味があった”昔の自分”が忌まわしい....

 


が、結局のところ....

「ああしておけばこうなっていたかもしれないな...」

「こうしていたらこっちの人生があったかもしれないな...」

などと思ったところで....

”過去のその時点”では、それを選択しなかった自分が居たわけだ。

もしくは決断せずに流れに身を任せるという”選択?”をした自分が居たわけだ。

 


細かなことまで含めて、そういった選択の連続の結果が「今」だ。

都合のよいところだけ切り取って、「ああしておけば....」と考えてみたところで「現在の自分」は変わらない。

仮に....

もっと”上出来の過去”なら...上出来の過去...であったとしても....

それはそれでどっかで傲慢にまでなっていて...案外今頃には「おごれる人も久しからず」となっていたかもしれない。

 


目標を掲げ、遅まきながらも「努力が必要なんだ」と思うようになっているのは、面白くないし、楽しくもないし、重苦しい毎日なんだが...

「おごれる人も久しからず」...よりはマシなのかもしれない。

 


それだって...

「やるべきことをやっていなかった」

「気が付くべきことに気が付いていなかった」

という”負の過去”があったゆえに....

「昔より多少は考えるようになれた今」となり、「”気が付かなかった昔の自分”に気が付くようになれて」いるのかもしれない。

 


なんだかややこしい話だけれども...

要するに...”昔に”

気が付いているものならば”今”の自分にはなっていないし、努力しているものならば、”今”こんなことを考えてはいないということ。

 


そもそも...

”願望”剥がして嫌な面まで”昔の自分”を振り返ってみるならば...

 


相当にヒドい....

ある意味....

こんな”今”でさえ、上等だとも言える....

人生よくぞこの特俵で残っていてくれている....

とさえ言える。

 


そんな分際でありながら....”昔のうちに”

「気が付いていたら」

「もっと努力していたら」

今以上....という推測は...ただの”100%実らない空想”に浸っているだけのことなんだろう。

 


過ぎてしまった”努力すべきだった日々”のことを考えるより、カーネル・サンダース安藤百福を見習うべきだ。

新年早々仕事、仕事、仕事

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新年早々の三連休は全て仕事をするハメになった。

モヤモヤした気持ちにならないわけでもない。

 


が、仕方がない。

多分いろいろ考えても、迷っても、これしかない。

こうするしかない...と思う。

 


そりゃあ独りで仕事をすることになっているんだから、あれやこれやと考えないでもない。

違った人生もあったかも...

違う人生を選べるかも...

...

...

が...全て妄想だ。

 


過去をやり直すことが出来ないのは当たり前だし、ここまで来ての路線変更もありえない。

ある...とするなら...”今”の仕事が終わってからの....路線変更だ。

それも...望ましい方向とは限らない....

 


つまり...”今”

に、しがみつくしかない。

 


これを「哀しい」とか「虚しい」と言ってしまえば、自分の人生が、毎日の生活が、「哀しいもの」になってしまうので、そんな風に思ってしまうなら、なお寂しいことになるだけだ。

なので...

「仕方がない」に留めておけばよいことだ。

 


決して前向きな姿勢で三日間を過ごしたわけでもないんだが...

”今”にしがみつくのが一番良い選択だろうと、

そのためにする”努力”には裏切られることもないだろうと、

新年早々から土俵際で踏ん張っているわけだ。

 


”目標”でも無けりゃやってられねー。