小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

さてさて誤魔化しきれるかな?

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先日、高校時代の友人に会った。

ちょくちょく会うんだが....

照明の関係か、お疲れか?、妙にシワが多く見えた。

 


どちらかと言えば自分よりも若々しい奴だったので、予想外なんだが....

これが現実というもんだろう。

 


人生100年時代だとか、70歳までの雇用延長だとか言われ始めもし、アンチエイジング大流行で....

なんだか”老けること”は悪であり、除去しなければならない風潮が漂っているように思えるんだが....

生物的には命の伝達も出来ないような生き物に餌を食う権利はないわけで。

それは残酷でもなんでもなく、地球上の貴重な資源は「未来の生物のために」使うべきなのだ。

そんなことは他の生き物は皆わかっていて...DNAでそれを引き継いでいる。

つまり....子孫が生まれたら親は死んで子孫に餌が行き渡るようにしてやるのが当たり前。

それをブチ壊しているのは人間だけだというのに....

どれだけ生きれば気が済むのかという話。

いずれ....バチは当たるだろう。

 


という渦中の年齢に自分も当たることを再認識した。

ようやく落とし所は見つかったんだが....

そこまで混沌とした一因には”衰え”もある。

気力でリカバリー出来なくなってきているのだ。

これまでとは....

違うたしなみ方、違う行動の仕方、が必要となるなら....違う考え方も必要になるということ。

ここまで彷徨ってきたことも無駄ではなかったと思えた。

 


なので今後の5年とて、楽しい計画であるはずがないし、おそらく達成感のある終わり方にもならないと思う。

良くて....せいぜい....「なんとか5年過ぎたか...」という安堵感だ。

開始早々すでに厳しい問題ばかり起きているし....

 


でも、それは仕方のないことだと思っている。

途中でも書いたが....

人間既に余分に生きているのだ。

ある意味地球上に必要もないのに、人間だけが無理矢理に寿命を延ばして生きようとしているのだから....

そりゃあ”生き辛くて”当然だ。

 


自分とて....「あと5年」は....自分の思想や体力を考えてのことではない。

日本に住まう以上日本の法律や制度やしきたりをふまえると....

「もう5年」は頑張らないと不幸になることが予想されるので....

「仕方なく」ってところなのだ。

つまりは....

もう5年は頑張らなきゃいけないことに観念させられたってな結論だったわけ。

 


もともとに楽しくあるはずもない5年を楽しいものであるかのように一生懸命誤魔化して行く5年になるんだろう。

 

我慢

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混沌?...から....一歩...いやそこまでいかないかな?

血の海から「手だけ」でも、抜け出してきたカンジ。

 


「視界が開けてきた!」というよりも....残念なことに....いろいろ考えあぐねたものの....

最低でも、もう少しは頑張らないと、嫌でもここまではやらないと....ってな”線”が見えてきた。

奇しくもまたしてや....ほぼ5年という期間を。

 


世の中というのは大体そういう周期で流れているんだろうか?

1年程度のズレはあるものの....自分の場合は大体5年で移り変わっている。

 


当初は五ヶ年計画なんてものは存在しなかったけれど....

「ともかくこのままじゃあいけない」....とジョギングを始めてから来年で20年になる。

その間良くも悪くも大体5年で「次のステージ」に移っている。

感心するほどに。

 


それになぞらえて言うなら、今は4期目の終了間近。

いわゆる政権で言うならレイムダック状態。

だから「次」が見えて来ずに混沌としていたんだろう。

 


まずは先日も書いたように”短め”の目標は出てきた。

本音は「もう頑張りたくない」....んだが....

世の中お金は必要だし、ある程度の自由はお金があってこそ....というところもある。

どっちで妥協するのかといえば....精神的にも肉体的にも「仕事」を選ぶしかないかな?

というところ。

それが1年9ヶ月の根拠だった。

 


最低”そこまで”頑張れば...もう何もかもやめてしまってもいい。

あとたったの1年9ヶ月。

比較はおかしいが、高校や大学にろくざに顔を出さずに遊び狂っていた期間はそれ以上なので、1年9ヶ月なんてあっと言う間だということは想像出来る。

正しく言えば....”後々後悔するぐらいに...”あっと言う間に過ぎていることに気が付かない期間だ....

 


その答に辿り着いた時には....正直ホッとした。

人生ここまで来ていたのか?とか思ったりもした。

...でも....そのジ・エンドでは....実はその後の人生は....ちょっと我慢しなきゃならない。

もうお金の入るアテもない年齢だからして....その”我慢”はずっと続くことも想定される。

 


今も辛い毎日だ。

が、その分少しでも将来の蓄えを積んでいる。

一日100円でも一年36500円になるように...辛いが...将来には楽の種を増やしている。

その辛さと、どうしようもない辛さは多分....全然違うような気がする。

もう少し....出来うる限り...今の辛さに長く耐えてみてはいかがなものか?

本当に1年9ヶ月で切り替えてしまって後悔しないか?....

 


ってなところから最大限譲歩したプランを構築してみた。

これからの”積み上げ”じゃなく...予想される結果からの逆算だ。

俺の人生ここまでは届きたいってな....

そうしたらもう後悔ないな....と。

 


”それ以上”ってな向上心も必要なのかもしれない。

が、もともとが1年9ヶ月でさえもうシンドイのだからして、あんまり無理な注文も消化できないだろう(笑)

 


そしたらば....

たまたまに....

大体あと5年....ってなところが見えてきた。

奇しくも....前倒し等でブランク空いたけど....

やっぱし5年だったんか....ってなカンジ。

 


正確に言うと5年と8ヶ月。

本当は6年と8ヶ月が「完走」なんだが....

まあ...1年ぐらいは早くに楽させてやってもいいかな?と

1年という褒美ぐらいは自分に与えてやってもいいかな?と

そう考えたら....妙に”丁度良いライン”が見えてきた。

 


また5年も頑張らなきゃならないのかよ。

正直そんな気持ちも大きいんだが....

もう4回も5年頑張ってきているので、5年間という期間の感覚には慣れてもいる。

なので、丁度良いところかな?と。

ハマる時はピタっとハマる。

それが神の思し召しだと思う。

 


今度の5年で何をするってわけじゃない。

もちろん細かく考えていることもあるんだが...

中心は....ただただ、ただただ、我慢するだけ。

どんなことも我慢して働き続ければ....

それで合格だ。

それで自分の人生は合格だと言ってやれる。

目標は....

「あと5年我慢し続ける」だ。

 


人生良く出来ている。

おそらく最後になる5ヵ年計画の目標は....

一番苦手で今まで成し遂げたことがなかった....

 


「我慢」だとは....

 


苦々しいにもほどがある。

哀れな自分は案外清々しい

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過去を深堀りすることは....

おどろおどろしい後悔に取り憑かれることになろうから....

やめておいた方が良いと言われるのだろう。

 


たしかに....後悔しようもないほどに努力していた人ならば....

「これ以上一体どうしていたらヨカッタと言うんだ」....のような怨念が生じてもおかしくはない。

自分もそうなるのかな?とか思ったりしたこともあった。

 


が、実際に自分の過去に出かけてみたらば....

 


自分は...恐ろしいほどに努力をしない人間だったことを思い知る。

一体、あれほど大量にあった時間をどう過ごしていたのか?

そこに不思議さを抱くほど、努力の形跡がない。

 


たしかによくサボってはいたんだが....

遊びとて....真剣に夢中になっていた....ようでもない。

 


随分と昔の記憶になるので、今からの想像も混じっていようが、「しっかりと遊んでいたから」努力する時間が無かった....というよりも

ただ単に「努力するのが嫌なので」ダラダラとサボっていた時間がほとんどだった....と確認できてしまう。

残念だけど。

 


運動会の直前とか、試験の直前とかに、”急に”頑張ってみたことはある。

でも、そんな程度。

しかも....そんな”程度”を「短い期間ながらそれなりに集中したからまずまずの結果を出せた」....な~んて平気で思えていた。

 


アホだ(笑)

 


そういうことが自分の場合は、過去を振り返れば振り返るほどによくわかってくる。

たしかにそれでも人並み程度の成績とかあったから....

「やれば出来るよ」なんてよく言われたりもしたんだが....

それが”おだて”の言葉であることすら見抜けないほどに...

 


アホだった(笑)(笑)

 


ということがよ~くわかってくる。

 


となるとどうなるのかと言えば....

後悔どころか....

むしろ”現状”に肯定的になってしまう。

いや、”現状”に対する不満や不平は消えないんだが....

それらの不満や不平に対して、自らが....

「そんなこと今更言ったところで、こんな程度にしかならないように生きてきたのは自分でしょうが....」と打ち消すようになってしまう。

 


誠にけったいな状態なんだが....

”取り憑かれる”どころか...妙に清々しくなって...「いやいや...その割りにはマシな方なのかもしれないな」とか苦笑いが出てきてしまったりする。

 


なので悔しさとか悲しさとかはあまりないように思う。

それがいけないのかもしれないが....

 


こういった思考を始めた最初の頃よりもどんどんそうなってきている。

いわば反省探しのために過去を振り返れば振り返るほどに....

「なるほどな、だからこんな程度なんだ」と、妙に納得するようになっている。

 


決して自分に合格点を出しているわけでもない。

が、振り返れば振り返るほどに、過去の自分は「野望や意欲や執着だけは」大きいくせに....

それを達成するための努力は雀の涙程度だったのだ。

それがわかってしまったら....今度は急に、焦って、取りかえそうとして...「空回り」ばかりなのだ。

 


それだと....

「努力しなかった人生が半分」

「残りの半分が空回り」

併せたものが「自分の一生」

になってしまう。

 


さすがにそれは嫌だ(笑)

そして、まだ諦めたくはない。

努力で不幸から遠ざかることが出来るのならその努力の端っこぐらいはつかんでいたい。

 


そのために必要なのは、まずは”格好つけていない正直な等身大の自分の把握と確認”かな?と。

自分の脳裏にしかないのをいいことに、けっこう誤魔化したり、格好つけたり、装飾したりしているわけだ。コッソリと。

そんな現実離れした自分の上に作戦を展開したところで....そりゃあ砂上の楼閣作りに邁進しているようなものになるだけだろう...と。

自分に言い聞かせているわけ。

 


いい歳こいていまだまだ自分をコントロールできていない。ってことだ。

なので冷静に自分のことを研究しつつ進んでいくことかな?と。

 


毎日探しながら、試行錯誤しながら、雀の涙程度の努力をしながら....

それでもとりあえず諦めなければ....何も考えていないよりはマシな人生にはなるんだろうと...

 

 

 

体重を知ってることが自分を把握してるってことじゃないだろう

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”自己分析”やら”本心の掘り下げ”やらは、あまり素人が勝手にやらない方がよろしい...とか聞いたことがあるんだけど....

自分の場合は「やって良かった」と思っている。

 


当然ながら「ここまでの経緯」を元に自分を暴いていく作業なので、「過去の自分をどう捉えるか?」というところが鍵になる。

あくまでも”自分の場合”ではあるが....楽観的というか...肯定的な見方は”その時点”では安堵感をもたらすかもしれないけれど....その後の自分を幸福には導かないと思う。

極端に言えば、「生まれながらのままで脱皮の必要もしないなら」....そりゃあ虫でさえ社会で通用しなくなる。

欠陥とまでは言わないものの、”欠点”や”足りない部分”を正しく認識できてこそ開ける未来もあるってもんだ。

 


もともとに自惚れ屋ということもあって、まさかの自分に醜い部分や汚い性質や卑怯な心なんて「あるはずがない」と言いたいんだが....

そんなもの....恐ろしいほど「持っている」。

本田圭佑は「サッカーの腕前や運を持っている」らしいのだが....自分が持っているのは残念ながらあまり良くないものだらけだ。

 


しかし....それもちゃんと考えれば当たり前のことだ。

良いものたくさん持っているならば....とうの昔にブレイクしている。

”そこいらへんの一般庶民のままでいる”事自体が、”足りない部分”の多さを証明している。

 


自分のことを正しく知ろうと言うもくろみがなかった時は、ほぼ肯定的である一方で、よく悩みもした。

いや、悩むというよりは「よく、人に憤りを感じた。」

....これは普通「人のせいにする」とも言い換えられる。

 

 

”人体実験”やら”自己分析”によって改めて見る自分ははっきり言ってみっともない。

正直残念だ。

が、だからこそ「今出来ていないこと」「これまで出来なかったこと」の理由ははっきりとわかってくる。

そりゃあ”環境”や”成り行き”の影響が皆無とは言えないが....

どんな理由があるにせよ....今の自分に至っているのは、やっぱり”自分のせい”だ。

”そこ”が理論的にも、よーく納得できるようになる。

 


”残念な自分”....だからくじけてしまう....のではなく、

”自分が残念な存在”であるからこそ、”残念な位置から”スタートするしかないんだな、ってのがよくわかる。

 


自分のサイズを正しく知らなかった時は....

飛びついても届かないものへの努力で疲れ果てもしたし、

大事な人を付き合うに値しないと邪険にしたこともある。

何よりも、出来もしないところまで想像するのは勝手だが、いかにも出来るかのように振舞った。

そんな装飾は全く無意味だというのに....

 


くどくどと同じようなことばかり書いているブログで、

何の前進も無いように見えるだろうけど...

これでも、”足りない自分”と向き合うようになったことで

随分と変わってきていると実感している。

なので今後も続けるつもり....

 


足りない自分でも愛おしい....

などと思うはずはない。

悔しいとまでは思わないが...哀しいし、寂しいことだし、残念だ。

虚しい....かな?やっぱり。

でも、それが等身大の自分だ。

けっこう虚しい....

のが等身大の自分なので、せめて少しでも....

虚しくない人生にして行きたい

ってとこなんだろう。

 


別にこんな顛末を願ったわけでもないし、狙ったわけでもないんだが....

”自分研究”をするようになってからの方が...案外淡々と生きている。

静かになったというか....

 


ひょっとかしてただ歳を取っただけだったりして....

「膿を出し切る」って簡単に言うんだけれども....

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団体内の相次ぐ不祥事にお偉いさん方が好んで使っているようだが....

「出し切った」ところは見たことがない。

 


まあ、所詮は自分のことじゃないので冷ややかに見ているけれども....

出し切っていないということは....

また膿んでくるということだ。

 


「自分を成長させる」とか、

「自分を変える」というのも同じことだと思っている。

”膿”とまでは言わないが、「自分の成長を止めているモノ」やら「頑なに変わろうとしない部分」をまずは見つけ、それをどうにかしてやらないことには....

一生懸命走るだけ走っても....

多分....徒労に終わる。

 


くどくどと同じような反省やら後悔ばかり見つけ出しては、羅列しているこのブログとて、永遠にそれを続けようと思ってのことじゃない。

出来ることなら早いうちに...「出し切りたい」のだ。

出し切って、正すべきことをハッキリさせなくては....

どんな努力もまさに「膿上の楼閣」になってしまうだろうと....

だから見つける度に書き残しておくようにしているだけのこと。

 


そもそもに....

現実の世界では、ここに書いているほど反省や後悔ばかりしているはずがない。

そんなに暇じゃないし、そんなことに熱心でお金をいただける場所はない。

 


さらに言うなら実は次の目標はもう出来ていて....

それに向かって歩み始めてもいる。

 


えらい猛暑で流石に夏は気絶したかのようになっていたけれども....

回顧ばかりじゃ前に進めないと....一月ほど前に大枠を定めた。

今回の期限は短い。

1年と9ヶ月だ。

明日にも終わるかもしれない立場のくせして....5ヵ年計画は夢過ぎる。

まずは絶対に譲りたくないところまでに全力を集中すべきだ。

 


ただ....目標を達成するということは本当に簡単じゃない。

ましてや年齢も年齢なので、やり直しも効かない。

すれば短所や欠点や醜い部分が「無いかのように」蓋をした自己評価で、本当のカイゼンなんて出来るものなのかと....

 


ということで目標達成への努力と、「俺の膿って何なのさ」を平行してやっているというわけ。

 

本庶佑さんからの話(2)

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そこからの比較で自分を見てみるなら

現在の自分がどうしてここに居るのかもよーくわかる。

それはもう”居るべくして居る”ようなものだ。

人生はやっぱりそうなっている。

なのにその位置に不服を感じる俺や親父はどこか自己評価が狂っている。

 


たしかに少々は頑張ったこともあるのかもしれない。

だから最低ではない....と、思う....

でも、やっぱり”少々”頑張った程度。

 


親切な気持ちが無くはない。

が、思いやりが強いと言えるようなところまででもない。

良い人と思われたい姑息な程度?

だからそんな程度。

 


突発的にまあまあの成績を出したこともある。

が、平均したらしれている。

やれば出来る?

”やろうとする能力”が備わっていないだけのこと。

だからこんな程度。

 


小さな小さな集団の中では運動も出来た方なのかもしれない。

”評判だけ”

結果は?

日本一という結果すら?

...残したことはない。

 


全てにおいて....

平たく言うなら「しれた程度」。

ただ....御世辞のネタぐらいの長所ではあるようで...

そんな”ホメ言葉”を真に受けただけのこと。

なら、結果も「しれた程度」で、むしろ上出来なぐらいだ。

 


それをかなり「出来る方だ」と勘違いしてきた....

そんな、これまでの人生に後悔がないと言ったらウソになる。

が、後悔してもしょうがないほどに、あれもこれもが「不出来な自分のせい」だということを、

本庶佑みたいな人が現れると....

よーく思い知らせてくれる.....と言うわけ。

 


なんだか、不思議だけれど、少しスッキリさせてもらえたりする。

改めて....「あー凡人なんだな」と肩の力が抜けたりする。

並のくせに気張っていた自分が恥ずかしかったりする。

いや、俺と同じく”凡人のクセ”して....

安倍総理をコキおろし、貴乃花をコキおろし、高橋吉伸をコキおろしている父親は....

一体何様にまでなっているのかと恐ろしくなってしまう。

俺も...そう覚醒してしまっている時があるんじゃないだろうか.....

 


いや....自惚れるぐらいだから、ありえない挑戦も出来てきたんだ....と言ってくれる人も居るんだが....

それも否定したい。

それら自信があるかのように見えた挑戦は....

”フザけられる範囲”でのこと....

真剣な場所での挑戦じゃない。

自惚れと自信は全く違う次元だ。

 


まあ....ただ....並の割には上出来なのかな?と思ったりはする。

それは....”単に運が良いだけ”の分だろう。

気が小さな分だけ、無意識のうちに防いだ失敗ってのもあるんだろう。

 


ありがとう本庶佑先生。

さすがは医者だ。

こんな私さえも遠隔操作で直してくれる(笑)

 


少しスッキリしてきた。

まだまだ予想円は小さくならないが....

少しながら方向性が見えてきた。

 

本庶佑さんからの話(1)

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気が小さく馬鹿なくせになんて思い上がりが強いんだ。

だからすぐに舞い上がるくせに落胆しやすく、結果腰が据わらずずっと右往左往の人生を繰り返す。

いい歳こいているのに子供っぽいという可愛らしさでは済まされない。

大したことなど何も達成していないのに、どうしたらそう思えるのか?自己評価だけが高い。

一体どこの世間を見ているのか?と。

自分に都合良く見えるようなルーペでもかけているんじゃないかと....

 


と、父親を見てそう思ってきた。

だが...本庶佑さんを見ていると...

哀しいけれど自分も父親側の人間であることを思い知る。

少しどころじゃない。

本庶佑さんの生き様とは大きくかけ離れている。

 


実にみみっちい。

実に姑息。

大きく、勇敢で、立派なように見せているけど

心根はそれとは裏腹のようにみみっちい。

だから人生が全く違っている。

能力ももちろんだけれど、それだけじゃない。

 


かけ離れた能力ある人を見た時に、自分が凡人であることを再確認させられることはよくあることだけれども....

例えば大谷君とか大坂さんとかだとは、見てくれからもう違い過ぎて、自分とは比較対象にないことが最初っから明確なので、本気に”違い”を考えるまでには至らない。

 


が、運動系等でない方々の超人具合は、単純な視野の自分にとっては”見てくれ”も自分と似たサイズ感なので、「それなのにどうしてこんなにも違うのだ」ということがより浮かび上がって思い知らされる....ということがある。

 


伝記に出てくるような偉人さんも本来そうなのだろうけど....やっぱりリアリティに欠けるので、というか自分の想像力が欠如しているのか、インパクトは薄い。

しかしながらライブ映像まで見られてしまう現代じゃあ、”生きている人は”あたかも教壇の先生を見るぐらいの近さでは感じることが出来てしまう。

 


自分より能力の高い人なんか本当は周りに腐るほど居る。腐るほど居た。

本当は気が付かないわけでもない。気が付かなかったわけでもない。

「自分のが下だとは認めたくなかった」ってのが大きいんじゃないだろうか?

 


のように...あまりにも身近な存在だったり、どんぐりの背比べ程度の違いだと....

妬み嫉みぐらいしか思い浮かばなくなるのかもしれない。

 


が、本庶佑さんぐらいにまでかけ離れると....逆立ちしても追いつけない地位であることが明確で、同じ人間としてどうしてそんなにも違ってしまったのか?

までよーくわからせてもらえる気がする。

 


何もかも違う。

もちろん親も違えば、育ちも違って、選べない環境さえ違うのだから「そもそものスタートが違う」とも言えるんだろうけど....

むしろ....物心ついた頃からも”加速度がついたように”違って行くので、呆れて笑うしかない始末だ。

 


ノーベル賞を狙っていたのかどうかは知る由もない。

が、狙わずとも至るような選択の人生だ。

”研究が”....だけではない。

むしろ”研究以外のことまでも”

生き様というか選択眼というかそういうものが自分なんかとは「全然違う」からこそ、ノーベル賞にまで至ったことがよーくわかる。

いやさ、ノーベル賞なんてどうでもいいのかもしれない。

ともかく自分とは全く違った人生になったことをよーくわからせてもらえる。

恐らく....友情、恋愛、師弟観、家族、仕事、研究、未来、責任、金銭感覚......全てのことにおいて....

残念過ぎるのだが....

自分と....あまりにも”違いすぎる”のだろう。