小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

転換点

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昔....「地球の歩き方」なんて本が流行った。

まだインターネットなんぞ無い時代だったので、見当がつかない海外の貴重な情報源にされていたんだと思う。

自分にとっては「現代の日本」とて、似たようなものだ。

「日本の将来の歩き方」なんて本があるものなら、すぐさま購入してしまうかもしれない。

 


そんな「これからの人生の歩き方」の変更の必要性を感じさせたのは「仕事の需要」からだったかもしれないんだけど....

さらに強烈な示唆になったのは....子供の自立だと思う。

 


「独り立ち」の出来ない子も居るという時代なので、もちろん冷静に判断するなら、有難いし、喜ばしい事態....なんだけれども....

正直やっぱり寂しいし、喪失感は大きいし、何しろ面白くない。

 


が、これからの人生はこんなことだらけになる。

ぐらいは想像できる。

仕事が....どころか....家族が、友人が、最後は自分が....

 


....そんな現象は....

やっぱり楽しいはずがない。

が、「楽しくない」だけで終わってしまうなら....

毎日しかめっ面して、クソ面白くない人相をしたジジィになってしまうのだ。

 


20年前にジョギングを始めた時もある種似たような状況だった。

スーパー銭湯で子供の服を脱がせる時の自分の垂れた腹、垂れた頬を見て

「いつの間にこんなんになっとんじゃー」とビックリして....

「こりゃ、なんか、変わらなきゃ」

と思い立った。

 


たったそれだけの起点だったんだけれど....

それからの様々な派生効果を考えると....

あの時に気がついていなかったら....現在は恐ろしいことになっていた。

 


下手したら....既に死んでいたかもしれない。

 

平尾誠二

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残念ながら若くして亡くなってしまったラグビーの平尾が好きだった。

コアなラグビーファンの方からするなら、「彼のようなスマートなラグビーは現在の世界じゃ通用しない。」

「個人のフィジカルをもっと上げていかないと」というご指摘があるのかもしれないけれど....

でも、あれだけの実績がありながらも、しかも血気盛んで獰猛なスポーツにおいて....

奢らず、威張らず、冷静に努める彼の姿勢は尊敬に値していた。

私もイケ面だったなら、彼の生き様を真似していただろうに.....

 


そんな彼の講演を聞きに行ったことがあった。

壇上に現れた彼は....何故かラグビー界の数々の連勝記録を塗り替えたような威厳が一つも感じられず。

もう現役も退いていたからか、スポーツ選手とは思えないほどスマートで、人前で話すことは苦手なのか?

なんだか異常に照れていた。

 


本人曰く....

ラグビーのような勇ましいスポーツをやっているので、豪放だったり、強引だったり、そういったどちらかと言えば勇敢な性格に思われがちなんですが....実は全然違うんです。」と。

「どちらかと言えば神経質で、失敗をしたくない小心者です。心配性と言ってもいいです。ラグビーも”豪快”というよりも自由に走り回れるところが好きだったというぐらいで....だから”開き直る”とか”当たって砕けろ”のようなことが全く出来なかった方です。」

「ですが....大学でキャプテンをやってきた時に、慶應と当たることになって、当時の慶應の攻撃力は破壊的だったので、『ともかく失点を抑えよう』とディフェンスの練習ばかりしていたんです。」

「それを見た当時の監督の岡さんが....『お前勝とうとしとるんか?』と....」

「だから失点を出来るだけ抑えないとと思って....『いや、お前0点でラグビーの試合で勝てるんか?』と」

「『仮に失点を10点に抑えても、点取らなんだら負けるんやろ?わかってんのか?』と言われまして....」

「続いて『そもそもラグビーは点を取り合うスポーツなんやで、ムコウさんとて点を取りに来るのは普通やろ、ほんで取られたならしゃーないやんか』と」

「えっ、”しゃーない”で済まされるのか?と.....ハっと目が覚めたりする方だったんです。」

「この岡監督というのは私と正反対の思考をする方で、とても勉強になりました。なにしろ入学当時にすぐ『お前のラグビーはオモロない』と言われまして....”オモロい”ラグビーなんてあるんかいな?と思ったぐらいです。」

「が、結果慶應に競り勝つことが出来、岡監督の眼力というか、開き直りというか、覚悟というかそんなものの大切さを知ったわけです」

 


という話だったんだけれども....

この時は「オモロい話やな~」ぐらいだったんだけれども....

今、少しだけ、なんだか共感することが出来てきている。

心配性で小心者で失敗したくない性格の自分でも....

「開き直らないと進めへんやん」という場面はあるんだろうな、と。

 


平尾氏曰く

「絶対負ける」と思っていた試合で勝ったのはこの時が初めてということでした。

開き直り

 

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「開き直る」という言葉はよく聞くんだけれども....

自分は苦手な方だと思う。

というか....これまでの人生はむしろ開き直ってこなかったと思う。

いや...「開き直れなかった」....が、正解か?

 


多分....大失敗は少ない方。

それは「開き直らなかったから」というのも大きい...と思う。

慎重派というか、小心者というか、失敗しない派というか、安全策を好むというか....

そんな気質のようで、最後の最後まで開き直らない。

だから大きな失敗にも至らなかった...とは思う。....

ゆえにに.の....期待を裏切るほどの大きな進歩や大きな展開というのも無い人生だったんだろう。

全てが結構安全策。

それはどちらの人生が良い・悪いというものでもないと思う....んだが....

 


ただ、周囲からの評価はむしろ意外にも逆で、

豪快、思い切りがいい、などととらえられているみたいであって....

まあ、そういった面も無くはないが.....

多分それは自分にしては”隠れ蓑”。

より”開き直らずに”済んでこれた人生に、うまく利用していたんだと思う。

 


早くのうちにも「これじゃどうにもらちがあかない」という壁を感じた人は

「開き直るしかない」場面を早くから経験できたのだろうと推測する。

自分は幸い?にも、逃げ道をいつもうまく見つけて....開きおならずに済んできたんだろうけど....

さあ、それは”幸い”だったんだろうかね?....と。

 


今回も、散々に、3年ほど「逃げ道」を探したんだけれども....

残念なことに....

もう”逃げ道”はそんなにも残っていなかったんだろうね。

ついには「開き直って」下り坂を下る選択しか、なくなったんだと思う。

 


今はその不慣れな「開き直り」を毎日練習している最中だ。

A型だから完璧主義?

血液型性格判断を信用してはいないけれど、自分はたしかに完璧主義。

×が一つでもあると気になって仕方がない。

むろん、歳とともに多少融通もきくようにはなっているんだけど....

”本心”のところでけっこう気になってしまう。

 


だから「開き直る」ということは

「100個のうち1個の×を許せない....からの....どんな展開も考えられない」」

みたいなところがあって....

仮に「開き直れるものならば....」

「10個ぐらい×ならマシか?」

となることで...

今までと違う尺度が登場したりして....

 


自分でも慣れてもいないし、不思議なんだけど

だからこその....

「開き直った」効能やら、気楽さやら、爽快感?やら、軽快感?までもを

「下り坂」に入る覚悟が出来たからこそ.....

少し味わうことも出てきてきたのだろうかと....

 


それはそれで...

人生初めての

新鮮感があったりして

予想外の感想に浸っていたりもする。

浦島太郎

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結局のところ....

子供らの自立が「上り坂の人生の終わり」に引導を渡したのかと思う。

 

父親としての自覚もあった方ではないと思うし、

役割も大して果たしてはいなかったし、

それほどに父親としての重い意識を持っていたとは思えなかったんだが....

 

そんな自分でも....父親になった途中ぐらいからは....

いっぱしの責任を背負ったつもりではいたんだろうか?

今となってはなんだか少し懐かしい....

 

そして...奇しくも上り坂の人生と重なって....

父親=自分となり、自分=自分の姿や考え方をしばし忘れてしまっていたように思う。

 

それが....

突然の子供らの自立によって

親としての着ぐるみが必要なくなって脱がされてみれば....”その中”の自分が急に露わにされて....

「すっとんきょーな顔して出てきてしまった」

ってなところが今なのか?

 

自分=自分だったのは....

子供を授かる以前だったと思うんだが....

その頃の自分に比べたらいつしかうんと歳をとっていて

あたかも浦島太郎のように現れた。

 

「親父でなくなった俺はこれからどーすんの?」って

 

自ら親離れを果たした子供の方がよっぽどか立派だ。

そしてしっかりと冷たい。

ま、クールと言うらしいんだけど....(笑)

 

死に様

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「人生観」「死生観」も個々人の差異が大きなものなので、私が決めつけられるものではないのだろうけど...

人間が考える葦であろうとも、感情を持った生き物であろうとも、

有限な生命体であることは”自然の摂理”として曲げられないことなので、

活動の最後が「死」であることは否定できない。

急いで速く行動することまでは出来たとしても....

一日の時間を24時間からは伸ばすことが出来ないように「人間はいつかは死ぬ」という運命は変えられない。

 


であるなら....

「あえて死を考えるよりも生きることを....」なんて言う人はいつでも、どこにでも居るもんだが....

「下り坂」を考えた時にはどうしても最後の到達点の「死」は無視できない。

「上り坂」のゴールが「頂点」であるのなら....

「下り坂」のゴールは「死」だ。

 


一見残念なように聞こえるかもしれないが、ここにファンタジーは要らない。

それこそ道を誤る。

自然の掟には逆らえないだけのこと。

ゆえに.....

「下り坂」は案外長く....、むしろ「上り坂」よりも個人差も大きくなるのかもしれない。

 


つまり....妙な話なんだが....

下り坂の生き様を考えるということは.....

死に様への道筋を考えることにもなっているわけで...

なんとも皮肉なものだ。

が、それこそがまさにこの世が死生表裏一体で出来ているということなんだろう。

 


最終ゴールは”死”ということは推察できる。

すればその”死”以降は自分じゃどうすることも出来ないので考える必要もない(笑)

考えたことが反映されるのは当たり前だが

「死ぬまでの期間」だ。

つまり「下り坂の人生を考える」ってことは「死に様を考える」ということでもあるのだろうと....

 


まだ死ぬまでには時間のある(と期待している)ので、のんびり考えたいんだが....

今回はいろいろちらついたのでそんなこともしばしば思った。

 


人間死ぬ時には最後誰だって独りだ。

相談も出来ないだろう。

相談したって意味もない。

この3年間はその練習をさせてもらったようにも思っている。

 


全然楽しくはないんだが....かといって落ち込むほどに暗い作業でもない。

妙に落ち着いたというか....静かな心境になる。

 


多分死ぬまでに何度も何度もこの練習の機会は訪れるんだろう。

穏やかな最後を迎えられるように....神なのか?仏なのか?鬼なのか?何度もそう仕向けてくるような気がする。

 


死を迎えた時に.....

騒ぎたて、わめきたて、周りの者に迷惑かけることなどないように....

そうなっても冷静で淡々としていられるように

みっともない死に様をさらすことのないように....

その練習も始まっているのかと。

 

 

きっと古来の高僧らは

この様を”修行”と呼んだのかもしれない。

 


自分を高僧に見立てるのはおこがましいが....

高僧以下の自分なら....

修行が必要な身であることには違いない。

考えるだけのことはある

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若い時代は考えることを放棄していた。

 

もともとは嫌いではなかったと思う。

ただ....時代の風潮に短絡的に迎合した。

漫画、アニメ、ドラマの主人公よろしく....

明朗快活単刀直入瞬間湯沸かし器のように、

深く思考する以前に能動的衝動的感情優先で、

行動してしまう方が....

「恰好いい」と

幼稚な自分には映ったのだろう。

 

その後も”幼稚なまま”ならば....そんな性質も継続する。

 

そうではなかったとしても....”考えること”は元来面倒臭いし、厳しいし、寂しいし、辛い.....孤独な作業だ。

でも....それだけのことはある...いや、あった。と思う。

 

考えることに負けなければ....

”考えた分だけの”前進はする。

今回はそれが身にしみた。

こんな年齢になって初めて気がつくのが恥ずかしいぐらいに。

 

そうだよな。

考えることが無用ならば

命を賭けたいにしえの哲学者の思考には一体何の意味があったのかということになる。

 

考えたからといって....突然霧が晴れるような解消法が思いつくということもない。

そんなにも簡単に見つかるならば逆に考える必要もない。

 

苦しんで至った答は....

妙に納得するし、それに従って失敗したとしても後悔しない。

考えたからといって必ず成功に結び付くわけではないが....

考えないよりは確実に良い方向に向かったという実感があるからだろう。

 

人に相談することを精神衛生上で促す人もいる。

まあ、そうなのかもしれない。

でも.....独りで悩むことはものすごく重要だと思う。

これだけ豊かで便利な世の中だからこそ....

その方法でしか見つからない答があると思う。

 

この三年の感想はそんなところ。

 

とりあえずもう腹は決まったので

どんな下り坂にしてみようかと

そこに興味を持ったりもしている。

 

いや、いまだ「下り坂」という表現には非常に抵抗感があるんだけど....

なんせ「鉄の斧」いや所詮「鉄の斧」

 

 

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やれないことはいたしませんし望みません

手の届く範囲でけっこうでございます

残された時間が多いとは思えないような年齢になった自分にとって

無いものをねだることに時間を使ってしまってはもったいない

やれることをやれる範囲で真面目にやらせてもらって

できる範囲で十分でしょう

 


「実は金の斧なんだけど」.....なんて見栄を張る必要はもうまったくありません

 


柳に飛びつく蛙も卒業しましょう

 


飛びつかなくても届くものが残りの人生でも知らないだけで集められないほどにあるような気もします

...........


我武者羅に生きてきた時代には

”失うこと”や”減らすこと”に恐怖が大きかったように思う。

さらにその上にも....成長を、高みを、多くを出来うる限り望んでいた。

 


それは....向上心がある....ということでもあって悪い面ばかりではないのだろうけど...

「欲が深い」とも言い換えられる。

 


さらに終止符のない欲望システムなので....

永遠に欲求不満で

永遠に消化不良で

永遠に不満足であるからして.....

結果....楽しいと思えることや満足感の無い日々を増やし続けることにもなる。

.....振り返ると妙に当てはまる。

 


「次へ」「次へ」.....

後ろを振り返らない姿勢は評価できるものなのかもしれないが....

不満足な顔のまま、こめかみに血管浮かせた形相で

いつも焦って、いつも急いで

一体何処に行こうとしているのか?

何になりたいのか?

自分でもわからなくなっている様だ。

 


「下り坂」がどんな道なのか?

まだ実感もないのでわかっちゃいない。

ただ....そう意識するようになったことで、上りの自分の滑稽さもなんだか見えてきた。

 


でも....これからも目標は持っていたい。

努力も続けよう。

それは、上り坂の終盤で、ようやく気がつき、せっかく身に付いたものなのだから

良いことは継続したっていいだろうに。

 


ただ....もう....持っているものも減らしてもいいかもな?

小さくしてもいいのかな?

失敗も大目に見てやってもいいかもな?

どうせ下山の最後はゼロなんだから。

 


と思うなら

随分と気楽になれる。

 


いや、気楽にもなれるようになったから

新たに挑戦できることもあるんじゃないかと

実はこっそりとした期待も生まれている。