小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

読むだけで

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時間の有り余っている学生時代とて、「勉強時間が足りない」と感じるのが常の世の中なので、

誰しもが「効率の良い勉強」を探している。

ネット上でもよく見かけるのは「見るだけで」「聞いてるだけで」のような苦労知らずのような勉強法だったりする。

最たるものはスピードラーニングか?

 

その賛否は知らないが、世の中には「写真を撮るように光景を記憶できる人も居る」そうなので、あながちまやかしでもないんだろう。

もちろんそんな能力を自分にも期待する。

いや、今でも諦めずに期待しているんだが...

少し、妙な記憶が蘇った。

 

見て(いや、見ただけで)記憶する派と思いたかった若い頃、範囲の少ない定期テストだとなかなかの点数を取れる教科があった。

平生がそうならば、入試などそれの集大成なのでさほどの勉強は必要ないだろうし、むしろ「得意科目」と自負して臨んだんだが...

結果は全科目中最も低い得点(偏差値)に終わった。

 

もちろん単なる自惚れが一番の原因なんだろうが、身についているという錯覚?

身についていると思いたい錯覚がこういう事態を招いたのかとか今になってみると思う。

 

限られた時間なので、もちろん無駄に時間を使う必要もなけりゃ、同じ量を覚えるのに時間が短くて済むならそちらの方法のがよかろう。

が、あまりにもアッサリした方法過ぎて...実は覚え切れていない。身についていない。

そんなことも「自分にはある」んじゃないかと最近はよく思う。

 

年齢のせいもあるだろう。

脳回転のピークは過ぎている。

本人の自覚じゃ「片っ端らから忘れる」ぐらいだし。

 

ただ...仕事でもないような、しかも相当リラックスして好きなこと書いているブログなんかの記事を、案外覚えているのは、

やっぱり書いている(打っているとも言うが)というワンアクション多い行動が、記憶につながっているのかな?とは思う。

 

そもそも脳の中だけでの自分の行動は案外無責任だ。

誰にも見られていないのをいいことに、自分の都合の良いように即座に書き換えている。

過ちを過ちと認める時間もないぐらい瞬時に「ヤバイバイ、うっかり間違えるところだったな」ぐらいには持ち直している。

見た瞬間に「ああ、やったことあるな」と思ったのは、「忘れていた」からなのに、都合よく「インプットは出来ていた」などと納得させている。

 

つまり...頭の中だけだと「わかっていなかった証拠」を自分に突きつけないわけだ。

 

こんなことを今更言うのは時代に逆行しているんだろうけど....

採点の正確さやいろいろの合理化、効率化もあって試験のマークシートは普通になっている。

 

が、そこに「白紙回答」はない。

正確にわかっているものだけをジックリ答えるよりも、あやふやな知識であっても速く全問塗りつぶした方が点数が高かったりもする。

自分だってそのおかげでクリアーできたことも何度もある。

 

が、そういう勉強だから身に付かなかったこともあるんじゃないのか?

と、最近思うこともある。

 

もともとが勉強嫌いだったので勉強の仕方すら知らないし、そんな時点からの試行錯誤なんだが...

当たり前なんだが....カンタンに覚えたことはカンタンに忘れると、勉強だって日常生活と何ら変わりはないとするのが、ある意味当然のようにも思う。

というか...「見るだけで記憶する」んなら、見ているテレビ、見ているネット、読んでいる小説...全部覚えてしまって頭の中が整理つかなくなるだろうに。

ということは、やっぱ「見ているだけ」じゃあ記憶しないように(脳みその負担とならないように、つまり自分のカラダを守るように)、人間のカラダはうまく出来ているのさ、

 

ということで、自分も「書いてみた方が」覚えられるし、考えられるし、派じゃないかと思う今日この頃です。

格好悪いんですが(笑)