そういや先日、ようやくの「君の名は」を見た。
そして....東京タラレバ娘の主題歌の「TOKYO GIRL」のPVも見た。
内容の感想はともかくとして....
とっくの昔に、このような光景は「自分には全く似合わない世界」になっていることをハッキリと気が付かされた...かな?
なんだか....それは....最近のモヤモヤと、同じモノじゃないか?というような気もしている。
自らフケ込むこともない。
だから若さを維持してゆくというのも悪くないと思う。
が、似合わないほどの”若作り”は格好悪いというよりも、もはや気の毒な様相だと、思い知るべきだと感じたわけだ。
感じた...よりも”確信”に近いと思う。
何のためだかわからないが、わからなくても、街の中を走り回って、ともかく明日のためか?未来のためか?恋人のためか?何でも良いのか?
詰まる想いを抱えて、ともかく我武者羅に走り回って、疾走する姿は....
”若い”から美しい。
「若さの特権」
なんて言葉がそういやあったが、なくなってみるとわかるもんだ。
残念だが、自分の疾走する姿は、もはや見苦しいというか、痛々しいだろう。
「あのオッサン、もう必死すぎて、なんか、やらかしたんか?」
ぐらいに。
たしかに....異常なぐらいの若づくりのファッションや、若者言葉を常に駆使して、若さの追求に妙にポジティブな人も居らっしゃるが....
たしかに「老けては」見えないものの、年齢より若くは見える....かもしれないものの....
確実に「格好悪い」
その答えは簡単で、「似合わない」からだ。
少しばかり増えすぎてしまっている「努力の選択肢」のうちから一つ、
「そこはもう必要ないって」
もしくは
「もうちょっと違う方向見つけないと」
ってなことになってきたかな?
悪いことじゃない。
少し頭の中の整理が進む。