資料の整理をしていたら、とある資格の「開講の知らせ」が出てきた。
ざっと3年前のだ。
そういえば....現在の仕事に関する資格であっても、その必要性は認識しつつも、「勉強に振り向ける時間なんか取れるはずもない」と長年諦めていたものを....
その時は何故か「エイヤっと」無責任にも開始した。
清水の舞台から飛び降りるほどに大袈裟なものではないが、レポート提出の期限が細かく設定されていて、忙しさ理由での遅延は許されない。のが最大の敬遠理由だったのに。
実際に、内容はさほどに高度なものではなかったが、時間はかかった。
平日で毎日30分、土日は1時間ずつ、で、ようやくついていけただろうか?
なので、平日一日サボると、次の日は自然と1時間はやらねばならなくなった。
この強迫観念があるので、なかなかサボれないし、溜められない。
受験生の時でさえ、そんな環境に置かれたことがないので、ストレスはかなりあったが、それでも無事1年終了した。
そう、もともと勉強時間を確保するなんざ、無理だったのだ。
が、この経験でちょいといい気になって、もう一つ資格を取りにいった。
それもギリギリで成功した。
「なら、もう一丁」
ということで、日常に学習時間を強いる生活が3年目に突入していたんだが....
まあ、一見充実しているように見えてはいたものの、けっこういろいろなことを犠牲にもしていることに気が付き出した。
たかだか1時間、たかだか30分、なので、努力次第のようにも思うが、ことはそんなに単純じゃない。
トレーニングすら、継続するために時間を確保するのがもともと手一杯だったのだ。
気が付いたら強迫観念に仕切られる生活になっていた。
さほどに苦しいものでもないが、何も楽しくないのも事実。
飲み会に出かける際でも、テキストコピーして、地下鉄の中でも勉強....
やらなきゃいけない感から、付き合いを断ることもしばしば....
「オレは....遊んでる場合じゃないんだって」という優越感なのか?強がりなのか?深層は劣等感なのか?
よくわからない意地を張ってきたりもしたが....
ともかく一旦「普通の頑張り」で、①仕事、②家事(ほんの少し)、③トレーニング、④勉強としてみたら....
面白いぐらいに(面白くないが)勉強にたどり着かない。
この10日で30分しか出来ていない。
かといって日常をサボっているつもりもないし、この期間内にこなした仕事の量はけっこうなもので、それなりの収穫も大きなものだった。
ん?この生活のどこがいけない?
別に結論めいたことを出す必要もないと思うが、
何が正しいのか?
そんな単純でもないように思う。
この10日間、勉強は出来ていないが、着手したことは少なくない。
それも大事なことなんじゃないのかな。
う~ん、よくわからんな。
ともかく、無理からに勉強時間作っていたときよりも、アチラコチラが片付き出したのは確かかな?
そして....遅れていたトレーニングメニューの消化も元に戻った。
そして....プライベートな知り合いとの交流も増えてきた。
頑張るってのも必要なんだろうけど、なんか必死の形相して、「近づきたくねえや」ってな奴居るけど....
そんなニオイ出てたのかも?
ま、勉強も諦めたわけじゃないけど....
よくある「1年で最短合格」...みたいなのはヤメよう。
本業が勉強である学生さんじゃないんだし。
本業大切にしないと。
まあ亀の歩みで10年ぐらいかけて....で、程良い頑張りなんだろう。