小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

案外人は間違えている

f:id:okutavianus:20170625122658j:plain


ここんところブログの更新が増えているのも決して好ましい状況じゃない。

ブログなんか書いている暇もなく実行、実行、また実行....

ぐらいの方が収穫も多い。

 

が、それでもブログにやってくるのは、多分....「自分の”間違い探し”」をしているんだと思う。

 

あくまでも持論だが、「千回素振りをすれば誰しもが打てるようになる」とはとても思えない。

いや、「”正しいフォームで”千回素振りをすれば....」それは叶うかもしれないとは思うが、”間違ったフォーム”では、結果は遠のくばかりになる....と思っている。

 

が、そういうことに気が付いてきたのも案外最近で、むしろそれまでは正しかろうと間違っていようと”千回”することが重要だと信じる側だった。

流石はうさぎ跳び世代だ。

 

精神論も無視できないとは思っているが、この手の話はそれとは次元が違う。

 

25mを泳ごうとするならば、体力さえ身についてくるとけっこうどんな方法でも泳げたりする。

からの「25m泳げる方法」を正しいとするなら、50mを泳ぐのは相当にシンドイはずなのだが、逆にそれで泳げるようになったれば、「かなりの体力が身に付いた」と違う錯覚に自信を持つことにもなる。

が、そのような錯覚も多分せいぜい100mぐらいまで。

「どうして1000m泳げないのか?」

「100m泳げる(本当は正しく泳げてはいない)のに、自分はどうして1000mは泳げないのか?」

という「正しく泳げてはいない」を自覚できないまま育ってしまう。

 

ゴルフの練習場へ行くとよくわかる。

皆、自分がプロのように打っていると思っている。

いや、打ててはいないかもしれないが、プロのように美しいフォームで打っているつもりになっている。

....悪いが....ほど遠い....

しかも....そんなほど遠い打ち方で何百球も打つならば、ほど遠いほど悪いフォームが身にこびりついて離れなくなるだけだ。

そして...永遠にへたくそなまんまになる。

 

スポーツばかりじゃない。

色々なことがそうなんだと思う。

 

努力自体が不足していることもあろうけど、”正しい”と思っていること自体を間違えていて....

”正しくない”方法で、”正しくない”考え方を、一生懸命身につけようとしていれば....

そりゃあいつまでたっても”正しいこと”は身に付かないだろうと....

 

そのあたりの自分の見識や欲を、こうやってだらだらと書き連ねて....

探っているんだと思う。

 

しかし....言うは(書くは)楽なんだけど...

実際やるのは面倒臭いんで、こんなところで愚痴たれているのかもしれない(笑)

 

ああ面倒臭い。

でも、しゃーないので少しずつ開始するか。

今日は怖ろしいほど何もする気が起きないんだけど(笑)