小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

予想通りにゃいかない

f:id:okutavianus:20170901105111j:plain


さほどに”すぐ”というわけでもない。

が、それほど”遠い”というわけでもない。

死なない限りやってくる”未来”は”将来”とも言うんだろう。

 


そんなにデキの良い人間じゃなかったので、目標とか目的に向かってきた人生ではなかったが、ところどころで”将来”は意識したと思う。

そんな自分の今の”将来”は明らかに”老後”だ。

というか”定年後”と言い変えてもいいかもしれない。

 


実は自分の仕事には”定年”はない。

なので、”定年”を意識するのはおかしいんだが....世の中はよく出来ているというか、どうにもその定年まで続けられるかどうかが怪しくなってきている。

そりゃあ慣れた仕事なので、”定年”とは言わず、続けられるだけ続けたいんだが...

やっぱり”需要”というものがある。

自分自身へのニーズというものがある。

 


多くの先人達がリタイヤを余議なくされたのも、一律の”数字”のせいだけじゃないと、衰え始めた能力を顧みて思う。

 


「楽になりたい」と思う日も出てきた。

大きな責任を抱え、失敗の修復にストレスを感じると、「定年までは頑張るから、定年まで、でいいかな」と頭をよぎることも少なくない。

が、下衆な話、金も必要だ。

それこそ「やめてしまう」のはいつでも出来ることなのだろうから、働けるうちは働いて、少しでも生活を楽にしたい。

 


さらに少し不思議なのは、あまり遊びたくなくなってきたことだ。

ワーカーホリックなのか?

十分に遊び過ぎてきたのか?

単にケチなのか?

大枚はたいてまで遊ぶぐらいなら、小銭を稼いでいた方が妙に落ち着く。

また、若い頃からの”遊び”の多くが、スポーツだったので、正直年々遠のく結果には感動もない。

仲間との飲み会だって、酒を控える者や、参加を控える者まで出てきている。

 


本を読んだり、美術館に出かけたり、音楽を聴くのも好きだが....

別にそれらは仕事を辞めなきゃ出来ないことでもない。

 


ってな、自分の老後だ。

 


とりあえずはあと3年は今のまま働いていたい。

ここは強く意識するようになった。

つまり、あまり迷いがない。

”働けたらなぁ”ではなく、”働いていたい”だ。

もちろん”お金”のこともある。

が、いろいろ模索しても、「それ以上」という案が今のところないのだから、そこを目指せば良いということ。

奇しくも現在の「五カ年計画の残す年限」と同じだ。

借金の期限とも同じだ。

逃げるにも逃げられない。

 


「五カ年計画」はこれで二期目なんだが、一期目はそれなりの収穫はあったと思っている。

それに比べると現在二年目の二期目は「全く収穫がない」と思えるほどに苦難の連続だ。

が、多分....終わってみると、何も考えてなかったよりは「被害が少なかった」「減退を少なくできた」のような歯止め効果ぐらいにはなると期待している。

じゃなきゃやっておれない(笑)

 


問題はむしろ「その後」。

その次の五年間だ。

そこに三期目の「五カ年計画」が必要だとは思っていなかった。

いや、二期目の「五カ年計画」を終えたなら、”その後”は「ハッピーリタイヤ老後」が続けらると....

そのための「五カ年計画」だったのだから、”計算違い”になっているわけだ...

 


まあ、人生にはよくあることなんだろうが....

だから混沌としてしまう。