最初の就職は営利事業ではなかったので、「稼ぐ事」は人生の目標ではなかった。
むしろ、なかなかに、安定していた職業だったので、平穏無事に楽しく暮らして行ければいいかな?と。
今から思えば随分ノンビリした社会参加だった。
仕事は人並み以上にはこなしていたと思うが、なんせ所得に変わりがないので、楽しみは余暇に向いていた。
遊びの時間の充実が人生の充実であるような...
仮に持ち金全部使ってしまったとしても....
そこから仕事も変わって営利事業となり、「儲けること」を至上とされた。
家庭も出来、教育費も必要になってくれば、自分の遊び金どころじゃない。
いや、自分の遊び金が欲しいなら、「今以上」に稼がねばならない使命が下りてくる。
その習慣で今に至っている。
少しでも稼ぐことが安心感につながっている。
世の中金じゃないと言われても、金がないとしたいことができないことも多い。
されば、あればあるだけあった方が良い。
さもしい生き方なのかもしれないが、大体がそんな感じで生きてきた。
が、どうにもままならなくなってきている。
自分の能力不足や努力不足をまずは反省すべきなんだろうが、同じように反省しつつやってきたのに、最近とくにままならない。
時代も感じるし、運命も感じるし、年齢も感じる。
さほどには深刻じゃないが、生活スタイルを見直す時期がやってきたのかとか思ったりもする。
企業研修でもある一定の年齢になったり、役職定年を迎えると、「その後の過ごし方」をアドバイスをしているとの噂も聞く。
そう、収入が減ってゆくからだ。
つまり、お金の面で「下り坂の人生」が始まるのだから、「今までと一緒」というわけにはいかないんだよ、ということなんだろう。
そういえば、周りも財布の紐が固くなってきたような気もする。
仕事による格差に期待していたんだが...そうでもないのか...
本来は、ここで、「こんな雰囲気に負けちゃいけない」
とすべきだと思うんだが...乗り越えられない「壁」であるとしたらば、無駄な時間にもなろう。
ということで、「お金の使い方」を少し見直してみたりしている。
実は....そういう意味でタバコもやめたんじゃないんだが、そういや一月15,000円ほど浮いているわけだ。
なるへそ。
なんとなくの予感もあったんだろうか?
仕事用以外の私服はほとんど購入しなくなっている。
まあ、いっそのこと「今ある私服を着倒して使えなくなってから」新たに購入するとしても、新たな購入すら必要ないかもしれない。
節約?というよりも、「使わなくてもよいお金」をけっこういい加減に使っていた部分があるようだ。
ということで、ワインも少し安いものにしてみようかと...
ビールの本数も減らそうかと...
残念だが....
増やせないのだから、減らさない努力が必要なのかと。
ま、そういうこと考える年齢なんだろう。