小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

混沌

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"混沌"は続いている。

いや、”この先も”ずっと続いて行くんだろうという気になってきている。

 


思考を巡らせる時間が増えているので、”一時的な迷い”なのかもしれないが、まあ外れてはいない気がしている。

 


”こういうところ”が単純だったんだろう。

漫画やテレビドラマや映画の影響が大きいのかもしれない。

どんなに雨が降り続いていても、霧の晴れない毎日だとしても、いつかスッキリと晴れる日はやって来ると....

苦労すればしただけいつかは花開く日が来ると...

どっかで思っている方だったんだろう。

 


が、最近その想定は”現実的ではない”ことに気が付いてきた。

今日もどっかのコメンテイターが言っていた。

北朝鮮の問題は大きく進展することはなく、”ずっと不安を抱えたままの日本”で行くんだろう」と。

 


あまり好きではないコメンテイターだが、妙に納得した。

 


モヤモヤを引きずるのは嫌なので、仮に悪い方向であっても「早く決着をつけたい」と思う人は少なくないだろう。

いわゆる「生殺し」はやめてくれ。というヤツだ。

 


が、それぞれに”事情”というものがある。

「生殺しはやめてくれ」は自分の事情だ。

「そんなこと知るかよ。コッチはコッチで大変なんだ」という人も居る。

社会はその絡み合いで成立している。

ウインウイン。双方平等な合意。は、煮えたぎる我慢を半分ずつの”裏返し”かもしれない。

かつていつも期待していた「スッキリした結末」は、単に希望がかなった”一部以外”を黙殺する...もしくは”視野が狭くて”見えてなかっただけ、のことなのかもしれない。

 


このままスッキリすることなく、死んで行くのかもしれない。

いや、死んで行くものなのかもしれない。

そう思うと妙なもんだが少しばかり”諦め”もついてくる。

いつの日かの青春ドラマのように、最後は「熱い抱擁」だったり、「涙の激励」だったり、みんなで「夕陽に走ったり」するのが混沌からの結末だと期待していた方が幼稚というものなのだろう。

いい歳こいて少し大人になったのかもしれない(笑)

 


こんな具合に考えていたらば、ずっと混沌と過ごして行くには、ただでさえ頭が悪く迷いやすいのだから、少しぐらいは”身辺整理”をした方が良いんじゃないかと思えてきた。

まだ”終活”を始めるには早いと思うんだが....

 


”節目”というものがどんなものかと考えてみた時...

「”今まで”のことが通用して、”これまで”のモノがまだまだ必要な時」ではなく、「”今まで”のことが通用しなくなって、”これまで”のモノが”実はとっくの昔に”必要ではなくなっていた時」じゃないのかなという気がしてきた。

先日も棚の奥からけっこう古い趣味の道具が出てきて、それがまた風化して使い物にならなくなっていたのを見て...「こんなものをずっと引きずっているんだろうな」とか思った。

 


断舎離のプロのような方々も”はてな”には多いので、うかつなことは言えないんだが...

これからの人生に持っていかないモノをたくさん抱え込み過ぎているから余計に混沌としているのかもしれない。