あまりにも家の中が散らかってくると...
せっかくの行楽日和や庭作業日和にも、家の中を片付けなきゃならなくなる時がある。
そんな時は...「もったいないよなぁ...」と決まって外の気候を羨んだりするものだが...
そういうことのないように、
”雨用”なるメモがあって、少しばかり散らかっていたりしても、まとめて”雨の日”にやればいいさを応援するようなメモがある。
ここんところ、大活躍。
の反対に、外の用事はまったく進まないどころか、ここまで遅れることなくこなしてきたので、やや心配にもなっているんだが...
芝もまあ少し早すぎる刈り止めまでは施してあるので、また晴れた時からやり直せばいいか...ってか...それしかないし。
となると...長雨続きの昨今、相当に家の中も片付いてきているように期待したいんだが....
それほどにも甘くはない。
片付いた...というよりは...移動した....ぐらいの程度のもの。
しかし...片付けというよりは...むしろ...歳を取ったな....といろいろなモノを見ていてそう思わされる。
「全く使わなくなったモノ」でもとってあるのは...「いつか使う」からであって、”ほとんど新品”のようなモノも少なくない。
また、こういった”検品”のような作業はこれまでも何度か繰り返されていて、その都度”残ってきた”ツワモノのような存在だったのに....
ついには「もう要らないな」となっているモノの多いこと...
断舎離とはチト意気込みが違う。
何を例にしたらばよいだろう?
若い頃にたしなんだ競技スキーの長いスキー板を大事にとっておいても、「もう出番はない」。
そんなところだろうか。
....
ようやく....というか....ついに...「諦めること」が出来るようになってきたのかもしれない。
”年貢の納め時”などとも言う。
「諦めてしまうにはまだ早すぎる年齢だ」と頻繁に聞く。
悪いが「諦めてはいない」と思う。
が、気持ちの上での”不要”だけじゃなく、持っていても、持とうとしても”無用”であるモノの見分けをつけることは、今後の道なりにとっても有効じゃないかと思えてきているのだ。
でなくても、散々混沌としているし、散々迷っている日々だ。
そこに不要物の保管まで、不要思考の保管まで、
混ぜ込んでいたらば、そりゃあ”道”は見えんぜよ。
とまあ、片付けをやりたくないので、こんなところで能書き垂れてんだが...
そろそろ片付け始めようか....