小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

雨用片付け

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あまりにも家の中が散らかってくると...

せっかくの行楽日和や庭作業日和にも、家の中を片付けなきゃならなくなる時がある。

 


そんな時は...「もったいないよなぁ...」と決まって外の気候を羨んだりするものだが...

そういうことのないように、

”雨用”なるメモがあって、少しばかり散らかっていたりしても、まとめて”雨の日”にやればいいさを応援するようなメモがある。

ここんところ、大活躍。

 


の反対に、外の用事はまったく進まないどころか、ここまで遅れることなくこなしてきたので、やや心配にもなっているんだが...

芝もまあ少し早すぎる刈り止めまでは施してあるので、また晴れた時からやり直せばいいか...ってか...それしかないし。

 


となると...長雨続きの昨今、相当に家の中も片付いてきているように期待したいんだが....

それほどにも甘くはない。

片付いた...というよりは...移動した....ぐらいの程度のもの。

しかし...片付けというよりは...むしろ...歳を取ったな....といろいろなモノを見ていてそう思わされる。

 


「全く使わなくなったモノ」でもとってあるのは...「いつか使う」からであって、”ほとんど新品”のようなモノも少なくない。

また、こういった”検品”のような作業はこれまでも何度か繰り返されていて、その都度”残ってきた”ツワモノのような存在だったのに....

ついには「もう要らないな」となっているモノの多いこと...

 


断舎離とはチト意気込みが違う。

何を例にしたらばよいだろう?

若い頃にたしなんだ競技スキーの長いスキー板を大事にとっておいても、「もう出番はない」。

そんなところだろうか。

....

ようやく....というか....ついに...「諦めること」が出来るようになってきたのかもしれない。

 


”年貢の納め時”などとも言う。

「諦めてしまうにはまだ早すぎる年齢だ」と頻繁に聞く。

悪いが「諦めてはいない」と思う。

が、気持ちの上での”不要”だけじゃなく、持っていても、持とうとしても”無用”であるモノの見分けをつけることは、今後の道なりにとっても有効じゃないかと思えてきているのだ。

 


でなくても、散々混沌としているし、散々迷っている日々だ。

そこに不要物の保管まで、不要思考の保管まで、

混ぜ込んでいたらば、そりゃあ”道”は見えんぜよ。

 


とまあ、片付けをやりたくないので、こんなところで能書き垂れてんだが...

そろそろ片付け始めようか....