退化の改心

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このブログを読んで下さる方々からするなら...

「あれやこれやと吐いている割には、結局堂々巡りで進歩のねー奴だ」と思われているかもしれないのだが...

たしかに大した進歩はないだろうけど、これでも”同じ処”に停滞しているとも思えてはいない。

 


先回も書いた通り、「ずっと楽しくない毎日」には至っているものの、では「楽しかった昔」は充実していたのかと言うならば、むしろ”対峙すべき重荷”から目を逸らしたくて、”楽しみ”に向かっていただけだと断罪できる。

自ら進んで方向転換したわけでもない。

いろいろ逃げられなくなって...少しずつ目を逸らしていた”重荷”に対処せざるをえなくなっただけのこと。

で、多少なりとも目を逸らさないように頑張るようになってみたらば...

実は「楽しかった昔」ってのは、将来抱え込むであろう”苦しさ””辛さ””重さ”....なんかを本当に上手に遠ざけていただけのことであって、その時は、「私は気が大きいので細かなことはネチネチと気にしないのだよ」などと、豪快人ぶっていたんだろう。

まさに後回し。

そして親父と同じ。

 


「後回し」....

なので、一つ二つということには収まらないんだろう。

7年ほど前から楽しくなくなってきた。

というか、楽しいことが全くないというよりも、心が晴れることがなくなった。

家康よろしく「常に漬物石を背負っているような感覚」と言ってもよいだろうか?

....それほどに....

「後回ししてきた」ってな自覚も増える一方だ。

 


なので、誰を恨むということもないんだが....

こんな重い気持ちは嫌なので、これでも一応「晴れやかなる日々の到来」を期待して、自分の努力で挽回できないかと....

それをブログをも通じて考案しているというわけだ。

 


ここ7年、特にここ2年は”目標”なんか打ちたててしまって、それに邁進しているように書いてはいるものの、心情を明かすなら背中を押されっぱなしで、ストレスも半端ない。

まあ、自らそうしているので誰に文句を言えることでもないし、嫌ならやらなきゃいいだけのことなんだが...

多分、自分を支えているのは....

「もう後は無いな」という気分。

いや、”気分”ではなく、本当にいろいろと「後が無い」とやればうあるほど思えてきているから、余計にサボれなくなってきている。

 


5年前に友人が二人死んだ。

寿命と言うには随分若すぎた。

が、そんな若さでも死んでしまったのも事実。

つまり....自分だって「この先いつ死ぬかはわからない年齢」になってきたということ。

....そんなことから自分の「死生観」を公開してみたりしたのだが...

それを聞いた友人の中には

「そんなに暗く考えなくても楽しい老後になるかもしれないじゃないか?気は”持ちよう”だぞ」なんて奴も居たが....

自分は”暗く”考えて言ったわけじゃあなかった。

”普通”そうなるだろ、と言ったつもりだった。

 


多分”昔の自分”もそうだったんだと思う。

暗く重い事も「気の持ちよう」で楽しく”なる”....と。

 


悪いが...”なる”はずはない。

現にそこから5年でむしろ暗く重い事は増えている。

「気の持ちよう君」は同級会にも出てこなくなった。

 


明るく楽しく過ごせりゃ言うことない。

が、やっぱり人生そんなに甘くないんじゃないか?

重く暗い人生も人生だと認めて受け入れないと....

 


まあ、そんなところなんだと思う。

ただ...「気が付いた」のと「後が無い」の期間が短すぎるだけ。

つまり...「先送りできない年齢になってきている」ということ、その自覚。

 


そんなんに追われて過ごしてきた7年なので、そりゃあ楽しいわけがない。

でも、「同じ処」には留まっていないと思う。

なんとなくだが、ものすごくジンワリ進歩しているとは思う。

なんせかつての「楽しかった昔」は退化の一途だったので(笑)