小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

言い訳

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「何が”成功”なのか?」と言われてみても...多分わかっちゃいない。

「どこからが”成功”なのか?」と聞かれても...多分答えられない。

でも...なんだかわからないけど「成功者?」のような気分では人生を終えたい。

 


おかしな話だ。

何なのか説明も出来ないほどにわかっていない状態に在りたい...などと。

霞をつかむような話だ。

 


「明快な基準」が出せないわけじゃあない。

が、そのラインは「とうに無理」なので、出したれば「成功者にはなれないね」で終わってしまう。

例えば「プロ野球選手になる」とか「年収一億円稼ぐ」とか....

 


昔から「成功者」を”意識”してきたならばまだしも、とっくの昔に成功者になるべく努力をする時代を過ぎてしまってからの”意識”なので、全然間に合っていないというか、挑戦権すら無いのかもしれない。

だからハードルをうんと下げて、ひょっとしたらばそれは「もはや成功者とは呼べない」ハードルを目指しているほどに下げているのかもしれない”成功”を意識しているから、答えられないほどに曖昧なんだろう。

 


ただ...そんな曖昧さへの努力であっても、そんな曖昧さへの向上心であっても、

何もしてこなかったより良かったのかな?と7年も経てば思えることもある。

 


「自信?」なんて領域にはほど遠い。

いや、ますます遠のいている。

が、だからこそ余計に「やってきていなかったら...」を想像するなら...”今”怖ろしい事態になっている。

 


ここらあたりが未経験のモチベーションとたかだか7年であっても経験済みのモチベーションは違うと思う。

未経験のモチベーションはけっこう欲も深いが前向きだ。

に比べてみると経験済みのモチベーションは、むしろ「やらなかった場合の”恐怖心”」に多い。

 


なので今はむしろ、その「恐怖心」に背中を押されてもいる。

林先生ではないが「今、やっておかないと....」

はある意味脅迫の役目を果たしている。

 


が、少し老いぼれてきた自分は、正直な弱音も吐きたくなってきている。

「もうそろそろゆっくりやらせてもらってもいいんじゃないか」と。

「成功者なんてほど遠いのかもしれないけど、これでもマシになったんじゃないか」と。

多分...「余分な努力」なんてやめてしまいたい自分が芽生えてきている。

それと「やめてしまった場合」の恐怖心。

その葛藤なんだろう。

 


今のところ「恐怖心」のが強いんだろう。

だから逃げ出さないようにこんなところで言い訳書いている。