小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

相変わらず毎日面白くない。

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が、自殺したいほど....というわけでもない。

というか...自殺なんか考えなくてもそう遠くないうちに死んでもおかしくない年齢だというのもあるが(笑)、多少の喜びぐらいは時々ある。

....ま、それで、”普通”なのかもしれないと....寒空に凍えている。

 


孤独感は年々増している。

自分の置かれている立場というのもあるが、あちらこちらで自らそんな位置に居場所を置いているような気もする。

 


寂しいっちゃ寂しいが...

群れているからの虚しさや非力さやはかなさってのも嫌なんだと思う。

割と幼少の頃からそんなところがある。

人との関わりの後に後悔をすることが少なくない。

それぐらなら....と、防御反応のように、少し離れたところに身を置くことに安心するのかもしれない。

 


スポーツの中では球技が身体能力には合っていると思っていたが....

チームスポーツが多く、精神的には無理があったのかもしれない。

今からなら...チームスポーツはやらないだろう。

 


実際にはそれほどに孤独じゃない。

家族も居れば、職場もあるし、友人知人との集まりもある。

が、その割には独りで居ることが増えていると思う。

望んでいるとは思えないんだが....あまり積極的に人と関わろうとはしていない....ように思う。

 


休日など、誰とも話さない日もあったりする。

孤独な老人死は嫌だな、とは思うが、けっこうまっしぐらなのかもしれない。

かといって友達に電話をかける...ということもない。

話すことがない。

というか楽しく話せるネタがない。

 


...という日常の割には忙しく、ブログも全然書けていない。

まさに不安と葛藤と孤独の中で、時間だけが過ぎていって...

気がつきゃ12月に入っていて、恒例の「休みのない月」になっているわけだ。

まあ今年も31日の「ガキ使」まで、休みはないだろう。

 


何のために生きているのか?

そういう疑問を考えることもなくなっている。

ともかく「明日も生きている」という前提で今日を生きているので、寝るまでには「明日の大体の予想」を立てておく。

おかないと....しっちゃかめっちゃかで、その解決の多難さで生きているのが嫌になるから。

いっぱいいっぱいだ。

もうこれ以上の無理難題を抱えたくない。

陽だまりでノンビリ過ごしたい。

ま、そんな望みも当分無理なんだろうけど....

 


五木寛之だったかな?

「下山の時代」

否定とか賛成とかの問題じゃないだろう。

日本も自分にも「下山の時代」が訪れているんだと思う。

道が下っているのに、そりゃ上ろうとするなら、空回りにもなろう。

そこの覚悟が自分にも日本にも無いようだ。

 


諦めきれない

 


そのエネルギーだけで生きているような気がする。

「前の五カ年計画」を達成した時に、すぐに「今の五カ年計画」が出てきたのは、”いつまでも前向き”だからじゃない。

後悔や未練や欲望が多過ぎて、「たったの五カ年分」じゃあ埋められないんだろう。

もう辞めてしまいたいほどにしんどいのに....

「もっと」「さらに」「より」「もう一つ」....とついつい自分を急き立てるのは....

健全な向上心じゃなく、過去への恨み、生い立ちへの恨み、自らへの恨みの穴ぼこが、埋まりきらないほどに広く、深いのだろう...

 


まあ、さほどに深刻に考えているわけでもないし、

さほどに高度なことを追い求めているわけでもない。

ただ....欲の深い男だと言うことだけだ。

 


いつこうなってしまったんだろうか?

かつては...

雪山や海岸で見た目瞬間のヒーローになれたのだったなら、

もうそれで十分満足。

金や仕事や名誉や地位も何も必要としなかったのに....

 


”歳の取り方”を学ぶべき時が来ているのかもしれない。