小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

いつまでも剛速球が投げられるわけじゃない

f:id:okutavianus:20171218102818j:plain

 


あいかわらず「原点」は見つけられない....

が、得体の知れない不安の”原因”は少し見えてきた。

 


それは、自分の人生上で、ついに、自分が、ピークアウトしそうになっていることだ。

 


今のところは....ピークアウトはしていない。

と、思う。

ここ数年土俵際だが、”減退”の手前で踏ん張ってきたと思う。

 


のように...けっこう粘ってもきた。

が、ここ数年ブログで書いてもいるように、どうにもこうにもうまく行かない。

あれやこれやと色々手を打っても、滑り落ちる引力にかなわなくなっている。

 


あまり詳しいことはわからないが、役職定年や非正規雇用の蔓延する現代のピークアウトする平均年齢は超えてきているんじゃないだろうか?

なので、ピークアウトに至っても仕方がない...のかもしれない...

ましてや超人ではないので、自然のこと、ぐらいかもしれない...

のだが...

今までピークアウトしたことがないので嫌なのだ。

不安なのだ。

 


そりゃあ、スポーツだとか知能の面じゃあとっくの昔にピークアウトしているんだろうが...

経験とか熟練とかそんな総合的な力量で繕ってなんとか誤魔化してこれたんだろう...

そう...

若い頃ご自慢の剛速球は通用しなくなったが、熟練の投球術を生かした軟投派で生き延びているようなもの...

 


が...それでさえも通用しない気配が出てきたというわけ。

しかも...かといって今更”他の道”

への転向があるわけでもない。

要請もない。

希望もない。

道筋も見えない。

ということは...ついに”引退”が近寄ってきたのか?....

 


だから不安だったのか....

 


なるほどね。

自分が不安なのは戻れるような「原点」が無いからじゃない。

未来が見えないからだ。

さらに衰えてゆくであろう自分が活躍できそうな未来が見えないからだ。

いや、もともとに未来なんざ見えてた方じゃないが、それでも昔はうっすら感じた希望の灯でさえ、もう感じられなくなってしまっているからだ。

 


とりあえず....明日どうのこうのという話じゃない。

明日はこのまま続けられそうだ。

が、来年はわからないな....

から半年後はわからないな...になり

ついに来月はわからない、までにはなってきている。

”その時”は遠くなることは絶対になくても、確実に近づいてきているというわけ。

いよいよ近づいてきた感じだ。

 


軟投派に転向すると...「らしさ...がなくなった」...などと揶揄されることが多いものだが...そんな中傷は結果さえ残せるなら耳にも残らない。

むしろ衰えさえエネルギーにも転化できるというもの。

違う投球術の楽しさもある。

転向...ではなく、何度かの転職もしてきたが、それも引退→再就職ではない。

むしろ山頂を目指すために”もっと早い道”を選ぶようなもの。

 


が、”引退”は違う。

今の自分にとっちゃあ”終焉”をイメージしてしまう。

 


....たしかに....最近は、少ししんどいな、と感じる朝も多い。

まだ世間的な定年には遠いが、定年という制度があるのもうなずけるように思えてきている。

あと何年かで、楽(らく)しようかな.....と思う時も正直ある。

が、その”楽(らく)”を現実的に想像してみると...どうにも楽(たの)しいようには思えないのだな、今のところ...

 


テレビを見ていて嫉妬を覚える原因もわかってきた。

ずっと活躍できている人々が居るからだ。

いつまでも現役で、若い方々と楽しく過ごしている(ように見える)人々が大勢映し出されるようで羨ましく思うのだろう。

が、そんな人は”特別”だからテレビにも出ていられるわけで...

普通はまあ、哀しいかな誰にでも確実にやってくること...いつかはそうなること...

なんだろう...

 


いやいや引退が近づいた選手ってのは成績も残せなくなっていることが多いんで、ボロカス言っていた気もするんだが...

いざ自分のこととなってみると情けないもんだ。

 


まあ横綱でもないし、スタープレイヤーでもないし、キッパリ引退はしなくてもいいかな。

いやいやカズとかイチローとか改めて凄いなと思うかな。

 


ボロボロになるまで....とは言えないが...

やれるところまで散々粘り続けるってのが一番後悔しない道かな。

答....見つからず。