setaさんよりヒントを頂いたので、昨日の補完を含めて少し書いておくことにした。
昨日書いたような”長ったらしい理屈”を怒りが噴出しそうな直前に唱えるわけではない。
というか、そんな時に唱えられるわけがない。
なので、現実にはどうしているのかというと...
案外ただボーッとすることにしている。
じっと怒りを抑える...にはほど遠く、むしろ”遠くを眺めて呆けている”状態に近いんじゃないだろうか?
自分じゃ見られないけど。
そうやって、ただ、本当に、ただ、”怒り”が通過してゆくのをやり過ごしているだけのこと。
なんだか一見情けない対処法だ。
若い頃、ドラマや漫画で影響を受けたヒーローは皆怒っていた。
”正義のために”という御旗はあるものの、格好よく怒って悪者をなぎ倒していた。
そんなイメージからするならば、自分はヒーローからはほど遠く、戒めるべきをただただ黙って見逃す弱虫だ。
恐らく....若い頃からずっと、”そう”はなりたくなかったんだろう。
出来る限りは”ヒーロー”のように振舞いたかったんだろう。
だから多くの場面で”怒ること”を選択してきた。
それは”怒っている自分”がヒーローであるかのように錯覚していたってこともあるんだろう。
が...”怒った”結果としてはうまく行かないことが多い。
それでブチ壊し、終生疎遠となったこともある。
どうしてそうなってしまうのか?
と考えてみたらば、当たり前だが、ドラマや漫画の主人公は怒っていても、作者や脚本家は怒っていないから、”その後”もうまく行くのである。
怒るほどのエネルギーがあるのなら、そのエネルギーで、”今後のこと”を考えた方がうんとマシな展開になっていくだろうという、まあ、当たり前の、普通の、考えに至っているだけのことだ。
それが普通の人より遅くなっただけで。
怒る前に”今後のこと”を考えられるほど冷静ならば、これまでももっとうまくやってこれただろう。
それほどに急には人間変われない。
で、とりあえずボーッと呆けてしまったとしても、”怒る”よりはマシかな?と。
そこに留めるような努力はしているつもり...
怒っちゃいけない、怒っちゃいけない、と無理に封じ込めようとするとかえって暴れ出しそうなので、怒りさえも忘失するかのようにボーッとした方が良いのかな?と...
実際には頻繁にイラついている。
頻繁に怒りそうになっている。
その都度ボーッとしている。ボーッとしようとしている....ってことは...
結構一日中ボーッとしているということ。
ま、そんな程度の人間だ。