小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

やれば出来る子。

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上手く行かなかったことや、

後悔を残していることの”起因”は、

即座にはそう結びつかなくても....時が経ってみると...「やっぱり...」と頷いてしまうぐらいに....

”自分なのか....”に辿り着く。

 


直後には、自分の非も認めたくもないのだろうし、たしかに誰かのせい、運のせい、という部分が皆無というわけでもないので...

「自分に原因がある」などとは、とてもではないが思えなかったりするものの...

何十年もの時を経ると...余分な感情やら情景やらが剥げ落ちて....状況がシンプルに映るのだろうか?

ふとした拍子に...

「やっぱり俺だったのか....」と思わされたりする。

 


人からの告白で知ることも少なくない。

十二分を超えてわかったつもり...いやさ、”確信して”判断したことが、その確信と真逆だったりすることもある。

そこまでになると、もはや”恥ずかしい”ではなく、一瞬”空虚”にもなり思考が止まってしまったりもする。

 


そう思うようになったのも最近で、自然にそう思うようになっているのだから、これが悪いのか良いのかも考えたことはない。

ただ...こう思うようになってしまうと....”うかつに”人のせいには出来なくなってきた。

そう、何年か後には...「えっ、俺のせいだったの?」ということが判明するからだ。

 


「人のせいにしない」というと、けっこう立派な性質の持ち主だと自慢しているようだが、そうじゃない。

記述を正確にするなら...「人のせいには出来ないほどに自分に原因がある」ということだからだ。

俗的な言い方にすれば...「どんだけ自分に原因があるのか」ということだ。

 


過去の失敗や後悔についての”原因のおさらい”は、もう既に一通りは済ませた....つもり...

でも...忘れていることも多いんだろう....フトした拍子に...

「あっ、それも、そうだったのか」

ってな調子でひょっこり登場する。

 


何も嬉しくはないし、特別な効能も無いように思うが...

まあ、今後そういう事態を増やさないようなささやかな”抑止力”にはなってくれているぐらいは期待したい。

 


それにしても数々の失敗や後悔の原因がこれほどまでに自分にあると、家庭環境やDNAを疑ってしまうのだが....

自分の父も見事なぐらいに老後の大半を過去の反省に奪われていて....

そんな二人の共通点は....「過大な自己評価」だと思う。

いわゆる「やれば出来る子」だ。

 


進学できなかった。

道をはずれた。

片親だった。

さほどに特別ではないハンディを自分の結果の言い訳に利用するならば....

「それでも....この程度でふみとどまっているということは?....そう、”やれば出来る子”なんだよね」

という妙な自負心に結び付く。

本当の力量は備わっていないのに、足らずまいをハンディで埋めて、”自信”に変えているというややこしいというか姑息な性質だ。

早い話が未熟者であることを認識せずに、戦国武将のような勇敢な判断を下していたとするならば....

そりゃあ「ただの格好つけ」

で、失敗するに決まっている。

 


ということなんだろう。

 


こんな簡単なこと。

中学二年生ぐらいでわかっていたかった。

が、恐らく偽物の自信よる「自分は間違っちゃいない」という傲慢さが、気が付かせなかったのだろう。

 


重荷とまでは言わないが....

多分、死ぬまで、静かに、背負っていくんだとは思う。

 


しかしなぁ....頑張って柳に飛びついてきたつもりだったのに....

やっぱり蛙の子は蛙なんだよなぁ....と、虚しい空気に包まれたりもする。

 


いや、まだ、諦めてはいないんだが....