小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

見事にAI化している。

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さすがに...

これじゃあ”詰め込み過ぎだ”と資格試験のための勉強時間を外したものの....

別に暇が出来た形跡はない。

 


が”何か”代わって時間を埋めているのかと言えば...恐らく”仕事”なんだろうが...

それもさしたる”結果”を生んでいるわけでもない。

 


さほどに高尚な”想い”あって日常を構築しているわけじゃない。

”やりたいこと”いや....”やるべきこと”が整理できないので、”書き留める”ようにしてみたらば....

10や20どころじゃなく、いつしか500をも超えてしまっている。

 


その中で、

「是非とも今日中に」というものを、前の晩の夕食時に抜粋するんだが...

それすら”溜まってしまうと”400をも超える時がある。

一日に400も消化できるはずがないのに...

 


で、結果どんな日常になっているのかと言えば....

「是非とも今日中に」をただひたすら片付ける毎日だ。

もちろん所用や仕事はそんなにも行儀よく行かない。

飛び込み、飛び入り、日常茶飯事。

中には400をも溜まっているのに、一日に消化できた”予定”は2つしかなかったりする。

 


それでも、やらなきゃ「もっと溜まる」ので、やるしかない。

自分に高度な心理があるのか?

前向きな意欲があるのか?

すら考えることもなく、夢遊病者のようにひたすら”予定の消化”に奔走する。

 


ある意味、その姿は、もう”自分の意思”を持たないかのように、効率や結果を優先している。

感情は邪魔だとまではいわないが....

このような生活になって”感傷的になる”ことは滅多になくなった。

ささやかな喜びは、予定の消化が”思惑より多かった時”

心秘かにほくそ笑む。

 


このような生活が良いのか悪いのかわからないが....

修正するつもりは全くない。

というか、他の選択肢はない。

 


いろいろ考えてきた。

多少なりとも悩んできた。

が、少なくともあと2年ほどは、感傷的になったり、悩んだり、同情したり、怒ったり、笑ったり、泣いたりする時間があるのなら....

予定の消化を粛々と進めるだけ。

それが自分の家族、仕事の仲間、友人・知人....いわゆる”社会”の中で”ベストな選択だ。

言い換えるなら....

自分には感傷に浸る役割は課せられていない。

課せられているのはただただ予定の消化をこなすこと。

 


一見気の毒そうな人間だが、本人は案外そうでもない。

そう割り切ってしまうなら他事にとらわれる時間も少なくなる。

悩んでいる時間もないので、悩まなくもなる。

つまり、余分なことにとらわれずスムーズに動ける。

ま、そういうこと。

なので、ブログの更新も途切れてしまう。

 


自分にだって感傷的な時代は山ほどあった。

自分だけのことじゃなく、人のことで悩んだり、笑ったり、泣いたり、怒ったり、とてつもなく”寄り添って”自分の生活がボロボロになったこともあった。

で、そんな自分は一体誰の役に立った?