小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

残されたエネルギーはそう多くない

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昨日の続き....かな?

 


多少なりとも長い人生で、これほどに迷いの無い期間はむしろ珍しい。

心頭滅却の成果でもないが、自虐的になっているわけでもない。

ただ単に、紆余曲折の末にここに至っているだけだと思う。

 


自分の人生をドラマチックに描きたい友人が居て、このような話になると....

「つまんねえだろ、お前のような考え方だと。感動とかねーだろ。」と言われる。

そこでの反論はあえてしないが....本音は....「悪いが...感動、衝撃、慟哭だらけの騒がしさで誤魔化しているのかもしれないけど....お前...それで前に進んでいるの?」と。

聞いてみたくなる。

いや、自分もそうだったんだからわかるのよ。

まさに○○のカラ騒ぎだ。

 


平穏を願っても平穏じゃない日常に、自分の前進は日々阻まれている。

後退はおろか撤退を余儀なくされることもある。

その上に、だ。

感動、衝撃、慟哭盛り沢山の日常になどになってしまうなら、右往左七転八倒カラ回りだらけでヘトヘトな日常になってしまうだろうに。

その”祭り”の最中は、それでも賑やかさに躍らされるニセの充実感も味わえて悪くないかもしれない。

が、”祭り”が終わればどう?

一体何を大騒ぎしてたんだと哀しくなりゃしないかい?

 


岡田以蔵の本当の姿も本心も知らない。

が、彼が伝え聞くような「人斬り以蔵」であったなら、その心境はなんだかわからなくもない。

彼は未来に幻滅していたわけじゃないと思う。

むしろ未来はあると信じていたに違いない。

どうして”そこ”に行き着いたのかは自分でもわかっていなかったんだろうけど....

斬って、斬って、斬りまくった暁”だけ”が....「未来」に辿り着ける道だと信じていたんだと思う。

だから斬って、斬って、斬りまくることに、迷いは無かったんじゃないかと。

 


当たり前に自分は以蔵のように残虐でもなければ、クールでもない。

が、迷うことが少なくなった...いや、迷っている最中にも迷っている意味をも見失うようになったのは....

残念ながら...それぐらいに考え方が熟成されたとか、決断力が身に付いたとかいうことじゃない。

”迷うことすら出来ない”ぐらいに他の道が「もう無くなった」だけのこと。

”逃げ道”という選択肢すら失ったと思う。

 


が、不思議と”追い込まれた”という実感がないのは...

たとえ自分の手法が斬って、斬って、斬りまくることだとしても....

その結果、見えてくる微かな光が見たいのだよ。

微かでも良いから見えてくる光を期待しているのだよ。

 


決してクールじゃないんだよ。

自分に残されたエネエルギーは残念だけど多くない。

それをカラ騒ぎに使って終わってしまうのか?

斬って、斬って、斬りまくって”未来の尻尾”を掴むのか?

2つも達成させられるほど残っちゃいないというだけのこと。