小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

剪定

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更新期間がこれだけ空くと....

前に書いたことなんか覚えているはずもなく、

前に書いた時の心境と同じであるはずもなく、

ただでさえ散漫な文章に、より連続性がなくなって、ただの”思い付きの発散”のような記事になっている....

 


以前から「自分を育てるために」とか「自分を伸ばすために」とか、その整理のためにブログを書いていると宣言しているが....

これだけ連続性に欠けていると、その効果も疑わしいもんだ。

インターバルは仕方ないにしても....もう少し内容の連続性は欲しい。

 


その「自分を育てる」に関しても...いつしか「育てる」はおこがましい歳にもなっている。

いや、最初からおこがましかったんだが、まだそれを無視できる限界ではあった気がするが、現在はとうにその限界を超え、「育つわけないじゃん」にはなっている。

 


まずは体力。

少々のトレーニングをやっているが、回数やタイムの向上がここ2年全く見られなくなった。

歳を取っても初心者に近い段階は「伸びシロ」はある。

が、それを消化してしまって成長を欲張ると...もう故障や怪我につながる。

自然の生き物として老化しているのだから当たり前のことだ。

 


哀しいかな、脳もカラダの一部なので絶対にそうだろう。

人生100年時代とおだてられるが、20代のカラダや脳が80年続くわけじゃない。

最後は寝たきりで意識もないかもしれない。

確実にそこに近づいている人間が....

「育つ」....という幻想を抱くのはロマンチック過ぎるというもんだろう。

 


が、何とかしたい。

まだ、諦めたくない。

そうやって特にここ7年ほどは抗ってきているんだが....

案の定”伸びシロ”を感じられるどころか、可能性が薄まって行くと感じるばかり。

 


そこで「育てる」は乖離があり過ぎると言うものだろう。

 


となれば剪定か?

無駄な枝やわき芽を摘み、”残された栄養も少ないために””必要なところだけを大事に伸ばしてやる。

そしてなんとか花を咲かせてやる。

老木であっても老木には見えない程度に整える。

 


ちょっとインチキ臭い手法だけど....

なんだか今の自分には似つかわしい。

 


いや、こんな手法であっても、ただただ老い朽ち果てるのを待つよりは

良いんじゃないかと....

後悔は残さないんじゃないかと...

 


...今回のGWにはいろいろと考える機会があった。

それを忘れないよう書き留めておきたいんだが....

 


おっともう時間だ。

次の機会にはまた全然違うこと考えているんだろうか?

なかなか残念な剪定だ。