面白いものを入手したので、少し書きくわえて見た。
少し古いが文科省の調査によるものなので、嘘ではないだろう。
この手の話になると、希望を失いたくないがためか、「体力だけじゃない」「経験値が....」「人望が....」という話にすり替えられる方々も居るのだが....
それを否定するわけでもないし、それならそれを信頼して生きて頂ければ良いので、私の考え方など無視して頂いて結構。
非力な私は少しでも科学的な分析に基づいて無駄の無い努力を見つけないことには”徒労に終わって”いられない。
しかも....残された余生にあまり時間があるとも思えない。
かといって詳しい分析をするわけじゃないが...
自分(ひょっとしたら多くの人は)希望願望を含めて、自分の能力の劣化をB:握力のように思っている(思っていたい)のだと思う。
しかし、現実としては全てではないかもしれないが、A:シャトルランのように落ちぶれてしまう部分もあるわけだ。
それは恐らく”認めたくはない劣化”なのだろう。
様々なスポーツ番組や健康番組のある現在、にわか健康マンとして、私のように”希望想定ライン”を描いている人は多いし、ひょっとしたらば実現させている人も居るかもしれない。
実際私自身3年ほど前までは「そうだ」と確信していた。
現にそれを支えるトレーニングもしている。
なので、文科省調査通りのグラフの延長には居ないと思っているのだが....
それでも、「希望想定ラインに居るはずがない」ことはもう承知した。
哀しいとか残念とか、精神論はさておいて....
これを無視した時にはどうなるかと言えば...
怪我につながる、疲労につながる、つまりは健康を害する....ことになろう。
脳内文化や精神文化がカラダとは別のモノというわけのわからない信者の方には申し訳ないのだが....
そんなもの自分のカラダの中にワンセットで収まっているのだから、「全部つながっている」。
もしくは「同じモノ」だ。
すれば....Aとは断定できなくとも、せめてAとBの中間ぐらいの劣化路線にあると思うのが....
自然というものだ。
私の希望想定ラインを見ていただければわかるように、全く”自然”からはほど遠い。
ゆえに”努力”が必要と、頑張ってきたつもりだが...
多分....あの剛速球江川氏がかつての投球をリアルには再現できないように、無理なことは無理な年齢になっているのである。
が、人間諦めが悪いので、「これはあくまでも体力の話」として、脳の活動やら、精神の活動やら(これも普通は脳だと思うんだけど)は”別”にしたがる。
自分もそのような傾向はあったかな?
しかし、それは科学的に人間が生き物である以上...「無理な話」ということだ。
何もかもを諦めた....という話じゃない。
でも、毎日素振りをしたところで、プロ野球の選手になれる年齢じゃないということ。
毎日の素振りは自分にとっては無駄な努力でしかないということ。
少しでも、残りの人生を豊かなモノにしたいのなら、すべきことは毎日の素振りではないということ。
それにしては、”毎日の素振りのようなこと”をたくさん見つけてきては、実践し、それでへとへとになっていたということ。
そのような努力の方向を切り替えていく時期が到来したのだろうということ。
それをグラフにハメて見たらば....
妙に自分に説得力があったかな?と。
毎日考えているし、毎日悩んでもいる。
しかし....その割には、”焦る気持ち”が出てこない。
いや、”急ぐ”とか、”焦る”ことすら、出来なくなってきているのかもしれない。
と、思うようになっていたらば、こんなグラフに出っ食わした。
下手をするならば進行方向が真逆になるかもしれないほどの方向転換ゆえに、かなりの体力あったとしても、「軽くUターン」なんか出来る事態じゃないんだろう。
その上に”劣化している”。
ならば方向転換し終わるまでは、牛歩にも及ばないほどのノロさで、ゆっくり方向を定めていくしかないのかもしれない。
なので、「出来ていない」フラストレーションは余計にたまるんだが....
A:20mシャトルランのグラフに自分を当てはめてみるならば....
「そらましゃーないかな」と。