小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

もう一つの「努力」への原動力は

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”贖罪”だ。

 


前にも書いているかもしれない。

「過去など振り返ってもどうにもならない」....と、言いつつ、時折”過去”を回帰するのは、”贖罪”の確認のため。

”贖罪”を自分の場合は明らかに努力のための”スイッチ”にしている。

この方法が良いのか悪いのかは精神科の先生でもない自分には判断できないが....少なくとも、贖罪もないかわりに努力もしない、よりはマシかと考えている。

というか....多分...何もなけりゃわざわざの努力なんてしない。

もともとはそういう人間だったので、自分自身が一番それをよくわかっている。

 


そう...若い時に”重荷”を抱えることが辛く、放棄をすることにした。

子供の頃なので正確に覚えちゃいないし、理由なんかもおぼろげだ。

ただ....意外と簡単に、苦しむことも放棄したし、努力も放棄した。

どれだけストレスを抱えずに、いかに毎日笑って過ごせる時間を増やせるのか?などという今からは信じられない路線にアッサリと切り替えた。

そういう実績を持っているからこその自信もあるというわけ。

 


理由なんかどうでもよいが、”心の休養”には良かったのかもしれない。

が、”楽なこと”ってのは恐ろしい。

慣れてしまうと簡単にはそこから離れられない。

なんせ超居心地が良いのだ。

離れる理由でもない限り離れようとはしないいものなんだろう。特に自分は。

ってなことであまりにも長い休養をしていたようだ。


....の癖して願望だけを抱くようになったとしたらば....

しかも案外その願望が大きいとするなら、

そりゃあ虫が良すぎるということになって当然。

 


欲と願望と快楽の贖罪があるわけだ。

芥川龍之介の小説のように。

とでもしないと努力しないかな?と。

 


それだけのこと。

基本努力したくないので、努力するためのキッカケとして変な話贖罪を見つけようとしているということ。

 


贖罪のための努力なので、過去の穴ぼこを埋めているようなカンジ?

なので格好良いどころか、あんまり前向きと言えるスタイルじゃない。

ひょっとしたらうなだれて努力をしているのかもしれない。

 


スイッチが入ってからでも、なんとなくゆっくりと済ませているんだろう。

いまだ追いついているカンジもしない。

周回遅れを走っているカンジ?

夏休みにやるべきだった宿題を2学期にやらされているカンジ?

みんなもう2学期の勉強始めてんのに。

 


そんなカンジで生きているんだと思う。

なので”基本”あんまり楽しい毎日じゃない。

が、そんな”楽しくない日常”になってしまっていることを誰かのせいにしたところで...気が晴れる.....ことでもないし...

なら、もう一度、重荷を下ろした生活に戻るならば....そこも本当に楽しかったのかな?と....

そういったモヤモヤを一言で片付け、行動に移るのに、「贖罪」を便利で簡単なスイッチにしている。

まあ、書いているほどに、堅く、細かく、考えているわけではないけれど...最低限のモチベーションの維持にはなっていると思う。

 


ともかく、浮かれてきたというかサボってきたというか逃げてきた年数は25年ほどあると自覚している。

なら、ここまで20年努力を続けていると....しても....しても....あと5年ほどは足らない。

普通に考えてプラマイゼロにしたいなら、もう5年は続けないと....ね。というわけで、そこもさらに気持ちが重くなるところ。

 


まあでも全てにおいて過ぎてしまったことなので、仕方がないのだよ。

1年サボってきたことはたったの一日の努力では絶対に取り返せない....のだからして。

と、思うようにしているのも、そういうところ。

 


まあ、奇遇にもちょうどの年限なのかな?という気もしている....

カンタンに言って人間は最後までサボれないというか、サボったツケは死ぬまでに精算しなければならないようになっていると。

 


さてさて、5年後は少しゆっくりしたいんだけれども、神様に許してもらえるかどうか........(笑)