小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

贖罪のネタ探しの罠

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例えばスポーツのトレーニングで言うと....”長所”を伸ばすってな指導はもちろんにあるんだろうけど....

じゃあ”短所”はほっときゃいいかと言えば....そんなことは無いはずだ。

ましてや”欠点”であることが明らかであり、直せる可能性のあるものならば...

それは見つけて、解析して、さらに”よりよい未来”に向かおう....とするのはごく普通のことだと思う。

 


じゃあ、その手法は...スポーツ以外においても、自分の未来を”よりよいもの”にしてゆく有効な手順になるはずだ。

...として、それを贖罪という言葉に置き換え、そして時たまそのネタを過去に探しに出かけている。

 

 

が、注意しなければならないと思っていることがある。

というか注意していてもけっこう陥ってしまう穴がある。

 


それは....本来は塗り替えられないから”過去”であり、塗り替えても仕方が無い”過去”なのに....

”反省”に気をとられるために....

いやあまりにも”反省”を追求してゆくうちに....

「こうしていたらこうなっていたよな」とか....

「そこでやめておけば...道を外さず済んだよな...」とか...

ありえなかった”過去”を想像してしまうことについつい熱中していたりするわけだ。

 


その反省というか修正は、過去から言う未来の”今”だからわかること、想像できることだ。

例えば中学校の後悔を”今”省みるならば、そりゃあ多くのことに理想のやり直しも想像できるだろう。

が、当時の未来も見えていない中学生の馬鹿坊主には考えつかなかったから”過去”として”決定された不変の事実”になっているわけだ。

 


猛練習にも諦めずに部活を続けているなら甲子園に行けた....かもしれない...やら、

もっと早くから勉強の大切さに気付いていたらば、東大は無理としても、有名国立大学ぐらいは行けたかもしれない....は、

”今”の判断力やら想像力やら常識があってこそ考えられることで....

つまり....”過去”からさらに人生を積み重ねてきた経験があってこそ判断できるようになったことなので、

それは”有り得ない”「修正された過去の想像」なわけだ。

 


片思いだった娘に同窓会なんかで会い、「私貴方のことが好きだったの」なんて告白されると....

「えっ、だったら告白しときゃ、付き合ってられたんじゃねーか」

というような”やり直し”はバックトゥザフューチャーでもなければ、絶対にありえない”やり直し”だということだ。

 


それを”今”どれだ後悔という努力?をしたとしても、実を結ぶことのない努力なのは明確だ。

まあお互い独身でもあれば、違った形の”やり直し”が無いとは言えないけれども....

 


贖罪のネタ探しはそんなノスタルジックに自分を浸らせることじゃない。

いや、浸ってもらっても構わないんだが....ほどほどにしておかないと....

そんなことに時間を使っていたらば”これから先の未来”どころか”今”だって良いものに出来ないかもしれないというのに...

 


例えば人身事故を起こしてしまったとしよう。

あの角を曲がらなければ....

一旦停止をしていたならば....

信号をもう一度見ていたならば....

後悔したり、反省する具体的なポイントは的確に出てくることだろう。

が、それがわかっても....事故を起こしてしまった事実は絶対に消せない。

 


それと同じこと。

それから先の人生は”事故を起こしてしまった自分”を永遠にひきずって生きていくしか道がないということ。

 


部活が続けられなかったことも

思ったような進学が出来なかったことも

片思いの彼女とも付き合えなかったことも

「こうしておけば...」という”答”が”今になって”具体的にわかったとしても、過去は今からじゃあ1ミリも変えられない.....

という”当たり前の”思考範囲は維持しておくべきだということ。

そして....”その延長”に自分は”今”生きているのだから....どれだけ過去の想像上での修正に力を注いだとしても、この”今の瞬間”までの自分には何も影響しないということだ。

 


贖罪行動の自分なりの規範は....

同じ過ちは繰り返さない。

同じ後悔は繰り返さない。

 


そのために、醜い過去の反省を探しまくっているというだけのことで。

大した時間を使うことでもなければ、自分に都合の良い修飾を加えるものではないということ。

 


残念だけれども、”今”無駄にした1秒とて取り戻すことはできない。

こんなくだらないブログを書いている時間にも、もっと違ったことがやれているだろうことも取り戻せない。

そんなに未来の時間の使い方に神経質になるのも問題なんだろうけど....

それが現実というものだ。

変えられるのは未来の行動と、それに伴う結果だけ。

それはどれだけ年齢を重ねても共通していること。

 


過去への反省へは積極的なのに、最近は未来への努力が億劫だ。

けっこう無駄にも時間を使っていると思う。

きっと”昔の自分”にもそういうところがあって....

「やっときゃよかった」ってな過去を多く残しているんだと思う。

 


多くの反省点を見つけ、多くの贖罪行動もしているというのに....

また新たにも反省点を生み続けてもいるわけだ。

それはもう理屈から言ったらば....

「愚か」というしか無い様なのだけれども....

 


まあ....「愚かな自分」....というのが現実なんだと思う。