小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

努力への入口が見えるという話

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石田徹也氏の絵なんかに共鳴していると.....

「ちょっと精神的にダイジョウブか?」....と、思われるかもしれないが....

多分....大丈夫。

 


また....”暗い話”を書いていることも多いので...深刻に悩んじゃっているのか?と思われるのかもしれないが....

真剣に考えることはあっても、深刻じゃないと思う。

 


かといってフザけているわけでもなし。

自分なりにモノを考えるに当たっては「”願望で装飾しない現実”の上で冷酷に思考すべきだ」と言い聞かせている....からの現れだと思っている。

 


反動と言ってもよいと思う。

毎日明るく楽しく過ごせていればいいや....としていた頃だって、実は不安も、不信も、不遇もちらちら見えていたはず....

ただ....まともに向き合うことに耐え切れないの予感からか、単に気が滅入るからか、重い気分を抱えるのが嫌だからなのか?

「世の中は気の持ちようなのだよ。どんな辛い境遇だって、気の持ちようで明るく、楽しく、過ごせるんだよ」という....”蓋”をしていた...

ことへの反動...というか反省があるんだと思う。

 


見えているはずの水漏れを、感じていたはずの傷を、

蓋して気が付いていないフリで時が過ぎれば....

自然に消え去っているのかと言えば....むしろ”穴”は育ってしまっているんじゃないのか?

放置ってそういうもんだろう。

 


これは正しいとか悪いとかの問題じゃなく、

自分がこれまで生きてきた人生からの訓示のように受け止めている。

実際そうだったし、そう反省しているし。

 


だから....穴ぼこや水漏れに向き合おうとしているだけのこと。

できれば小さなうちに見つけてしまおうと思っていること。

 


毎日毎日日課のように欠点や支障を探してばかりなので、そりゃあ楽しくはないけれど

不思議なことに、うそぶいて明るく楽しく振舞っている時よりも不安は無いと思う。

本当は知っているのに隠している方が心は落ち着かないだろうし。

 


ってか、この習性を維持し始めてからもけっこうになるので....

不安を抱えていること自体が自然体というか、常時不安と同居しているので、楽しくはないけど、暗くもなく、至ってその状況が”普通”になっているだけのこと。

書いているほどに怯えているわけでもないというのはそういうこと。

現実の周囲はこのような覚悟で生きていることを多分知らない。

バレないようにしているというよりも、こんなこと誇張したらば気持ち悪がられるだけなので(笑)

むしろ、普通よりは明るい人だと思われている....と思う。

 


自分だけじゃないとも思っている。

少なくとも石田徹也氏には”そう見えた”現代の光景の中に生きているのだ。

気持ちの良い光景じゃないし、まさかの自分もその一部?ってなことを思えば失望するのかもしれないけれど....

否定したい気持ちはわからんじゃないが....

じゃあ「どんなお花畑にでも過ごせていると思っているの?」

ってなところか?

 


自分は否定するよりも、リアルな現実を受け止めたいと。

そこをベースに考えた方が、少しでもマシに現実を変えてゆけると。

不思議なことかもしれないが、石田徹也氏の絵は、失望への到着ではなく、自分の場合は努力への入口になっている。

いつかはやっぱり管から昼食取らない立場になりたいかな?とか(笑)