小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

投資についての話

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自分もうまく行っていないが....家族も困難に次ぐ困難になってきて....

これまでの自分の行いが災いにつながっているのか.....と反省したりもするんだが....

落ち込んでいても道が開けるわけでもないので....

少しはずれた話をしようと思う...

 


"投資"という言葉があまりにもポジティブなイメージとして語られることには疑問を抱くが....

資本主義社会を標榜するのであれば、そのエンジンになっていることは間違いない。

いや資本主義社会を表明しない国家でさえ、経済の主力は普通は投資に頼っているはず。

だから”投資”は全く否定しない。

 


が、そんな中で、どっかの誰かが「貯蓄より投資」とか言ったが、その比較はおかしいと思っている。

貯蓄は貯蓄、投資は投資だ。

投資を貯蓄と同次元で考えさせるから悲惨な事態が毎年起る。

”極論”などではなく根源的理論からして、投資は「元本割れすることがある」のではなく、「失敗することがある」ということだ。

 


株式市場からリタイヤしたかつての大企業を見ればわかること。

いやさ山一證券など、投資を扱うプロが倒れてしまって....大量の「ゼロ」を生み出してしまうことも「投資」の本当の姿だ。

”増え続ける夢の投資”は投資の一面でしかない。

 


そう思うに至るにもけっこうな時間がかかっている。

大したことのない投資経験だが、年数だけは30年も超えているし。

失敗も....哀しいかな数知れない。

 


からなのか.....”投資の成功”からは学ぶことはあまりないように思えてしまう。

せいぜい舞い上がるか自惚れるかがいいところ。

 


それでも、続けているのは....

「自分が試される場」....「いや、自分の程度がわかる場」がフトした拍子にやってくるところの妙味ってのがある。

 


若い頃は金額は少ないものの有り金の全額をも投資に充てていたことがある。

それが見事にバブルの崩壊に遭った。

投資額(有り金)はみるみるうちに1/4になった。

しかも....人間そうなると「取り返したくなる」

そうなると借金こそしなかったが....貯金の出来ない生活を続ける結果になってしまう。

 


ここでも投資と貯蓄は同次元ではないことを証明している。

当たり前だ。

金を使わず置いておくことと、金を使うことは真逆でさえあるから。

同次元で扱うならば....消費と投資のどちらを選択するの?だ。

無駄な消費に使うぐらいなら投資。

そういうこと。

少なくとも自分は。

自分だけでも。

 


精神に支障をきたさないほどの少額であれば、感情の変化もつかみにくいかもしれないが、ある程度の額になってくると、価額の上下による感情の変化が見事にわかる。

上がった時は良い。

高揚し、気分もよくなり、機嫌も良くなる。

しかし、それが自惚れを呼び、知らぬ間に足は浮いている。

 


一方下がったとなるとそれを楽しく思えるわけがない。

さらに下がるなら、他の生活に何の不備がなくとも不機嫌になる。

もっと下がると不安も出てくる。

もっともっと下がるなら動揺を抑えられなくなる。

そうして何日も暴落し、やがて価額を1/4にもしてしまうなら....

動揺どころか狼狽が始まる。

心は全く健康からはほど遠くなっている。

 


人間は?はわからないが、自分は、

調子の良い時には、多少は度胸があるかもしれない....と、思ったりする時もある。

我慢強い...一面もあるのかな?とか、思ったりする時がある。

決断力がある....とかも、思う時がある。

思い切りだって悪い方じゃないかも?とか思ったりもするかな?....

 


が、調子が悪くなると、良い時には気が付かなかった異常に”ネガティブな自分”を見ることが出来る。

こんなにも弱い部分がこんなにもたくさんあったのかと.....

こんなにも臆病だったのかと....

未来さえ真っ暗になるぐらいならやめておけばよかったと後悔するのかと.....

あれだけ得意満面だったくせして....翌日には昨日に戻ってやり直せるならば....とか....

そんな自分の能力の低さや程度の低さや精神のモロさや弱さや......醜さを......

 


やっぱり金がかかっているからか、そうでない時には抑えられていて格好つけたこと言っておられる感情が....

醜いほどに歪んでしまうことが手に取るようにわかるのだよ。

何十時間も、何ヶ月も、ヘタすりゃ何年に渡っても....

”改めて”思い知ることが出来るのだ。

出来なくてもいいのに。

 


精神力だけの問題じゃない。

金額も当然に影響する。

なので「いかに儲けられるか?」は案外基準になっていない。

「どこまでだったら耐えられるのか?」

それが自分の投資の基準。

極めて精神的な基準だ。

なんだかおかしいんだけれども。

 


孫さんや堀江さんや最近話題の前澤さんには、能力だけでなくクソ度胸も備わっているのだろう。

が、自分は全く無理。

生涯そのようなことをもう思うはずもないぐらい、何度も打ちのめされているので、いい加減わきまえているつもり。

 


もちろんお金を増やしたいから投資に手を出しているんだが....

むしろ.....どこまで耐えられるのか?ってな肝試しをしている意味合いのが強いのかもしれない。

 


随分高い肝試し代なんだけれども....