小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

人体実験の話

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結局のところは...

自分の身体を通して、人体実験をしているような日常になっている。

先回の十投資のところでも書いたんだけれども...

見たくはないんだが、見ないようにはしているんだけれど.....どっかで、自分の醜さやずるさや姑息さを炙り出そうとしている。

炙り出したいと深層心理で思っているようなところがある。

 


それがどうしてなのか?

どこからの欲求なのかは今のところ自分じゃわかっていない。

テレビに出ていらっしゃる精神分析医?のような方々なら見事に解明していただけるのかもしれないけれど....

解明していただく必要は感じていない。

 


面倒臭い習性のようには思うけれど....

これはこれで努力への足がかりとなっているような気もして....

というか人体実験の意識が無かった頃には努力なんかの必要性を感じていなかったから、

必要悪の習性のようには思っている。

 


今にして思えば”トレーニング”がその入口だったか?

運動に関してはかなり自惚れていたこともあり、たまたまの運動不足が続いていただけで、すぐに復活できると思いきや....

そうではなかった....だけではなく、けっこう年齢が来ていたので、故障だの疲労だのを考えつつのトレーニングを余儀なくされるようになっていった....

「どこまでなら耐えられるのか?」

「楽過ぎても効果はない」等々

まさに人体実験のようなトレーニングだった。

 


ある程度の専門分野に居たこともあり、書籍に頼ることはあまりしない。

むしろ、人のカラダのことよりも、自分のカラダが一番ダイレクトに感じるのだから、そこが最短で最大の資料のはず。

イチイチそんな面倒臭い解釈はしていないが、まあストレートに考えてもそうだろう。

自分でメニューを決め、負荷を決め、回数を決め、そして結果を”感じる”

そんなことをもう20年近くやっている。

ある意味....

人のカラダの感想を参考にしてトレーニングを計画されている方よりも、”自分のこと”は把握できていると思う。

 


そういう積み重ねからか....

いつの間にか自分の行動の多くが、人体実験のようになっているのかもしれない。

投資だけでなく、仕事でも、交遊でも、展示会でも展覧会でも、曲をダウンロードすることも、飲み会も、ネットも、ブログも、ともかくやってみる。

 


ただ、これだけ多様になってくると、24時間で全部はやりきれない。

だから今のメニューに留まっているだけで、時間があるならさらにいろいろなことをやってみたい。

そこで、「どこまで出来るのか?」を知りたいわけだ。

 


ということは同時に「どこまでは出来ない」というラインを見つけるということでもあり。

それには当然「失敗のライン」を知らなければならないということになる。

ちょっと格好つけた大袈裟な言い方をするなら.....

「失敗のラインを自分の身体に刻み込まなければならない」わけだ。

 


すれば....それは人体実験のようなものになるのかな?と。

別にMではないと思っている。

けど....

ここまで生きてきたのだから、他の誰かよりも、自分のことを知りたいわけだ。

どれだけ卑怯なのか?とか(笑)

 


それほどにも卑怯だとも思っていないけど....いい格好して隠している卑怯さはあるだろうと、意地悪に自分を試してみたいわけ。

現実の世界の他人様に、格好つけて接しているほど本当の自分は格好よくないだろう、と。

後輩達に偉そうにうんちくを垂れているほどには賢くないだろうに、と。

 


お前(俺)の正直なところの能力は?

お前(俺)の正直なところの優しさは?

お前(俺)の正直なところの精神的耐久力は?

お前(俺)の正直なところの妬み根性は?

お前(俺)の正直なところの歪みは?

お前(俺)の正直なところの憎しみは?

 


まさかそんなにも自分が醜いなんて思いたくもないからに....

自分にも気が付かれないように隠そうとしている部分があるはずだ。

でなきゃここまでもっとうまくいっていた。

いっていないのは....人のせいではないのだね。

 


というところから....

盛っていない等身大の自分をはっきりさせないと。

把握しないと。

どこから何を努力すればいいのか?なんてわかるわけねーじゃねーか。

 


という自分自身への企画のようなもの。

今のところその中心に仕事があり、トレーニングがあり、庭仕事があり、投資があり、家族があり、交遊があり、趣味があり、ブログもあるということ。

 


大きな具体的目標はいまだ見つかっていないけれど....

等身大の俺ってどんな程度?を知るのはひょっとしたら一つの目標になっているのかもしれない。

 


さあ、雨も上がってきた。

嫌で嫌で仕方がない草抜きに参ろうか....

嫌で嫌でやりたくもない草抜きに出向いてしまうのが、等身大の自分だということ。

 


そんな細かな人体実験を毎日繰り返しているということ。

何の成果も出ていないようだけど、昔より少しは盛っていない正味の自分の力は把握できてきているかな?

それが何の役に立つのかもわからないんだけど(笑)