小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

本庶佑さんからの話(1)

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気が小さく馬鹿なくせになんて思い上がりが強いんだ。

だからすぐに舞い上がるくせに落胆しやすく、結果腰が据わらずずっと右往左往の人生を繰り返す。

いい歳こいているのに子供っぽいという可愛らしさでは済まされない。

大したことなど何も達成していないのに、どうしたらそう思えるのか?自己評価だけが高い。

一体どこの世間を見ているのか?と。

自分に都合良く見えるようなルーペでもかけているんじゃないかと....

 


と、父親を見てそう思ってきた。

だが...本庶佑さんを見ていると...

哀しいけれど自分も父親側の人間であることを思い知る。

少しどころじゃない。

本庶佑さんの生き様とは大きくかけ離れている。

 


実にみみっちい。

実に姑息。

大きく、勇敢で、立派なように見せているけど

心根はそれとは裏腹のようにみみっちい。

だから人生が全く違っている。

能力ももちろんだけれど、それだけじゃない。

 


かけ離れた能力ある人を見た時に、自分が凡人であることを再確認させられることはよくあることだけれども....

例えば大谷君とか大坂さんとかだとは、見てくれからもう違い過ぎて、自分とは比較対象にないことが最初っから明確なので、本気に”違い”を考えるまでには至らない。

 


が、運動系等でない方々の超人具合は、単純な視野の自分にとっては”見てくれ”も自分と似たサイズ感なので、「それなのにどうしてこんなにも違うのだ」ということがより浮かび上がって思い知らされる....ということがある。

 


伝記に出てくるような偉人さんも本来そうなのだろうけど....やっぱりリアリティに欠けるので、というか自分の想像力が欠如しているのか、インパクトは薄い。

しかしながらライブ映像まで見られてしまう現代じゃあ、”生きている人は”あたかも教壇の先生を見るぐらいの近さでは感じることが出来てしまう。

 


自分より能力の高い人なんか本当は周りに腐るほど居る。腐るほど居た。

本当は気が付かないわけでもない。気が付かなかったわけでもない。

「自分のが下だとは認めたくなかった」ってのが大きいんじゃないだろうか?

 


のように...あまりにも身近な存在だったり、どんぐりの背比べ程度の違いだと....

妬み嫉みぐらいしか思い浮かばなくなるのかもしれない。

 


が、本庶佑さんぐらいにまでかけ離れると....逆立ちしても追いつけない地位であることが明確で、同じ人間としてどうしてそんなにも違ってしまったのか?

までよーくわからせてもらえる気がする。

 


何もかも違う。

もちろん親も違えば、育ちも違って、選べない環境さえ違うのだから「そもそものスタートが違う」とも言えるんだろうけど....

むしろ....物心ついた頃からも”加速度がついたように”違って行くので、呆れて笑うしかない始末だ。

 


ノーベル賞を狙っていたのかどうかは知る由もない。

が、狙わずとも至るような選択の人生だ。

”研究が”....だけではない。

むしろ”研究以外のことまでも”

生き様というか選択眼というかそういうものが自分なんかとは「全然違う」からこそ、ノーベル賞にまで至ったことがよーくわかる。

いやさ、ノーベル賞なんてどうでもいいのかもしれない。

ともかく自分とは全く違った人生になったことをよーくわからせてもらえる。

恐らく....友情、恋愛、師弟観、家族、仕事、研究、未来、責任、金銭感覚......全てのことにおいて....

残念過ぎるのだが....

自分と....あまりにも”違いすぎる”のだろう。