小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

体重を知ってることが自分を把握してるってことじゃないだろう

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”自己分析”やら”本心の掘り下げ”やらは、あまり素人が勝手にやらない方がよろしい...とか聞いたことがあるんだけど....

自分の場合は「やって良かった」と思っている。

 


当然ながら「ここまでの経緯」を元に自分を暴いていく作業なので、「過去の自分をどう捉えるか?」というところが鍵になる。

あくまでも”自分の場合”ではあるが....楽観的というか...肯定的な見方は”その時点”では安堵感をもたらすかもしれないけれど....その後の自分を幸福には導かないと思う。

極端に言えば、「生まれながらのままで脱皮の必要もしないなら」....そりゃあ虫でさえ社会で通用しなくなる。

欠陥とまでは言わないものの、”欠点”や”足りない部分”を正しく認識できてこそ開ける未来もあるってもんだ。

 


もともとに自惚れ屋ということもあって、まさかの自分に醜い部分や汚い性質や卑怯な心なんて「あるはずがない」と言いたいんだが....

そんなもの....恐ろしいほど「持っている」。

本田圭佑は「サッカーの腕前や運を持っている」らしいのだが....自分が持っているのは残念ながらあまり良くないものだらけだ。

 


しかし....それもちゃんと考えれば当たり前のことだ。

良いものたくさん持っているならば....とうの昔にブレイクしている。

”そこいらへんの一般庶民のままでいる”事自体が、”足りない部分”の多さを証明している。

 


自分のことを正しく知ろうと言うもくろみがなかった時は、ほぼ肯定的である一方で、よく悩みもした。

いや、悩むというよりは「よく、人に憤りを感じた。」

....これは普通「人のせいにする」とも言い換えられる。

 

 

”人体実験”やら”自己分析”によって改めて見る自分ははっきり言ってみっともない。

正直残念だ。

が、だからこそ「今出来ていないこと」「これまで出来なかったこと」の理由ははっきりとわかってくる。

そりゃあ”環境”や”成り行き”の影響が皆無とは言えないが....

どんな理由があるにせよ....今の自分に至っているのは、やっぱり”自分のせい”だ。

”そこ”が理論的にも、よーく納得できるようになる。

 


”残念な自分”....だからくじけてしまう....のではなく、

”自分が残念な存在”であるからこそ、”残念な位置から”スタートするしかないんだな、ってのがよくわかる。

 


自分のサイズを正しく知らなかった時は....

飛びついても届かないものへの努力で疲れ果てもしたし、

大事な人を付き合うに値しないと邪険にしたこともある。

何よりも、出来もしないところまで想像するのは勝手だが、いかにも出来るかのように振舞った。

そんな装飾は全く無意味だというのに....

 


くどくどと同じようなことばかり書いているブログで、

何の前進も無いように見えるだろうけど...

これでも、”足りない自分”と向き合うようになったことで

随分と変わってきていると実感している。

なので今後も続けるつもり....

 


足りない自分でも愛おしい....

などと思うはずはない。

悔しいとまでは思わないが...哀しいし、寂しいことだし、残念だ。

虚しい....かな?やっぱり。

でも、それが等身大の自分だ。

けっこう虚しい....

のが等身大の自分なので、せめて少しでも....

虚しくない人生にして行きたい

ってとこなんだろう。

 


別にこんな顛末を願ったわけでもないし、狙ったわけでもないんだが....

”自分研究”をするようになってからの方が...案外淡々と生きている。

静かになったというか....

 


ひょっとかしてただ歳を取っただけだったりして....