「しょうがない」説....
面白いです。
いや、決してフザけているわけじゃなく。
自分が”頑張ること”を知り始めたのは約20年前になるのですが、それ以前は「しょうがない」を許さなかったと思います。
あくまでも現在からの想像ですが....
「”しょうがない”なんて諦めの、無責任な、最低の言い訳を凝縮したような言葉だ」と、きっと断罪していたように思います。
が、本当にそのような厳しさを自分に向けていたかと言えば....
むしろ全くの真逆で....
自分にヌルいからこそ、おめおめとそんな大口を叩いていられたんじゃないかと....
頑張ってなきゃ挫折感とて薄っぺらなもんです。
それ以後も大した頑張りではないのですが、それでもそれ以前に比べたら....頑張るようになってみると...
超えられない壁、跳べないハードルに出っくわします。
誰かの父親に言われました。
「ばっかじゃねえの、お前は。そんなこと言ってたら甲子園で優勝したチームのレギュラー以外、高校野球やっている奴って、全員”挫折者”ってことになるじゃねえか....」と。
「何も自分を甘やかすって話じゃねえだろ?ここまででもよくやったよな、ってな話は。それ以上はもう....”しょうがねえよな”という話なんだよ。」と。
あまりにも当たり前の比喩なんで、その時は感心もしなかったのですが....
多少なりとも自分が頑張るようになってみると....
いや、頑張るようになってきたからこそ....
「どうしても超えられない」壁やハードルという高さも知ることが出来るようになるわけです。
それらを全部”挫折”ということにしないといけないのなら....
再び頑張ろうというエネルギーは減る一方になってしまうんじゃないでしょうか?
せめて出来ることは....
「やるだけやったんだ....」を頭につけてやること....
そこまででいんじゃないかと。
むしろ....かつての自分は....
頑張ったことがないからこそ...自分の能力が無限のように思えていて....
「しょうがない」
を許せなかったんじゃないかと思うと....
随分と幼稚だった自分がお恥ずかしい限りです。