小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

年が明けてしまった(笑)

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毎年12月は超忙しいと決まっているんだが....

やっぱというか、案の定というか....

夢中で所用を済ませたら....

年が明けてしまっていた....ってなカンジだ(笑)

 


前々回に「えっ?ゴールしてたの?」という話を書いた。

これはこれで嘘ではないし、早とちりでもないと思う。

目標たる数値と期限を誤魔化したということもない。

事実目標に”到達”はした。

 


が....

その”到達”に気がつかなかった理由が少しわかるようになってきた。

 


忙しさに忙殺されていたからじゃない。

勘違いしていた。

せっかく待望の”到達”をしたというのに...

....到達後の世界が...「さほど何も変わらなかった」から....”気が付けなかった”のだ。

 


10年前のリーマンショック時、鼓動がやまないほどの焦燥感や不安感に包まれた。

覚悟や目標を掲げたのは....少しでも早く、少しでも安堵感を得たかったからだと思う。

 


安心を見たかった。

ある意味自分にいつの日か...「よくやったな、ここまで来れば....もう十分だよ」....

と言いたかったのだろう。

しかも....できる限り早いうちに....

自分で自分に言ってもらいたかったぐらいに。

 


...ところが「気がつかなかった」ってことは....今も大して変わらずに不安感を背負っているということなんだろう。

 


10年前と”同じ不安”ではないと思う。

「10年後にさえ辿り着いたら....」という時点には達して生きているのだから....”そこ”はクリアーしているはず。

....が、10年後には10年後なりの”新たな不安”がちゃ~んと育ってきているということのようだ。

 


なんだかよくわからないんだけども........

宗教とか哲学とかが誕生した意味が少しわかるような気がしている。

 


やっぱり人生の途中なんかにゴールはない。

多分.....ゴールは”死ぬ時”だ。

いや、”自己の認識が出来なくなった時”も...自分の努力が及ばない地点なので....ゴールということになるんだと思う。

植物状態になってしまうなら...近親者を悩ませるかもしれないが....自己の意識はもうゴールを済ませている。

そういうことなんだと思う。

 


それまでの間....

ずっと悩み続ける。

ずっと考え続ける。

それが脳みそが肥大化した人間の宿命ってもんなんだろう...

やれやれ...だ。

 


やれやれ....なんだが....”これ”はある意味神様が”愚かなくせに傲慢な人間”に与えた試練として....

粛々と....まさに粛々と継続してゆかなければならない宿命なんだろう....

 


徳川家康ほど裁量のある人でさえ....「重荷を背負わされた上に、さらに坂道を上れと言われているようなもんだ」....

と感じたぐらいなんだから....

まあ自分程度では.....

両手を縛られ、さるぐつわをハメられて、さらに両脚に錘を繋がれて....大海に放り投げられたようなもんなんだろう。

そう、

あがいていないと溺れて死んでしまう。

そういうことだ。