小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

本音に素直に

 

 

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そんなところから...

下山には...いや、下山だからこそ...

「自分の本音(本心)」が重要だろうと考えている。

 


本当は”上り坂”の時代にだって

「正直な本音」に素直に生きて行きたいものなんだろうけど....

なんせ背負うものを増やしていく時代なので、そうはいかない。

2人分どころか3人分、4人分.....何人分背負っているのかわからない分.....

背負うのだから、自分の身勝手な願望通り....というわけにもいかない。

 


その点多くの荷物を背負わなくてよくなっていく分....

最後なんて”独り分”でしかないという哀しい?時代に向かって行くので....

これまでよりも自由に振る舞える部分もあるんじゃないだろうか?

そん時ぐらい、せっかく生まれてきたのだから、ささやかな希望を見出してもバチは当たらないでしょうと....思うわけ。

 


なのでわがままな自分の本音を少しぐらい聞いてやろうと....

もう一度おさらいしてみたらば....

 


やっぱり

素直に金が欲しいね。

 


ということがわかってきた。

 


いや、孫さんや前澤さんのような莫大な金が欲しいと言っているわけじゃない。

金の心配をしなくても良いだけの金はやっぱり欲しいのだ。

 


それだけ持ってりゃ働かなくてもいい。

持っていないなら働いてでも。と思うだけのこと。

 


極めて庶民的な願いだと思う。

そう庶民の分際なのだ。

 


庶民の分際の金が欲しいのだ。

 


哀しいことにいつの間にか

遊びたい<金が欲しい

になっている。

 


これについては自分でも良・悪・好・嫌のジャッジはあえてしない。

もういくつものことを誤魔化しながら器用にはさばいていけないだろう。

なら、女の子にモテたいがための”格好をつけた嘘のような本心”は絵に描いた餅になるだけ。

自分が安心できる方向に

自分が後悔しない方向に

自分が喜ぶ方向に

進ませてやれば良いんじゃないのか?

 


上り坂は嫌な道でも、キツくても、

責務とやらを背負わされて好きな道は選べなかったろ?

 


なら、せっかく辿り着いた下り坂なんだ。

しかも死ぬまでの長い下り坂だ。

許される範囲で自由に進んでみようじゃないか。