ブログを継続的に読んで下さる方々にはバレていると思うんだが....
数か月前ぐらいまでは、"遊び"や"趣味"を罵倒していた。
これはある面、遊べなくなっている、趣味の時間も取れなくなっている、”自分へ”のエールでもあったんだけれども....
若い頃は裏腹に「趣味は仕事なの?」と言われるほどによく遊んだ。
滅多になかったが...「週末を自宅で過ごす羽目になるなんて....気が狂うぞ」と思ったほどに....
いっぱしにも働くことに価値を見出すようになってからの....
その後悔の様は散々書いてきたので割愛。
ただ....「死」....ということを考てみた場合には...全く別の思考回路も出てこよう....
仮に今、その若い頃の趣味をやろうと思ったところで、若い頃のようにはそもそも出来ない。
ある種楽しめない。
運動神経も体力も衰えているからだ。
真似ごとのようなことは出来るかもしれない。
が、それは趣味の醍醐味に反するし、一生懸命に上達を目指している若者にも失礼だ。
簡単にまとめるなら
今、いくら金があろうとも、暇があろうとも、
「出来ない」
また、一人では無理が多いこともある。
車の運転しかり、交代交代で運転するから遠くにも行けたというもの....
つまり....あれほどに後悔のある自分の趣味や遊びは.....
一緒に遊ぶことのできる仲間も多かった”あの頃”だからやれたことであって、”いつでも”やれたわけではないし、”今”やろうと思っても出来ない.....ということだ。
ものには”時期”というものが、例え遊びや趣味のようなものにであっても....「ある」....ということ。
そう思うと....
まさかの....
後悔どころか....
「有難い体験」が、出来ていたのかと....
少しビックリ。
少し笑える。
そして....それは”これから”にも言えることであって....
「今だからやれること」は
大切にしないと、やっておかないと
その方が「死ぬ時に」後悔するのかと....
ある種「死ぬこと」への恐怖心が少し薄いのは
過去にあまり後悔がないからかもしれない。
そんなに自慢できるほどのものではないけれど....
そういやまあまあに、けっこう好き放題やってきた。
非難轟々だったことも多いけれど(笑)
それも無視するかのように思うようにやってきたかな?
嫁さんはずっと恨んでいるんだろう.......
「死んでもいい」というよりも
嫁さんからしたらば
「死んで欲しい」
と思われているかもしれない。
ものの考え方にもコペルニクス的転回はある