”平成”という一つの区切りが幕を下ろすということで....
いろいろな総括が行われているんだが....
自分にとっての”平成”は、まさしく日本の下り坂だったと思っている。
皮肉にも、”平成”は、その始まりの年末に日経平均史上最高値をつけて華々しくデビューした。
昭和からの「上り坂エネルギーがそのまま続く」と誰しもが思っていたからこその株価上昇だったと思う。
が、その願いが一度たりとも叶うことはなく低迷した時代が平成の実態だ。
若かったということもあるがその史上最高値に向けて2年ほど全力で株を買っていた。
全財産と言ってもいい。
それが、またたく間に1/4になった。
全財産と言っても若い独身時代なので大したものではないんだが....
それでも全部は全部だ。
精神的ショックはいかほどのものだったのか....
おそらく七転八倒していたと思う。
それが自分にとっての平成の幕開けだ。
周囲の大人達の....
「いつかは景気も良くなるさ」
「また、バブルになることもあるってさ」
という根拠の無い楽観を信じられるはずもなかった。
特別に大人達を恨むようなことはなかったけれども....
この「根拠の無い楽観」がバブルを創出し、バブルをはじけさせたとは理解した。
日の出があれば日の入りもある。
満ち潮もあれば引き潮もある。
光もあれば闇もある。
それが人間社会を超えた自然の摂理だ。
なのにどうして人間社会だけが「上り坂」のみを演出できるものなのか?と。
自分がよく使う「神の思し召し」からは「良いことばかり」が起きるものではないと思っている。
自分にとって、人間にとって、嫌なことであろうとも、”必要な戒め”は起こされると思っている。
であるならば....
高度経済成長だ。
エコノミックアニマルだ。
ニューヨークを買い占めろ。
ぐらいに自惚れた日本の経済は、同じぐらいは落ちぶれるだろうと想像した。
なので「下り坂」を生きてきた実感は、ほぼ平成とともにあるので、今に始まった感覚ではない。
ただ....日本が下り坂にあろうとも....「俺だけは下らない」
ぐらいの気概は持っていた。
その気概でここまで生きてきた。
んだけれども....
若さや気概を頼りにするような強引な逆らい方ではもう通用しなくなってきたかな?と.....
そんな思いでテレビを見ていたら....
イチローが映っていた。
同じ努力が通用して、栄え続けらるもの.....
など無いことが証明されようとしている。
哀しいとかじゃない。
それは自然の掟だ。