自分のことを、コッソリ...「高い位置」として見てもらいたかったピークは3年ほど前....になるかな?
楽しく会話していても....くだけて、イジられたりすると....
どっかで「優秀に見られたい」ってな、感じがゴソゴソと出てきて...内心都度都度キレていたり....
低く見られることにくそ面白くない気持ちが沸き上がっていた。
そしてそんな気持ちがあったからこそ
人知れぬ努力も出来るもんだと思っていた。
アピール、プレゼン.....
情報過多時代となって.....「どう見られているのか?」「どう思われているのか?」....そういったものが、ものすごく人生を左右する時代なのかも知れない。
なんだか毎日そんなことをテレビではアピールしている人もいる。
言ったもん勝ちじゃあないが、能ある鷹は爪を隠すじゃあ...もはや「誰の目にも止まらない」のかもしれない。
ん?
けど....そもそもが....「誰かの目にとまるための特別な努力」ってのは必要なものなのか?
いや、自分の経験を信じよう。
それぞれの親が言う”神童”がたくさん居た小学生時代でも、「コイツが将来有名になる」なんて奴は居なかった。
で、結果....その通りやっぱり「居ない」(笑)
が、たまたまの色々なご縁で....
工藤と立浪とイチローは実際に見た。
ものすごく近くで。
不思議と全部彼らが高校生の時に見た。
全部別格。
今更何がということもない。
見た瞬間に別格(笑)
多分人間性も別格
なので彼らに.....いちいち他人にアピールする必要があったとは思えない。
そんな経験もあって....
武勇伝や姑息な作戦で「上に見られるようにする」したところで....そもそも実力がUPするわけではないし....
そんな努力はいわば試験におけるカンニングのようなもので、「見た目の点数」を上げるという効果は出せるのかもしれないけれども....
実力が身に付く努力じゃないということ。
そんな時間があるならば、誰にも言わずに低いなりの努力に時間を使った方が着実だろうと....
3年前をピークに徐々にそんな思考が強くなってきた。
それまでとて謙虚にしてきたつもりではあるんだけど
謙虚さに隠していた意地みたいな面倒臭いものもあって、
都度都度牙をむいていた、
それは....
今はだんだん薄らいできている。
その上に「下り坂」らしい。
となると底辺+下り坂であって、もう何も自慢出来ることもないんだが(苦笑)....
なんだか随分と楽になってきている。
「どーせ下り坂なんで」
「どーせ底辺なんで」
とヤケになっているワケじゃない。
人の目を気にしない自由さがある。
不思議と随分と人間関係も良くなっている。
楽しく交われることが増えている。
決して上から目線でもなかったと思うんだけれども....
きっとバレてたんだと思う。
「お前らの下ではないのだからね」という奢り高ぶった内心が。
”プライド”っていかにも崇高な精神のようにも言われるんだけれども....
まあ相対的簡に言うなら
「まわりの人間を見下している」ということは否定できない状態なんだから....
そりゃあ上手くいくはずもないでしょう(笑)
流石にどんなにぐ~たらだと自負していても
見ず知らずの他人に「見下されたくはない」ってもんだ。