小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

戒め十一番 己の需要編

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十一番目の戒めは....十一番目なのに....

「一番に優先するのは”現在の需要に応える”」ということ。

すなわち現在の仕事が最優先ということになろうか。

 


いや、常識的にはそうなるだろうことはわかっちゃいたんだけれども、

それは”常識的”だからではなく、”意味あって”ということを自分にも思い知らせたかったという意味での....

そのために必要な十の次の十一番目ということ。

 


そもそもそんな厳粛なブログではないので、順番なんてどっちでもよいだろうし、

現実でも状況によっては相当に入れ替わるもんだ。

 


友人にはもう本職をリタイヤしてしまった者も居る。

それはそれぞれの人生なので良いも悪いもない。

いや、自分だってもう突然の終了も覚悟しなきゃいけない身だ。

 


が、

いや、だからか。

自分に対する需要には感謝も込めて、まずはそこを大切に、と思うのだ。

 


社会に出たばかりの自分はどうだった?

「俺やれますよ」って盛んにアピールしても誰がお願いにやって来た?

誰が相談持ちかけて来た?

誰が「お金も払いますので」と言って頼んで来た?

 


その上にだ。

若い頃は「自分の需要」よりも、

「自分の好きなこと」

「自分のやりたいこと」が優先した。

 


それも...悪いことではないのだろうけど....

「自分の好きなこと」「やりたいこと」が必ずしも相手の貴重なお金を頂けるほどに満足を与えるものではないレベルないはずだ。

でも、無理からにでも認めてもらいたがった.....

 


”気持ち”が大切とか簡単に言われる。

が、けっこう生活に大切なのは”お金”だ。

 


その大切なお金を頂くということは、いくらやる方は「好きなこと」であっても、払う側にとっては「中途半端な腕前の成果」ではご迷惑なのだよね。

そして、それは自分じゃなく、お相手が判断すること。

だから必ずしも「自分のやりたいこと」と「やってもらいたいこと」はマッチするはずがないものだということ。

 


テレビの世界はわかりやすく例示してくれているように思う。

高倉健だとか、桂歌丸だとかは「その道一本」の尊さも見せてくれるが.....

高田純次だとか恵俊彰とか片岡鶴太郎だとかは....

恐らく転身の時は、本意でもなく、不安だらけの出向だったと思うのだ....

 


それをあたかも水を得た魚のようにして成功させてゆくのは、転身のヒントを与えた人だったり、もちろん本人の努力だったりするんだろうけど....

支えたのは”需要”じゃないのかしら。

 


自分もそう。

紆余曲折の人生ありながら辿り着いた現在の仕事は、幼い日に理想とした職業にはほど遠いものだ。

それでも現在「お金をいただけている」ということは、少なくともその要望は満たしているであろうことだからして、

ましてやリピートしてくださっている仕事など、こんな無能なオッサンに貴重なお金を払ってまででも必要にされることが一体世の中にどれだけあろうかということなのだ。

しかもだ。

気が付いたのが遅いかもしれないほどに、

本人が「下り坂」と認定しているぐらいの能力なのに....だ。

それは一体どれだけ有難いものなのか。ということ。

 


そりゃあそいつを一番に考えないと

バチが当たるというもんだろう。

 


遊びもいい。

趣味もいい。

他のことに一生懸命になっちゃいけないとは思わないが....

 


下り坂の人生に入ってまで

お金を頂けることがあるなんて

 


むしろ....そりゃあ遊んでいる場合じゃないわ。

 


という気に

今のところなっているというわけ。

 


あーよかった。

若い頃飽きるほどに遊んでおいて。

 


と自分の人生を肯定的にも考えるのだ。