小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

「下り坂」に入る前に

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何なんだ前回の文章は。

強がっているというよりも、言い聞かせているようで....

しっかり”動揺”が見てとれるじゃないの。

 


ま、そういうことだ。

これが自分の力量であり、その力量を恐らく超えている事態と対峙しなければならない時が来て....

ビビってるんだろう。

 


軽い問題じゃない。

書いたように人生でおそらく一番試される場面が来てしまったと思う。

 


救いは....若い頃というよりも、このブログにも書いてきたように、20年前まで随分とちゃらんぽらんの生き方だったので

後悔とて半分で済まされることぐらいなんだろうけど....

それでもこの20年はあれやこれやと自分の成長を促し、足らないところを継ぎ足し、腐ったところは削ぎ落としてきたつもりなので

その成果ぐらいは味わいたいのだ。

そもそも「成果を味わう」ような機会とて最後になるのだろうから....

「集大成」と呼ぶべきだろう。

過度に欲張ったり、緊張してはうまく行かないのだろうから、もう少し軽くは扱いたいんだが....

 


まあ、フザけ通した自分の人生にも、ついにそんな場面が来たということ。

 


もちろん真面目に考えなければならないし、

かといって縮こまってもいけないだろうし、

力量以上に大胆に振る舞うべきではないだろうし

面倒臭がってもいけないんだろう。

 

 

20年前に、突っ徐なんで「走ろう」などと思ったのか?

なんで資格なんかとろうと思ったのか?

なんで仕事に一生懸命になったのか?

なんで子供らを全国大会に連れていこうなどと思うようになったのか?

なんで

なんで

そんなにも毎日努力を日課にしようと思ったのか?

 


「何のために?」

自分でも全然わからずにこなしていたんだが....

 


それは....きっと来るであろう「この時」に対処できるような能力が無かったから

恐らく.....

「最低限のディフェンスが出来るような力ぐらいは備えなさい」という神の思し召しだったんだろう。

 


この時のための20年だったのか?と

今、初めて思わされている。

 


だから....対峙する一瞬の結果よりも

努力知らずだった自分が継続してきたこの20年を

「無駄じゃなかった」

と思うような結果にしてやりたい。

 


かなり長い道のりになると思う。

全然楽しくないとも思う。

「その後」なんて全く見えてもいないことを考える必要はないと思う。

 


ともかく乗り切りたい。

結果は....

もちろん成功したいが....

失敗でも後悔のないようにはしたい。

 


しばらくは、

いや、かなり長い間。

これが最優先だ。

「下り坂」の人生は、”それから”考えても全然遅くない。

 


誰にも相談できない出来事なので....

毎度のようにブログの中の自分に相談して行こう。

 


彼ならば、きっと冷静に、背中を押してくれるはず。

 


大胆に勇気を見せる場面じゃない。

慎重に、慎重の上にも慎重に

と言い聞かせて....