小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

集大成とはこのことか

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「下り坂」の人生に落ち着き始めたのに「覚悟を決めた」は矛盾しているようなんだが....

そうでもない。

 


いろいろと支障があって何もかもを公開するわけには行かなくて断片的な話で分かりづらいだろうけれども.....

順番だ。

 


①「下り坂」に入ったことを確信(納得)できた。

からの、次なるアクションが

②「覚悟を決めた」

だ。

思いつきではないことは、ブログの記事のインターバルの長さからも推測できよう。

 


振り返って正確な期日を探すのも面倒臭いので省略するが....

多分...3年ぐらい前から「上る道」は見えなくなっていた。

ただ....

それでも習性として慣習として使命として?

「上っていかなくちゃいけないだろう」と上っている動作は続けていたんだけれども....

実は停滞していただけだったと。

それは”カラ回り”とも言う。

 


何度も書いてきたが、大きなのはやはり年齢だ。

「もう駄目だ」ということじゃない。

「今までと同じようには行かなくなった」ことに理解が必要だったということ。

ガッツがあれば老眼が回復するわけではないように。

 


極めてシンプルだけれども、面白い例がある。

一昨年には最高13回まで出来ていた懸垂も一旦0になっていたんだが.....

もがいたって、何したって、みっともなくたって、どんなやり方でもいい....

としたらば....

2年ぶりかに1回出来るようになった。

 


そう。

老人には老人なりの目標やら努力に切り替える年齢が来たということだ。

 


老け込まないことと100m走を全力で走ることとは違うということだ。

まだ、幸いにもジョギングは続けられているけれども....

これから先は、100m走を早く走ることよりも、歩くだけの方が、健康にも良く、結果若々しく格好のよい”おじいさん”と見られるだろうと言うものだ。

自分の機能低下を理解(納得)せず、無理して100m走って、肉離れをして、入院して、運動不足で太って余計に体力落として......

という想像が出来なくちゃならないということだ。

 


自分の言う「下り坂」はしょぼくれたジジィになって苦悩の末に死んで行く。

という方向に向かおうとしているわけじゃないということ。

若い時の目標が山を登った向こうにある幸せならば

これからの目標は山を下りたところにある幸せじゃないかと

 


下りることを覚悟したからの

その下り方に

選択肢が登場して、「どれか決断しないと”自然のまま”なんて許されないぞ」となったというだけのこと。

 


ただ....

2つの働き口で仕事をするような状態になってきたので.....

もうそれは「下り坂」の様相ではなく....

モーレツ社員に復帰したようになってしまっているということだ。

 


ま、何年もはこのままというわけじゃないんだろう。

いや、ひょっとしたらばこれが人生最後の頑張りどころなんじゃないかという気がしている。

だから最後ぐらいは忙しくても文句を言わないようにしないと....(笑)

 


もう2度と体験出来ないかもしれないので。