小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

下人は下人のことを考えればいい

 


顔なんか....

ただでさえ良くないのに...

歳とってさらに悪くなってきた(笑)

 


身長も....高いと思われようとしてきたけれども...

最近の若い人は大きいので...もはや小さい部類だろう。

 


頭もしれている...唯一の得意技だった運動は....似合う年齢でもなくなった。

全然恰好良くない。

 


が、なってみたらば...予想外なことに....

諦めの境地とでも言うやつか?

妙な清々しさがある。

開き直りの方が適切か?

そりゃあ人様を不愉快にしたいとは思わないので、多少の努力はするけれど...

大袈裟な誤魔化しや取り繕いはもう...

かえってみっともないだろうと。

 


若い頃の恰好つけや見栄張りには....


自惚れというよりも....

自分の実力をや等身大の粗末な自分を素直には認めたくなかったんだろう。

もっと本当は恰好いいんだぞ虚像でもいいからそう見せたかったんだろう。

だから真の姿がバレそうになったりすると....

妙に反発してムキになっていたようにも思う。

 


もういいんだ。

恰好悪い奴と見られるなら恰好悪い奴で。

多分...本当に恰好悪いんだ。

 


先日も言ったように....

「諦めた」

のとはちょと違う。

「それ以上を求めても...どうしようもないじゃないの。素の程度がしれてるんだからさ。ま、劣っているってこと?だから足りない分はやれることやるけどさ。」

ってところだろうか?

 


もう...「手の届かないモノ」「似合わないモノ」欲しがったところでどうしようもないだろう。

この先、さらに出来なくなって、ボロくなる一方だというのに....

 


人を応援することだって悪いことじゃないぐらいはわかっているけれども....

自分は誰も応援どころか見向きもしてくれないんだから....

せめて自分で自分はちゃんと見てやって、支えてやらないと....

余計みっともなくなるよな....

ということだ。

 


だから....スポーツ番組も、芸能番組も、ドラマも....

あまり深追いはしなくなった。

自分には関係の無いところだからだ。

沢尻エリカをどうのこうのと言ったところで、触るどころか生涯声をかけられることも見ることさえも無い人が自分の人生の何の助けになるというのか....

 


別に、”応援”に見返りを求めるつもりはないけれども....

テレビに出ているような人達は....

自分を応援したりしない。

優しい言葉。

思いやりの言葉。

愛情の言葉を毎日山ほど投げかけてくれて麗しいんだけれども...

自分のことなんて知りやしないし、見たこともないし、見ようともしない。

それが現実だ。

 


”愛は地球を救う”とか言っちゃってても...

救うのは自分じゃなく、まずは芸能界の友達だろう。

それも当然。

 


自分達のステージに届きもしない見ず知らずのオッサンなんかに手を差し伸べたりはしないのだ(笑)

 


なら....自分だって、もっと”自分に近い人”を応援し、協力していた方がいい。

自分が”触れる範囲”のもので、ことで、幸せを感じる方がうんと実感がある。

 

 

どうしてこれまでそう思えなかったのか?

自分でもわからないんだが....

 


下人という立場をわきまえるようになって....

妙にスッキリ考えられるようにはなってきた。