小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

幼稚な一家

 

 


こういった背景があったから....「負けず嫌い」には育ったと思う。

というか....「負けている」事実を...「素直に受け取ってはいけない」人間として育ったきたと思う。

 


それは...

「大きく」間違っていたことだと...

そして...「負けず嫌い」でもないと...

今は...思う。

 


むしろ....目の前にある...塗り替えられない「現実」を...受け入られなかった人間性なんだと...

言う....ところぐらいまでかな....

は、わかってきたと思う。

 


自分も、親も、親戚も、一派も、周囲の人々も

そういう人間だったから....

共依存に安堵して集まったのだろう。

 


が、世の中は広い。

 


そんなこと....イチイチ考えない人が居る。

そんなことにとらわれない

というんだろうか....

 


「見下げられた言動」や「見くびられた扱い」に、さほどに反応しない人が居るのだ。

「どーせ俺たちなんか....」などと開き直っているわけでもない。

淡々と淡々と「そうなのかー」「そう...なんだろなー」とか、他人ごとのような感想を漏らすぐらいなもんだ。

 


相手にしないといったほど毅然とした対応でもないんだが....

笑いもしないが、怒りもしない。

蔑んで見られたことへの感情の起伏というものがない。

 


蔑まれたことに対してイチイチ口撃すること、が唯一の反撃だと教わった家庭に育った自分にはコペルニクス的転回だった。

別に・対して・反応しない。のだから。

 


育ってきた環境には存在しないタイプだったので、不思議に思って聞いてみても...

「出来てねーんだから言われてもしょうがないじゃん。結果だよ結果。ものごとは」

とか言っている。

 


内心はわからない。

が、努力する姿勢はずっと続けている。

見下げられたからより頑張るということもなく、淡々と淡々と。

 


多分....本当に「どーでもいい」んだろう。

そう見える。

”言われること”や”見られること”がその人の関心ごとではないのだ。

そんなことよりも...自分が、何を、どう、出来るのか?出せるのか?残せるのか?....のようになって行くのか...口先だけじゃなく。

 


そういうことで精一杯.....と言ったわけじゃないが...そういうことなんだろうか.....

 


残念ながらこの時点ではもう随分と大人になっていて....しかも、かなり自信満々に生きていたんだけれども....

「幼稚なまま大人になってしまっている自分」と初めて対面した気がした。

 


親のせいにしてはいけないのかもしれないが....自分の親たちは”蔑まれて見られる屈辱の奪回”には熱心な教育だったんだろうけど....

子供を大人に育てる教育ではなかったんだろう。

そして自分のDNAはそこにある。

 


女房は、この手の話が大嫌いで、「私はそんなに自分や家族を否定したくない」とホザく。

まあ、見事な家庭、見事な人格に育ったんだろう。

そんな人にあえて強要することでもないし....

 


ただ...残念ながら自分は、変わっていかなきゃいけない運命に生まれたんだと思う。

大変というわけでもない。

「恵まれてる方だよな」という面もけっこうある。

 


ただ....自然にしていりゃDNA通りだ。

時折思い出して強制的にそうなるように仕向けないと子供達にも素直に遺伝する。

幼稚な人間性は自分の代で終わりで十分。

せめてそれぐらいは世の中に貢献しないと(笑)