いやいやもう少し真面目に分析してみよう...
ここ数年....なんだかしっくりいかなかったのは....
もう”努力”では...”若さ”を取り戻すことが出来なくなっていたからだと思う。
これまでと同様に...考えても、工夫をしても、努力をしても...
いや、これまで以上にやってみても...
取り戻すどころか、キープすら出来ない。
日増しに壊れている。
そんな現状を感じていたからだと思う。
20年前に走り始めた時はささやかな賞賛も聞こえた....
”努力”の経験が皆無?ということもあり、若さもあり、進歩を手ごたえで感じることが出来た。
「全然お腹出ていないんだ」
「凄くシュッとしているね」
「そんな歳には見えないんだけど...」
色々なところで”若く”も見られた。
それらは努力への励みにもなった。
張り合いにもなった。
そして自分の努力のある種の方向性にもなっていた。
ある意味”その方向”が定着していたんだろう。
が....いつの頃からか...結果が出せなくなってきた。
いや、筋トレなど最高記録を更新することはなくなり....
最高記録に到達することもなくなっていった...
確かに体型は変わらないが....気がつきゃ姿勢がうんと悪くなっている。
多分、ちょっとしんどいのだ。真っすぐ立つことすら。
目も見えない。
髪型なんて一種類しかない。
服を着ていれば体型は変わっていないものの...
肌に張りはない。
シワシワというほどではないが....やっぱり20年前よりはうんとタルんでいる。
筋トレもしているのに。だ。
なので....筋トレしない顔はもっとシワシワだ。
ある意味20年前の”修繕”は成功し、自分を勘違いもさせてきた。
「十分若く見られるじゃないか?」
と自信もつけさせた。
だから余計に”若さへの渇望”を強くもしたんだろう....
それは...歳とともに”無い物ねだりへの執着”となるものなのに....
老化への自覚はしつつも....
どっかに....「まだ、通用するんじゃないだろうか?」...のような...”甘えた”願望が捨てきれず....
”現実の自分”との乖離が日々大きくなっていったというわけだ。
恐らく。
乖離の間は”虚”で埋められている。
糠に釘。
いや違う。
”実感”を感じられない世界とでも言えば良いか....
そりゃあ不安にもなるわけだ。