小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

氷山の一角

 

 

よく....「氷山の一角」って例に使われる。

それを使用するのがこの場合正しいのかどうかはわからないんだが....

 

例えば....「見えない部分」を”億”とするなら....

自分や父親は....見えているたったの...「一」....を知っただけで....

”億”まで「わかった!」気に....

簡単になれてしまうのだ。

 

信じがたいことかもしれないけれども、実例はキリのないほどあるし....

そういった習性を持っていることに気が付いていない父親は、今現在もそうだ。

 

銭湯とかゴルフ場とかでも...妙な行動が多いので....

いわゆる”ウットオシイ奴”だから気になってじっと見られているだけなのに....

つまり....睨まれているのに....

「あの人....ワシに関心があると思うんだよね」

と思い込んでしまえたり....

 

先日も、もう笑えなかったんだが...

ウインドウズのランダムに訪れるシャットダウン後の自動更新作業が不安らしく....

「あれが起きない方法がわかったぞ。プリンターの電源から先に切ればいいんだ」

と得意になっていた....

 

「知らない」「わからない」ことは...

「知らない」とどうして公言出来ないのだろうか?

いや、”少ない理解”でもまだ、「正しい方向」ならともかく....

全然間違っている答までを持ち出して....

「知っている」ことにする必要がどこにあるのだろうか?

 

”見えていること”だけでもそうなのだから....

人の内面なんか....

勝手に勘違いして全部お見通しのつもりになっている。

 

そしてそんなものは必ず失敗につながってきた”はず”....

なのだ....

 

なのに改めないのはどういう魂胆からなんだろう?

 

多分....

 

「知らないの?」

「嘲笑」

「失敗」

に耐えられるメンタルを持っていないからだ。

 

だから....「知らないの?」

という反応が来る前に、あわてて

「知ってる、知ってる」と言ってしまわねばならない強迫感に襲われるんだろう.....

 

もちろんこのDNAも自分は保有している。

最近ようやく少し気をつけるようになった。