小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

〇〇なヤツ

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泣き喚くことの多かった両親は...「心のビョーキ」までには至っていなかったかもしれないんだけれども...

躁鬱の気質は濃かったように思う。

 

ま、そうだろう。

感情の起伏は激しかった。

”泣き””喚く”からの”バカ笑い”からの...”体罰”なのだから...

 

安定しない両親の感情をとりあえず確認しておかないことには...

安心出来ない環境だった。

思い浮かんだことを発する前にまず...「様子を伺う」...いや、「伺い」は気が付かれてしまうので...

「様子を探る」ことが先行した。

 

「気を遣う」

のではない。

「おべっか」なんて言うはずもない。

機嫌が悪そうならば...「後回し」にするだけのこと。

マズそうな場合は...とりあえず離れる。

離れた方がマシ。

それが...”学習の成果”だった...(笑)

 

このように...

普通なら、思うままに感情を発散させて感情を豊かにしてゆく子供にすら...

「気を遣わせる」

のだ。

 

「感情をコントロール出来ない人」は。

 

「心のビョーキ」がどんなものなのかは知らないし、本人が悪いわけではないのだろうけど...

現実の結果としては...

感情のコントロールが出来ないことで...相手には...迷惑をかけ...心配をかける...

そしてそれはおそらく...自分のことを一番心配してくれる人に...あえての「気を使わせる」ことになる。

その人にはその人のことを考える時間が必要だというのに...

つまりは...迷惑をかけていることに...なるのだ。

 

しかも...

それなのに...止められない。

 

普通は....自分のことを心配してくれるような人に対しては....

迷惑をかける

のではなく...感謝をするか...上出来な場合...大切に守る...だ。

 

今のところ、その程度の判断は「出来る」のかな?

が、こんな矛盾だらけ理不尽な世の中だ。

いつ「出来なくなっても」おかしかない。

 

だから出来ているうちに...

この判断基準を定着させている。

 


「心のビョーキ」にはならない。

「心のビョーキ」だけにはなっちゃいけない。

そんなのになるぐらいなら...

 

「投げやりなヤツ」になったり

「自暴自棄なヤツ」になったり

「我儘なヤツ」になったり

「身勝手なヤツ」になって...

見放され、嫌われ、遠ざけられた方が....マシ。

そうなりゃ...心配をかけることはない。

 

いや、無意識のうちにもなってしまうかもしれないのだったら...

せめて意識のあるうちは...なりたくない。

 

ある種...「心のビョーキ」にさえならなければ...

後のことは....人様に対してご迷惑もおかけせず...

自分次第で「どうにかして行けるんじゃないの?」

ぐらいには思っている。