泣き喚くことの多かった両親は...「心のビョーキ」までには至っていなかったかもしれないんだけれども...
躁鬱の気質は濃かったように思う。
ま、そうだろう。
感情の起伏は激しかった。
”泣き””喚く”からの”バカ笑い”からの...”体罰”なのだから...
安定しない両親の感情をとりあえず確認しておかないことには...
安心出来ない環境だった。
思い浮かんだことを発する前にまず...「様子を伺う」...いや、「伺い」は気が付かれてしまうので...
「様子を探る」ことが先行した。
「気を遣う」
のではない。
「おべっか」なんて言うはずもない。
機嫌が悪そうならば...「後回し」にするだけのこと。
マズそうな場合は...とりあえず離れる。
離れた方がマシ。
それが...”学習の成果”だった...(笑)
このように...
普通なら、思うままに感情を発散させて感情を豊かにしてゆく子供にすら...
「気を遣わせる」
のだ。
「感情をコントロール出来ない人」は。
「心のビョーキ」がどんなものなのかは知らないし、本人が悪いわけではないのだろうけど...
現実の結果としては...
感情のコントロールが出来ないことで...相手には...迷惑をかけ...心配をかける...
そしてそれはおそらく...自分のことを一番心配してくれる人に...あえての「気を使わせる」ことになる。
その人にはその人のことを考える時間が必要だというのに...
つまりは...迷惑をかけていることに...なるのだ。
しかも...
それなのに...止められない。
普通は....自分のことを心配してくれるような人に対しては....
迷惑をかける
のではなく...感謝をするか...上出来な場合...大切に守る...だ。
今のところ、その程度の判断は「出来る」のかな?
が、こんな矛盾だらけ理不尽な世の中だ。
いつ「出来なくなっても」おかしかない。
だから出来ているうちに...
この判断基準を定着させている。
「心のビョーキ」にはならない。
「心のビョーキ」だけにはなっちゃいけない。
そんなのになるぐらいなら...
「投げやりなヤツ」になったり
「自暴自棄なヤツ」になったり
「我儘なヤツ」になったり
「身勝手なヤツ」になって...
見放され、嫌われ、遠ざけられた方が....マシ。
そうなりゃ...心配をかけることはない。
いや、無意識のうちにもなってしまうかもしれないのだったら...
せめて意識のあるうちは...なりたくない。
ある種...「心のビョーキ」にさえならなければ...
後のことは....人様に対してご迷惑もおかけせず...
自分次第で「どうにかして行けるんじゃないの?」
ぐらいには思っている。