小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

金の斧だけではありません。全部私のです。

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「意欲的」であることや...「向上心が強い」ことは....

「前向き」というか...積極的に「幸せを手に入れる姿勢」のように言われることが多いんだけれども...

...そうばかりではないようにも思う。

 

「意欲的」と言えばきれいそうだけど...まあ「欲が強い」わけだ。

それは「欲が深い」と何処が違う?

 

大体この手の人達は...

「一つ」じゃ気が済まない。

「これも」「あれも」「それも」....

もう...何もかも持っていなくちゃ...「気が収まらない」

何もかもが「上の地位」に居ないと気が済まない。

そんな”習性”になっていたりする。

ご自分でも気が付かないうちに...

 

「望み通り」になっているうち...

例えば望みのレベルの高くない子供時代...

には、達成出来ることも多く、ピノキオの鼻が折れることもないのだろうけど...

 

段々段々難しくなって....

手に入れられない頻度が増えてきたり...

持っていなかったこと自体が発覚したりすると...

本来は何の支障もない毎日なのに...

ものすごーく不満足な日々と...感じるようになってしまうんじゃないかということ。

 

まあ結果としてはそれがモチベーションの薪にもなるのかもしれないけれども...

あんまり健康的ではないように思う。

医学的見地には無知なんだけれども...

どちらかと言えば...嫉妬に近い(笑)

 

一方...

「欲のない人」は

そんなに多くを望まないだけに...

「何か一つ」でもあるならば....もうかなり嬉しかったりする。

極論「ささいなこと」で相当に喜べる。

 


失礼だけれども...最近もまたよくわかるように...

政治家のような立派な地位につかれている方々が...立派な生き方をされている...というわけでもないようなのだ。

現実は(笑)

 

あっちこっちに威張り倒せる立場にありながら...

よほどにか面白くない毎日なのか...

口がひんまがってしまっている人すら居る。

 

そんな「立派な地位」に何の価値があるものか?

という見方もあっていいだろう?

 

勝つことの最終形は

椅子取りゲームの「最後の一つ」と何ら変わりはない。

 

「最後まで争った相手を押しのけて奪い取る価値」だ。

 

「負けじ魂」とも言うらしいんだが...

そのゲームでは勝者になれたとしても...

はたから見ている観衆には...

「やっぱり欲の深いヤツだったんだ」の烙印を押されて....ドン引きされたりして...(笑)

 

勝ち組には勝ち組が集まって仲良くやっている

 

なんてことを信用している人は気が付いた方がいい。

 

それはまだまだ椅子がたくさんあるから余裕を見せているだけ。

最後の一つになったら...

必ず奪いに来る。

 


欲の深い奴らは最後までそう。

 

そういう関係。

 

最近リアルに観察出来る。