「意欲的」であることや...「向上心が強い」ことは....
「前向き」というか...積極的に「幸せを手に入れる姿勢」のように言われることが多いんだけれども...
...そうばかりではないようにも思う。
「意欲的」と言えばきれいそうだけど...まあ「欲が強い」わけだ。
それは「欲が深い」と何処が違う?
大体この手の人達は...
「一つ」じゃ気が済まない。
「これも」「あれも」「それも」....
もう...何もかも持っていなくちゃ...「気が収まらない」
何もかもが「上の地位」に居ないと気が済まない。
そんな”習性”になっていたりする。
ご自分でも気が付かないうちに...
「望み通り」になっているうち...
例えば望みのレベルの高くない子供時代...
には、達成出来ることも多く、ピノキオの鼻が折れることもないのだろうけど...
段々段々難しくなって....
手に入れられない頻度が増えてきたり...
持っていなかったこと自体が発覚したりすると...
本来は何の支障もない毎日なのに...
ものすごーく不満足な日々と...感じるようになってしまうんじゃないかということ。
まあ結果としてはそれがモチベーションの薪にもなるのかもしれないけれども...
あんまり健康的ではないように思う。
医学的見地には無知なんだけれども...
どちらかと言えば...嫉妬に近い(笑)
一方...
「欲のない人」は
そんなに多くを望まないだけに...
「何か一つ」でもあるならば....もうかなり嬉しかったりする。
極論「ささいなこと」で相当に喜べる。
失礼だけれども...最近もまたよくわかるように...
政治家のような立派な地位につかれている方々が...立派な生き方をされている...というわけでもないようなのだ。
現実は(笑)
あっちこっちに威張り倒せる立場にありながら...
よほどにか面白くない毎日なのか...
口がひんまがってしまっている人すら居る。
そんな「立派な地位」に何の価値があるものか?
という見方もあっていいだろう?
勝つことの最終形は
椅子取りゲームの「最後の一つ」と何ら変わりはない。
「最後まで争った相手を押しのけて奪い取る価値」だ。
「負けじ魂」とも言うらしいんだが...
そのゲームでは勝者になれたとしても...
はたから見ている観衆には...
「やっぱり欲の深いヤツだったんだ」の烙印を押されて....ドン引きされたりして...(笑)
勝ち組には勝ち組が集まって仲良くやっている
なんてことを信用している人は気が付いた方がいい。
それはまだまだ椅子がたくさんあるから余裕を見せているだけ。
最後の一つになったら...
必ず奪いに来る。
欲の深い奴らは最後までそう。
そういう関係。
最近リアルに観察出来る。