小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

おじいさんに向かっている?

f:id:okutavianus:20200702082438j:plain



 

「ゴール」後の人生については...

あまりしっかりとは考えていなかった。

いや...「考えないようにしていた」...が"本心"...かもしれない。

 

最近はよく...「テッペンを目指す」...なんて聞くけど...

もともとそんなにも大それた願望を持つ方ではなかったし...

おだてに乗って少しいい気になった時に限って...

散々な煮え湯や挫折を味わわされてもきたので...

まさに...藁にも縋る....というか...

「鉄の斧で十分なので、それ下さい」と言う方なんだろう。

 

「とにもかくにも”ゴール”までまずは生き延びること」

それが目標になっていた。

(みみっちい...笑)

 

付帯する条件(希望)はもちろんあったが...

子らの進学等々、我武者羅に邁進していたらば...

”時の消化”によって半ば自動的に達成されてしまっていたの?ってこともあるように...

”多くは”「ゴールに辿り着けばとりあえず一通り済ませられている」と解釈していた。

 

もちろん...それらはゴールに無事に”辿り着いたらば”...

の話であって、辿り着いていないのならば...話は全く変わって来る。

 

それ以上の話はキリがないので、これまで。

ただ...その貴重なゴールの瞬間が...たまたまの...「100年に一度?」とか言われるコロナ騒動に見事に巻き込まれてしまったので...

「ゴールを果たした余韻」どころか...

大した感慨を感じる暇もなく自動延長されている様が続いていて...

気が付きゃ2週間経っていて...

もう本当にゴールしたのか?どうなのか?

そもそもゴールって何だったのか?

...ぐらいに(笑)

 

ま、人生そんなものなんだろう。

大した大義も大志も目標もなくても...

とりあえずの健康あれば...

生きていられる(生きてしまうとも言う)...というか...

”過ぎてしまう”ということだ。

 

の一方で...

やはり...なにがしかの達成感というか解放感のようなものがあるのだろう。

ふっと落ち着いた時に...

「やけにおじいさんになっているな」

と感じられるようになってきた。

まあ...月並みな”努力”ってことを考えるようになって21年も経てば...

当然そうなる。

 

寝起きの面もそう。

歩く姿勢もそう。

車の運転もそう。

あえて気をつけて見てみると...

「おじいさんじゃねえか?」

は少なくない。

 


これはいけない。

なんだかわからないけれども...

これじゃいけない(笑)

 

これじゃゴールじゃなく、「単に玉手箱を開けただけ」になってしまう。

 

走り始めて21年。

言い訳も、なになにも許さず鞭入れてやってきたつもりだったけれども...

当初に比べたらば...

やっぱりガタが来ているね~。

 

「もう無理」

 

なことも増えてきている。

 

最近...「アンチエイジング」なる言葉も流行ってきて...

いかにも努力次第で若返る、若さは保てるように吹聴もされるんだが...

 

「嘘はいけない」

 

特に...自分に対する嘘はいけない。

「大怪我のもと」

だ。

 

「正真正銘嘘偽りのない自分」を把握し、そこから発想してゆかないと、インチキや虚像には肉付け出来ない。

大志とか目標とか夢とか願望とかが、現実の自分よりより一層引き上げるという効果を否定するわけじゃないけど...

そうであってもやっぱり「等身大の自分をわきまえていて」こそ...だと自分じゃ痛感している。

 

嗚呼...

おじいさんに向かっているんだ。

 

それが、ゴール後に発見した、とりあえずの、”自分の姿”なんだろう。

 

嫌なんだけれども...仕方がない(笑)