ユーミンが登場したのでマッタリという言葉を思い出した。
ユーミンによる選曲の洋楽セレクション盤だ。
洋楽好きなので...何故か持っている(笑)
1988年らしい...
32年前だ。
これを手掛けたってことは...
ユーミンも「マッタリ」を求めていたんだろうし...
これを購入したってことは...
自分も「マッタリ」を求めていたってことなんだろう。
32年後には「マッタリ」なんて言っていられない日常がやって来るのに....
自分じゃあ...常夏の東南アジアの夏の海岸の夕暮れ時がイメージだったかな?
そんなプロモーションも流行っていた。
今から思えば...
「やっておくべきこと」が多かった「はず」の若かりし頃なのに...
老後のような願望を抱いていたことになる。
体力も、暇も、十分過ぎるほどあったのに...
それをたっぷり余らせて...
「マッタリお休みして過ごす場所」を懸命に探していた気がする。
彼女といいムードになりたいから?
友達とハイに盛り上がりたいから?
ゆったりした音楽を集め、聞きながら...
東南アジアかなんかのタバコをくゆらせ...
東南アジアかなんかのビールをたしなみ...
東南アジアかなんかのビーチリゾートのつもりで...
頻繁にマッタリしていた。
海で、都会で、街で、自宅で、車で...
見境なくマッタリしていた。
だからマッタリすることも得意だった。
........何が”得意”だ。
ブサイクな面して...ロマンチックに酔いしれていたんだろうか?
今から思えば...我ながら...実に気持ち悪い(笑)
あんなにもマッタリ出来る時間があったなら....その後の(今の)ために、もう少しやれることもあっただろうに...
頃はちょうど「バブルの崩壊」直前。
「バブルの崩壊」は現在起きているコロナほどのセンセーショナルで時間を特定出来る現象ではないのだろうけど...
自分の中じゃあ「それ以前」と「それ以後」を長きに渡って分断してきた。
たまたま自分の仕事や職種だからか?
公務員の人なんかに聞くと...「特別関係ないけど」なんて言われるので。
だからか...
失われた10年
失われた20年
失われた30年
などと...「戻れそうなものであるかのように...」言われ続けてきたが...
なんのことはない、さらに崩壊が進んで...「二度と戻れない時代」になっている。
今回の境界はさらに強烈そうだ。
すでに自分の中じゃあ...
コロナ前の時代は
懐かしいどころか
このマッタリのように
違和感を感じる部分も出てきている。
昔の友人達には...
マッタリし過ぎて溶けてしまって...
現実の社会で通用しなくなってしまった人達も少なくない。
日本国憲法には書いてある。
教育、勤労、納税と。
どこにもMATTARI!とは書いていない(笑)
ノスタルジックではあるけれど...
豊かにはしない環境なんだろう。