もともとはそこで「終わる」を意味していたから「ゴール」。
「終わる」のだから...
まあ...「引退」「無職」「リタイヤ」「死」...
そういった類。
もちろん「死」を選択するつもりはなかったけれども...
それも「やむなし」の覚悟...
だったのが...
「生きている」し、ほぼ「何もかも」を継続しているので...
「全然ゴールちゃうねん」状態が続いているわけ。
が、「だからゴールはしていない」...ではなく...
「ゴール後の人生が始まっている」
と、自分は見ている。
その転換点として...先日から言う「契約」は”とても大きな第一歩”...になるはずだったのが...”ご破算”で...
かといって「ゴール前に戻る」わけじゃない。
そういった”モノの考え方”は、卑怯というか...「宇宙の法則」を無視しているからきっとうまく行かないと思っている。
SFなら面白いのかもしれないけれども...
エメット・ブラウンでもなければ...時空を超えての行動は出来ない。
出来もしないことを考え、努力してもまさしく...「時間の無駄」
「ゴールを過ぎてしまった人間(自分)」に出来ることはゴール後の人生への貢献のみ。
例としては少し恰好良すぎるけど...
わかりやすくということで言うなら...
山口百恵さんがマイクを置いたようなもの...
キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と言った時のようなもの...
千代の富士が...「体力の限界.........」と声を詰まらせた時のようなもの...
(古...過ぎるか...)
皆さんそれぞれ「そこで」人生が終わったわけじゃない。
つまり...「ゴール」って「してみたならば...」
”そこ”で、人生終わるわけじゃなく...
「一つの通過点だったの?」と...
そして「一つの節目」ということなのかな?
と自分では感じている。
スポーツ選手ではないので...
「現役生活の引退」と言ってしまうには...引っ掛かりがある。
ここまでを現役、ここからを引退以後と言ってしまうには...
「逆だろう」
ということもあり得なくもないからだ。
実際、「ゴールを果たした後の日常」はゴール前と何ら変わりがないどころか...
コロナとも相まってむしろ忙しくなっている。
傍目から見た時には...引退どころか...「ますます張り切ってやってんじゃねーの」状態...
なんじゃないかと家族ですら勘違いしている(笑)
自らそうしているというよりも...
案外コロナが燃料になっていると思うんだが...
まあ、そのコロナにはいろいろな犠牲も強いられているので、多少自分のモチベーションぐらいには貢献してもらわないと(笑)
という毎日。